2017年07月07日
和気氏と八幡神
見落としているかもしれませんが、道鏡事件についてのまとまった記述は、『続日本紀』『日本後紀』の両方で通算三回くらいはあったかと思います。
一つは、『続日本紀』本文、通史として。
二度目は、『日本後紀』巻第八、延暦十八年、和気清麻呂の薨伝において。
そして三度目が、『日本後紀』巻第三十二、天長元年、清麻呂の息子(真綱・仲世)たちによる奏上のなかでの言及です。
いずれも道鏡のたくらみを清麻呂が打破するという大筋は同じですが、細部のニュアンスには微妙な差異・変化が見られるようで……歴史の改竄といいますか、記憶の上書き保存がくりかえされる、そのログを垣間見ているような気がしてきます。続きを読む