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2018年11月07日
【動画】豊国神社
先だっての「近世日本国民史 徳川幕府 思想篇」を読んでいてふと思った。
聚楽第行幸、特に広く知られている一回目のそれが、関白就任≒名実ともに天下統一の完成を確認する、秀吉一世一代の晴れ舞台であったことは、言うまでもないだろう。しかして、一方の後陽成天皇や正親町上皇にとって、それはどのような意味をもつ出来事だっただろう?
階級闘争史観とかいう、下種な対立煽りのカルト信者は、秀吉の横暴だの何だのと事あるごとに不興や敵意の存在を暗示したがるかもしれないが……
日本中の大名に忠誠を誓わせた天下人が関白に就任した。ということは別の言い方をすれば、少なくとも形の上では朝廷に臣下の礼を取ったということであり、それを満天下に知らしめたということでもある。
秀吉が朝廷の権威を「利用」したと悪意を以て描写することはたやすいが、裏を返せば、並み居る大名を実力を以て切り従えた秀吉をして、なお、その覇権を安定的に確立するためには、朝廷の権威にすがる必要があったのだとも言えるだろう。
後陽成天皇にとって、というよりむしろ正親町上皇にとって、それが、それほど不愉快な出来事であったろうか?(自身が権力亡者であるがゆえに権威と権力の区別がつかない類のカルト信者にはそう思えるかもしれないが)続きを読む