2016年04月22日

神仏習合


神仏習合は日本文化の懐の深さを示すものとして肯定されることが多々あります。
一面において、それはそうかもしれません。
しかし、長所と短所は紙一重です。
日本の善良性につけこみ、悪用する反日勢力は、後を絶ちません。
歴史の教訓から、外来カルトの日本浸透の手口を学んでおくことも、無駄ではないように思います。続きを読む
posted by 蘇芳 at 03:04| 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

百済仏教殺人事件


皇紀1212年(西暦552年)、百済が仏像、経典、仏教信仰の功徳を説く上表文を朝廷に献上しました。
これが蘇我vs物部・中臣の対立をもたらしたことはよく知られています。
どちらとも決しかねられた欽明天皇はこれら仏像等を蘇我稲目に授けられ、試しに個人的に礼拝してみよとお命じになります。
すなわちこの時点での仏教はあくまで一豪族・蘇我氏の私的信仰にすぎませんでした。
この仏教がやがて悪性ウイルスのように諸豪族に広まり天皇に取り入り、ついには一種の「国家仏教」と化していくわけですが。
その国家仏教≒仏教の国家管理の最初の試みがいつの御代で、そのきっかけが何だったか、といえば、推古天皇の御代。事の起こりは何と「殺人事件」でした。続きを読む
ラベル:日本書紀 仏教
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2016年02月17日

【映画】「禅 ZEN」

   

こちらで書いた通り、初期の仏教は、敵勢力による間接侵略の道具のようなものでした。
しかし、一度入ってきてしまった以上、今さら完全に駆除しつくすこともできません。
外交的には利用価値もあったでしょう。
仏教と折り合いをつけ、飼いならしていくために、以後、日本人は多大な労力を払っていくことになるようです。

こちらで書いた通り、仏教の「原理」というのは現世否定的な契機を含んでいると思いますが、社会と折り合いをつけていくためには、この「原理」こそが難問でしょう。
日本で広く普及した仏教の宗派は、それぞれの方法で、この難問を解決しようとし、その結果、また別の問題に逢着し、それに対する批判が、また新たな宗派を要請し……ということをくりかえしてきたのではないでしょうか。

玄昉や道鏡の跳梁を生んだ奈良時代が終わると、桓武天皇の御代には平安遷都が行われましたが、平安京の鬼門を封じる寺といえば比叡山延暦寺です。寺の縁起には神道の神々も登場しますし、宗派としてもいわゆる密教=現世利益を謳っています。これなら多少は俗世間と折り合いがつけられそうなものですが……それは当然、仏教の「原理」から逸脱する危険をも孕んでいます。後に白河法皇がお嘆きになった「山法師」を生み、叡山といえば求道の庭というよりは世俗的な政治勢力・武装勢力の代名詞と化してしまった時期が長かったのは、周知の通りでしょう。

では、究極の「他力本願」とも言うべき、念仏宗はどうでしょうか? 大乗仏教の極北というか、念仏さえ唱えればオールOKという世俗化・大衆化の極みです。こちらで書いたような意味で「社会」と折り合いをつける上で、その手軽さ・安直化はかなりの成果をあげたでしょう。実際、一向宗などは一般庶民をまきこむ大流行を生みます。
しかし(門徒物知らずとはよく言ったものですが)それはやはり、カルト的な思考停止に結びつきやすく、愚民化した信徒を食い物にする売僧の跳梁を呼びやすいという面もあったのではないでしょうか。
しかも浄土思想の「原理」自体は、極楽往生という現世否定の権化でもありますので、この「原理」が、カルト的思考停止とアジテーションに結びつくとき、死を恐れないテロ集団が成立してもおかしくはありません。一向一揆というのは、信長あたりにとってはISILのような存在に見えたのかもしれません。

すべての宗派について詳しく知っているわけではありませんので、知ったかぶりもホドホドにしますが……

それでは最後に、鈴木大拙らの啓蒙もあって、世界的にイメージが流布された禅宗はどうでしょうか?
禅の伝来自体はかなり古く、奈良時代の飛鳥寺にはすでに禅房があったことが「続日本紀」に見えています。
しかし、禅が、「宗派」として存在感を増すのは、やはり、道元以降、鎌倉時代のことでしょうか。

道元といえば、何年か前にたまたま「禅 ZEN [DVD]」という映画を見たことがあります。
その映画の冒頭、幼い日の道元と母との会話に、「この世が浄土にならなければ意味がない」というやりとりが登場します。
六道輪廻の苦界からの解脱という仏教の原理が現世否定的なものに思える私にとって、これはなかなか面白い問題提起であり、興味を惹かれる導入でした。
仏教が、仏教としての「原理」を失わないまま、現世を肯定することは、できるのでしょうか? できるとすれば、いかにして?

映画はあくまで映画ですが……製作にあたっては「道元禅師の映画を作る会」なる有志団体がかかわっているほか、永平寺なども積極的に協力しているようですので、ある程度は曹洞宗の宣伝映画のような性格も持っているのかもしれません。わりと真面目な映画ではあります。禅仏教のイメージくらいはつかめるかもしれません。

ということで、今回は少しその映画の感想など書いてみます。続きを読む
ラベル:仏教
posted by 蘇芳 at 03:25| 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする