2016年05月01日

遷都と大仏


広嗣の乱はこちらで述べたような形で鎮圧されましたが、実はこの乱の最中、聖武天皇は不可解な行動をとられています。
「日本書紀」に比べると、「続日本紀」は読んでいて楽しくないというか、個人的には、ときどき、痛ましい気さえしてきます。続きを読む
posted by 蘇芳 at 01:48| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月30日

藤原広嗣の乱

   

左翼偏向歴史教科書には、仏教公伝も大仏建立も国分寺もあたかもイイコトのように書かれていますが、実際に自分の目で「日本書紀」や「続日本紀」を読んでみると印象は逆転。仏教を大事にされた帝の御代にはロクなことが起きないという気がしてきます。
崇仏で有名な聖武天皇の御代ともなれば、なおさらです。続きを読む
posted by 蘇芳 at 01:52| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

藤原氏と舎人親王


第四十一代持統天皇の「中継ぎ」を以て、第四十二代文武天皇が誕生されたことはこちらで、
第四十三代元明天皇・第四十四代元正天皇の「中継ぎ」を以て、第四十五代聖武天皇が誕生されたことはこちらで、すでに述べています。

正史「続日本紀」には、聖武天皇へ譲位される際の元正天皇のお言葉が、次のように引用されています。
「この統治すべき国は、口にするのも恐れ多い藤原宮に天下を統治された汝の父にあたる天皇(文武)が、汝に賜った天下の業である」(宇治谷孟訳、以下同じ)
ここには、皇位が、父・文武天皇から、子・聖武天皇へと継承されたものである、と、述べられています。元明・元正の二代の女帝は、その継承のためにこそ即位された、補完的な天皇であらせられたという観念が、正史に明白に表明されていると言えるのではないでしょうか。

聖武天皇の御即位こそは、歴代の女帝の悲願の達成であり、いわゆる「奈良時代」はこのときから本格的に始まるのだ、とも言えそうです。
その奈良時代が、高位高官は元より、数々の皇族の血に彩られた政争の時代となり、ついに道鏡の跳梁を招くことになるのは、皮肉としか言いようがない結果だったかもしれません。続きを読む
ラベル:天皇 続日本紀
posted by 蘇芳 at 02:16| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

和気清麻呂


和気清麻呂が古代史の英雄であることに異論はありませんが、彼が偉大であり重要であればあるだけ、なおさら、その業績(清麻呂のどこがどうえらいのか)を「正しく」理解・把握することは大切だと思います。
にもかかわらず一般向けに公刊されている研究書としては、事実上「和気清麻呂 (人物叢書)」が唯一というのは、お寒い現状ではないでしょうか。続きを読む
posted by 蘇芳 at 23:07| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

「実現」の書


「古事記」に比べて、「日本書紀」は国家意識が強い、と、よく言われます。
それは事実かもしれません。
しかし、だからといって、非難がましい言われようをされなければならない理由が、どこにあるでしょうか。

国家意識≒国家の正統性を明らかにすることは、国家にとって当然に必要な作業です。
そのためにはその国家が何に拠って立つのかを明らかにする必要があるでしょう。
その国家の性格=国柄を根底において規定するものを、コモン・ローと呼ぶのかもしれません。
そして、こちらで述べた通り、日本におけるコモン・ローが、天壌無窮の神勅をはじめとする三大神勅であるとすれば、国家の正統性を明らかにする書とは、すなわち、尊皇敬神の書とならざるをえないでしょう。

「続日本紀」は「日本書紀」につづく六国史の第二ですが、その収録範囲は第42代文武天皇から、第50代桓武天皇(在位中)まで。これはすなわち「日本書紀」が完成(養老4年5月)し、読まれた時代でもありました。別の言い方をするなら、「書紀」の編者とされる舎人親王と、その子や孫が生きた時代でもあります。
仏教の蔓延や外国かぶれのインテリが跳梁するなかで、抗い、日本を守りぬいた、古代の「勤王の志士」たちの生きざまが、あるいはそこに読み取ることができるのではないでしょうか。続きを読む
ラベル:続日本紀
posted by 蘇芳 at 02:26| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする