こちらのつづき。下巻。
姉妹ブログからコピペ。
続きを読む
2022年05月13日
2022年05月12日
2022年05月11日
2020年10月04日
2017年06月26日
八幡神雑想⑤ 宇佐国造と宇佐公
こちらで書いた通り、「日本書紀」神代巻の一書には、
則ち日神の生れませる三の女神を以ては、葦原中国の宇佐嶋に降り居さしむ。とあり、かつまた「先代旧事本紀」においては、この三女神が宇佐国造の祖神であるとされているそうです。
宗像三女神といえば天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた神々。同じ誓約でお生まれになった神には天忍穂耳命もおいでになるわけで、乱暴に言ってしまえば、宗像三女神は天孫瓊瓊杵尊の叔母/伯母にもあたろうかということになります。その子孫というのですから、宇佐国造も相当なもの。
記紀に菟狭津彦・菟狭津媛として登場した宇佐の地方豪族は、かくして皇室の系譜とも関連付けられ、その権威と地位を高めることになったのでしょう。
しかしながら、それほどの来歴を設定された宇佐国造、それ以降は正史の記述にもあまり登場もしないように思いますし、何より、肝心の宇佐の祭祀権は、いつのまにか大神氏や辛嶋氏といった他氏族に移ってしまっています。
いったい宇佐国造に何が起きたのか? どこへ行ってしまったのか?
あくまでも一つの説ではあり、文書史料の乏しい古代、確たる証拠がどの程度あるのかは詳らかにしませんが、逵日出典「八幡神と神仏習合 (講談社現代新書)」においては、磐井の乱に加担して衰退したのだろう、という推測が提示されていました。続きを読む
2016年08月25日
2016年08月11日
梵釈寺
寛和二年(西暦986、皇紀1646)、藤原兼家とその息子・道兼が、第65代花山天皇を騙して出家させ、第66代一條天皇を即位させたことは有名でしょう。平安時代、天皇の「出家」は、すでに「退位」とセットでした。
譲位されたのちに出家して法王となられた上皇は御歴代のなかに数多おいでになりますが、在位中に出家されたり、出家後に還俗もなさらないまま践祚された天皇は、長い皇統の歴史の中で、例外中の例外です。
聖武天皇、孝謙・称徳天皇の君臨あそばされた奈良時代が、いかに「異常」な時代だったか、このことに徴してみても明らかでしょう。
あげくのはてに道鏡事件さえ引き起こした南都仏教の腐敗・堕落はもはや明らかでした。南都仏教との決別が、桓武天皇にとって急務だったことは、今さら言うまでもないことかと思います。
しかし、外来カルトの仏教も、公伝以来それなりの時間を経て、すでに日本に根付いてしまっています。天皇・皇族や有力豪族の発願で建立された寺院も数多くあります。今さら仏教そのものを弾圧することは不可能でしょう。
桓武天皇に可能であり必要だったのは、腐敗堕落した旧仏教との決別であると同時に、また、本来あるべき正しい仏教の形を示して見せること、いわば仏教の立て直し・仕切り直しだったのではないでしょうか。
前者は遷都によって、後者は北嶺の新仏教の創設によって成し遂げられた、と、大きな視点では言えるのかもしれません。
が、そこへ至るまでにも、天皇はいくつかの施策を試みておいでだったようです。続きを読む