2017年05月25日
八幡神雑想②:菩薩になった怨霊?
「続日本紀」を読んでみると、いわゆる奈良時代の政争の対立軸のようなものがおぼろげに見えてきます。実際にその軸を挟んで敵対した人々の勢力図については、藤原VS橘とか、こちらで考察した新田部親王VS舎人親王だとか、いろいろなとらえ方があるのかもしれませんが、その対立に仏教という要素が大きくかかわっていたことは間違いないように思いますし、その仏教と深く深くかかわっていた神が八幡神であったことも、確からしく思われます。
しかしてその政争は道鏡の失脚と、天智系皇統の復活、聖武系皇統の断絶、舎人親王の御子孫の復権、平安遷都などなどの結末を見ることになりました。伊勢神宮や大嘗祭(≒宮中祭祀)をさえ含めて日本を根本から仏教化しようとする試みは、一応、阻止されたといってよいでしょう。
で、あれば、その「日本仏教化計画」に大きく関与していた八幡宮も、それにともなって影響力を失っても、おかしくはないはずでした。
しかしながら、実際には、八幡宮が国家鎮護の宗廟としていよいよ全国的に尊崇されていくのは、むしろ平安時代以降ですし、そもそも、八幡神が「大菩薩」となられたのは、まさにその平安時代の開幕をお告げになった桓武天皇の御代だった、という話さえあるようです。続きを読む