2016年03月14日

景行天皇と九州

    

熊襲征伐というと日本武尊の物語が有名ですが、書紀によればそれに先立って、父帝・景行天皇が、御自らご親征、九州一円は平定されています。
しかも征討の理由は、「熊襲がそむいて貢物を奉らなかった」ことにあるとされていますので、それ以前から、熊襲はすでに朝廷に「貢物を奉」るべき立場にあった≒服属していた、ということになります。
そのためでしょうか、景行天皇が九州に入られると、進んで臣下の礼をとる豪族・首長が二人、立て続けにあらわれます。二人が二人とも、女性だったとされています。続きを読む
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2016年03月10日

【動画】垂仁天皇 菅原伏見東陵


第十一代垂仁天皇は先帝崇神天皇の第三皇子。
即位事情としては崇神天皇の御代に、夢占いの挿話が見られます。
東に向かって槍や刀を振るう夢をご覧になった兄の皇子、
四方に縄を張り巡らし、穀物を荒らす雀を追い払う夢をご覧になった弟の皇子。
父帝がこれを裁定され、兄皇子に東国(時として武力が必要な辺境)を治めさせ、弟皇子を皇位継承者と定められたというお話。

弟のほうが兄より優れた資質を持つ、というのは、記紀には頻繁に見られるパターンですが、ここで提示されている皇位継承者に相応しい「資質」が、武人的・英雄的なそれではなく、農事・国民生活に心を砕く為政者としてのそれであることは、まさしく「しらす」という日本的統治の精神を物語っているように思います。

もちろん、「夢占い」など後世の創作にすぎないと悪意を以て決めつける反日勢力もありましょう。
が、創作には作者の意図が込められているものであり、記紀編纂の時点で天皇は「かくあるべし」との観念が確立し、宣言されていることに、かわりはないのではないでしょうか。

思えば、父帝・崇神天皇ご自身、「農は国の本なり」と詔された名君でもあらせられたのでした。続きを読む
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2016年03月07日

【動画】こども寺子屋 桜 - 崇神天皇 - 1~2


こちらこちらで見たのと同じ紙芝居のシリーズですね。今回は第十代崇神天皇です。続きを読む
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2016年03月04日

【動画】よくわかる日本と朝鮮半島の古代史【学校やNHKでは教えてくれない事実】


日本と朝鮮半島の交渉がいつ頃から始まったのか詳細は不明ですが、「日本書紀」神代巻にはすでに素戔嗚尊が半島にわたった記述があったりもします。さすがにそれは神代の「一書に曰く」ですから、文字通りに受け取る必要はないでしょうが。
しかし、第十代崇神天皇のころには、半島関連の記述が増えはじめ、かなりの消息が伝えられるようになります。
ある国の正史、とは、当然、その国自身の歴史を記すものですが……
「日本」の正史である日本書紀に、こうも朝鮮半島に関する記述が多いのはなぜなのか?
最もシンプルな答えは、その地域が「日本の一部」だったから、というものになるのではないでしょうか。

実際、神功皇后の三韓征伐後は明確に半島各国は日本の朝貢国となり、人質や調を奉っていますし、「倭人」が半島国家の高官や王になったこともあります。
それは「日本書紀」の側が一方的に言っていることではなく、半島の史書「三国史記」にも同様の記述があるそうです。続きを読む
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2016年02月29日

【動画】唐古・鍵遺跡 & 纏向遺跡


これらの遺跡をyoutubeで検索すると卑弥呼卑弥呼とうるさい動画が多くてウンザリします。
あれも卑弥呼これも卑弥呼、邪馬台国のたたき売りですね。
できるだけそういう「色」がついていない動画を見ておきましょう。続きを読む
ラベル:日本書紀
posted by 蘇芳 at 01:36| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

【動画】上御殿遺跡


皇紀=西暦+660
右だの左だの反日偏見を脇においておいて、この単純な足し算を覚えておくと、とりあえず「実用上」便利なように感じます。続きを読む
ラベル:日本書紀
posted by 蘇芳 at 02:53| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月27日

【動画】吉野ヶ里遺跡


関白だったのは山城守の信長であって、ある日、猟に出たところが木の下に寝ているやつがある。びっくりして飛び起きたところをつかまえて問いただすと、自分は平秀吉といって、薩摩の国の下男だという。すばしっこくて口がうまいので、信長に気に入られて馬飼いになり、木下という名をつけてもらった。
この↑噴飯物のデタラメは『明史』に実際にある記述だそうです。ソースは渡部昇一「皇室はなぜ尊いのか (PHP文庫)」。
明といえば西暦1368年~1644年という“つい最近”の支那大陸の王朝です。
その王朝のれっきとした正史がこのありさま。
支那人がどれほど日本について知らなかったか、ということがよくわかるのではないでしょうか。
まして、2000年以上前の古代においてをや。
「日本書紀」を偽書扱いする一方で、支那の史書だけをありがたがって無理やりに古代日本にあてはめ・コジツケた自称「歴史」「古代史」に、はたしてどれほどの意味があるでしょうか?
邪馬台国がどうのこうのという「学説」の大半は、あるいは、「信長公記」や「太閤記」を無視して『民史』のみに依拠して記述された安土桃山史、のようなものにすぎないのではないでしょうか。続きを読む
ラベル:日本書紀
posted by 蘇芳 at 02:13| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする