2021年09月13日

【読書】エナージーをエキステンシフではなくインテンシフに集中っ!

思想が云々以前に、盗んだバイクで走りだしたらケンペー隊に怒られても不思議はないわなというか何というか。
姉妹ブログからコピペ。




ちらが届いたのでとりあえずサラッと最初の90ページくらい読みましたが。
何というか”よるのこうしゃまどがらすこわしてまわ”るタイプのメンタリティの垂れ流しの波動を感じる今日この頃(´・ω・`)
時系列順に配列された本なので後半に行けばまた多少は変わるのかもしれませんが、とりあえず、当時流行の社会主義っぽい物言いは時代の「意匠」にすぎないのではないかという予想は(予想とは違う形で)当たったかな、という印象です。


大杉栄評論集 (岩波文庫) 文庫 – 1996/8/20

関東大震災の時,憲兵隊によって虐殺された大杉栄(1885-1923)は,100年近く前にすでに現代の問題を鋭く予感し,自らの身体と感性で格闘していた先見的思想家である.自由な徹底した個人主義者にして社会主義者たる大杉の炸裂する精神の動き,流れを再構成できるよう,1912年から23年までの評論39篇を年代順に配列,収録した.
出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1996/8/20)
発売日 ‏ : ‎ 1996/8/20
言語 ‏ : ‎ 日本語
文庫 ‏ : ‎ 334ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003313429
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003313428


日の☆5のレビュアー(https://amzn.to/3BUvYUA)はフェミニズムが云々と言っていて、本書を読むとたしかに最初のほうにイプセンがどうこうみたいな話は出てきますが、しかし、最終的に大杉が言いたいのは、
 いわゆる新しい女とは、征服階級の男の玩弄品たり奢侈品たる地位から、一躍して征服階級の直接の一員たらんとする女である。
 彼女らの自覚とは、要するにここまでの自覚に過ぎない。真に人としての自覚ではなく、征服階級の人としての自覚に過ぎない。彼女らの自覚は、自己と周囲との関係をわずかに征服階級の世界に限った自覚である。彼女らはいまだ自己の周囲に男女の被征服階級が存在する事を知らない。
P58
という、(フェミニズムに限らず、あらゆる反権威・反権力の人権詐欺に通用する)批判のほうでしょう。
社会構造を「支配‐被支配」の文脈で見るとき、カクメイや社会運動の「成功」の帰結は、往々にしてというよりほとんど常に、従来の被支配者が支配者にとって代わる(そして残虐な支配を続ける)だけのことで、「支配‐被支配」の構造の反復再生産にすぎないではないか。真の革命とは「支配‐被支配」の構造そのものから人間性を解放するものでなければならない、という……批判としては一理ありながら、現実性には乏しいユートピア的夢想。
もしもそれが大杉の「思想」なのだとしたら、それは、無政府主義だの社会主義だの、肩肘をはるまでもない、ありふれた文科の書正論にすぎない気もしないでもありません。が、少なくとも、社会主義だの共産主義だのいう悪質な全体主義と、本質的に、無関係なものではありうるでしょうか。


杉は、この90ページの範囲内ですでに労働運動などにもかかわっているようなことも書いていますが、その運動に対する態度も、畢竟、次のような内面的なものです。
 ここに一ストライキが起るとする。僕はこのストライキを以て、ベルグソンのいわゆる「われわれが或る重大な決心を為すべく選んだわれわれの生涯の瞬間、その類において唯一なる瞬間」としたいのだ。
 すなわち、巨額の維持金をかかえて、永い間平穏無事にその腕組みを続けて、これによって一般社会の同情を得て、そして最後に政府者側の干渉をして労働者の利益に終らしめんとするようなストライキではない。維持金も何もなしに、短い時間の間に、労働者のエナージーをエキステンシフではなくインテンシフに集中した、本当に労働者が重大な決心を要する、正気の狂人的ストライキだ。労働者のエナージーと自信と個人的勇気と発意心とを、その最高潮に到らしめるストライキだ。
P93
労働運動を云々しておきながら、大杉にとって、現実の労働者の待遇の改善などは、実はどうでもいいわけです。大杉が求めているのはベルグソン流の生の充実であり、労働運動も何もかも、畢竟すると、瞬間的な生の昂揚のための口実にすぎないのでしょう。引用の続きで「僕はこの超人の気持が味わいたいのだ」とキッパリ明言している通り、瞬間的なエピファニーを「享楽」したいだけ。つまるところそれは政治運動の論理ではなく、お祭り騒ぎの論理であって、大杉にとって、労働者のシュプレヒコールは、ロックコンサートのシャウトと等価なものでしかないのかもしれません。今この瞬間がすべて。らいく・あ・ろーりんぐすとーん。というより、やはり尾崎豊でしょうか。こーの「支配」からのーそつぎょおー♬


暈がするほどの青臭さですし、「超人」というニーチェかぶれもいかにも中二病くさいですが……
しかし、まあ、アンポーハンターイとかやってた昭和のおにいちゃんたちも、そのほとんどの動機は似たようなロックフェス的欲望の類だったかもしれませんし、大正だろうと昭和だろうと、いつの時代も、ある種のタイプの若者には、ありがちな話なのかもしれません。
そういう意味では、何というか、そうですねぇ……ここまでのところは、”山口二矢とは何の関係もない、本質的には、著者自身の自画像に過ぎない、大江健三郎の「セブンティーン」”を読んでいるような気分がしてこないこともありません。
ベルグソン流の生の充実というと何かもっともらしいですが、ぶっちゃけてしまえば、何か面白いことはないかと盛り場をうろつく不良少年のトゲトゲシイ欲望のメンタリティにすぎないわけで……その未熟さ・低俗さ含めて、「普遍性」があるとは言えるかもしれませんしね。


だ、そういう普遍性は、政治思想的なそれではなく、あくまで、文学的な(もしくはゲージツ的な)何かですかね(大杉のアナーキズムというのも要するにゲージュツがバクハツしちゃう類の電波的なアナーキーなのかしら)。
本書全体、少なくとも90ページほどのここまでのところは、評論というか、本質的には私小説?
そう思えば、凡百の左翼全体主義イデオローグより、はるかに「正直」であり、その分、はるかにマシであるとも言えるかもしれません。
となると……
目次を見るに、本書の後半は共産主義がどうこういう話にもなってくるようですが。先日の☆1レビュアー(https://amzn.to/3ni9yc5)が言っていたことが本当なら、それこそ、どのように共産主義を「誹謗中傷」してくれるのか。
そこはまだまだ楽しみにしたいところです。
(上の「新しい女」批判も、批判としては、わりと当を得ていますしね)


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ラベル:大杉栄 読書
posted by 蘇芳 at 01:39| 大正 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする