2021年09月08日

【読書】柿埜真吾「自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠」(PHP新書)

アタリマエのことが書いてあるとかいうレビューもありますが、そのアタリマエのこととやらを教えてもらったことってあったっけ?というかアントイウカな今日この頃。
姉妹ブログからコピペ。





ちらの著者の新著?
先日の本はあくまでフリードマンの紹介でしたが、本書は著者自身の経済論に踏み込んでいるのかしら?
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自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠 (PHP新書) 新書 – 2021/8/11

「人新世」(人類の経済活動が地球を破壊する時代)というウソがまことしやかに唱えられている。彼らは「脱成長」を唱え、「環境危機の時代を克服するには、資本主義による経済成長を諦めるべきだ」という。この一見、倫理的に思える脱成長論は、じつは社会主義・共産主義の復活を目論むレトリック、仮面である。経済成長を止めて全体のパイを減らし、弱者をよりいっそう貧しくさせる「罠」なのだ。資本主義よりも共産主義のほうが環境破壊を生むことは、かつてのソ連や現代の中国を見れば明らかだろう。また、気象関連災害による死者は経済成長とともに大幅に減少してきた。「人類はかつて自然と調和した素晴らしい生活を送っていたのに、資本主義と経済成長のせいで自然に復讐されている」という物語は、事実に反する。社会主義の大失敗と資本主義が人類を救ってきた歴史、自由な生活と経済成長がコロナ禍と貧困・格差、地球環境問題を解決できることを示した一冊。
出版社からのコメント
序章 脱成長というおとぎ話
第1章 経済成長の奇跡
第2章 前近代の閉じた社会の道徳
第3章 なぜ資本主義は自由と豊かさをもたらすのか
第4章 社会主義は反動思想
第5章 資本主義の完全勝利に終わった20世紀の体制間競争
第6章 理想社会建設の末路としてのソ連
第7章 新しい隷従への道――『人新世の「資本論」』批判
著者について
柿埜真吾
1987年生まれ。2010年、学習院大学文学部哲学科卒業。12年、学習院大学大学院経済学研究科修士課程修了。13-14年、立教大学兼任講師。20年より高崎経済大学非常勤講師。
出版社 ‏ : ‎ PHP研究所 (2021/8/11)
発売日 ‏ : ‎ 2021/8/11
言語 ‏ : ‎ 日本語
新書 ‏ : ‎ 256ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4569850146
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4569850146


スタマーレビュー
5つ星のうち4.2
32 件のグローバル評価
星5つ…65%
星4つ…13%
星3つ…4%
星2つ…7%
星1つ…10%
基本的には大好評。
ただし低評価方向にもわりと票はバラケテいるようで……
アチラ側の信者の暴言はスルーでいいですが、 「人新世」(https://amzn.to/2X0aNl7)への反論本とのことで、元ネタを読んでいるレビュアーからはそれなりにもっともらしい低評価が寄せられてもいるらしく、(議論を矮小化している可能性もありますが)、それについては無視しない方がよいでしょう。


体的には、
「失敗に終わったことを誰もが認めている“古い”共産主義やそれ以前の未開社会への批判をいくら繰り返しても、斎藤氏への反論になっていないのは明白である」とのレビュー:Amazon
「本書を読了してもなお、我々が向かうべきは、資本主義をさらに推し進める方向ではなく、それに歯止めをかけ、(歴史の失敗にも学びつつ)コミュニズム的な発想を取り入れる方向だと思うのだ」とのレビュー:Amazon
などは、目を通してみる価値があるでしょう。
ここに書かれていることが事実であれば、なるほど、事の是非以前に、そもそも議論がかみ合っていないことになりそうです。
もっとも、それ自体がレビュアー側の誤読である可能性もありますし、レビュアー側はレビュアー側で、晩年のマルクスが到達した「”新しい”共産主義」とやらがハリボテでない証明をする必要があるように思います。
ソ連が崩壊したころから、失敗したのはソ連であって共産主義ではないとか、それこそソ連式の”古い”共産主義が失敗しただけで云々など、言われていた、それこそ手あがのついた詭弁にすぎないようにも思いますし、そもそも労働価値説やら何やらの根本から間違っているマルクス主義にチョット何かをつけ足してみたところで始まらない気もしますしね。。
また、レビュアーたちが懸念する様々な「問題」をもたらしたのは、そもそも資本主義なのか? むしろ資本主義が妨げられているせい(事実上の「人新世」)ではないのか? 未読なので何とも言えませんが、著者なら後者だと答えそうな気もしないでもないですし……
とりあえず、低評価側からはこういう疑義が提出されているということで、あとは、高評価側の言い分と、何より本書自体を突き合わせて、比較・考慮してみるのが、建設的な読書というものでしょうか。


いうことで高評価方面もいくつかピックアップしておきますと……
「一部抜粋」とのレビュー:Amazon
「「脱成長社会の偽善」は暴かれる!」とのレビュー:Amazon
「資本主義と共産主義の違いが分かりやすい」とのレビュー:Amazon
「斎藤コミュニズムの呪縛から解放される書」とのレビュー:Amazon
「他のレビュアーの方も言っている通り、当たり前のことしか書かれていないと言えばその通りですが、そんな当たり前の事を学習・復習するのにちょうどいいと思います」とのレビュー:Amazon
などなど、力作長文も多く、読み応えがありそうです。
たとえば、
争点は、資本主義に「帝国的『生活』様式」(人新296頁)と「生態学的帝国主義」(人新
86頁)を読み込むかどうか、にある(気候ケインズ主義)。斉藤氏は、この2つを痛烈に批
判することで「資本主義の内在性」を読み込んでいるが、本書の柿埜氏は「資本主義の外在
性」に追い遣り、「資本主義」への読み込みを拒否している。

そのため、両者の「資本主義」に対する所与の前提が異なるため、柿埜氏が「人新世・資本
論」をどんなに批判してみたところで、空転現象が起きている。
とはいえ、柿埜氏の「罠」としての主張には、充分な説得力を提供している。これが、本書
を読了した上での所感である。以下にそのことを追っていこう。
などは、両者の議論がかみ合っていないという、その点を認めたうえで、それでもなお、本書を積極的に評価しているようですから、低評価を相対化というか、これを読んだ後では低評価の指摘が”みみっちい”ものに見えるかもしれません?
とりわけ、現在進行形の「中共」による環境破壊は、「ゼロサム社会」の実現に向けての帝
国主義的「生活」主義が跋扈している事実は、紛れもなく「ナイフ」――、それを何とか交
わそうと「帝国主義的『生産』様式の超克」を斉藤氏は提唱して重要性を強調するものの、
結局のところ、自らの仮説で自壊しているのである(人新296頁)。

斉藤氏は、「アソシエーション」(自発的な結社)をマルクスが多用し、共産主義や社会主
義という言葉を使っていないことを糧に、真っ向から立ち向かうことに拒否している(NHK
100分de名著 カール・マルクス『資本論』2021年1月108頁)。

さらに、近年のアメリカにおけるミレニアム世代やZ世帯の代表格として「グレタ」を持ち
出し、「無限の経済成長のおとぎ話」という環境プロパガンダを賛美し、(帝国的)資本主
義に批判的な若者が「ジェネレーションレフト」(左翼世代)として社会主義の共鳴する一
例を取り上げ、なんとか社会主義についての言辞を行うのがやっとなのである(同書8頁、
人新126頁)。
人類が実現したことのない「”新しい”共産主義」を夢想するより、まず何よりも、「「現在進行形」で共産主義が息付いていること」こそが問題ではないのか?という……これこそ、低評価レビュアーに欠落した視点かもしれません。
 自由を尊ぶ人にはごく当然の事ばかり書かれていますが、とりわけ感心したのが「資本主義は逆説的には資本主義を批判できる自由がある」ですね。マルクス主義にそんな自由はありませんから。
とのレビューもありますが……
今も昔も、共産主義にハマってしまうおりこうちゃんは、華麗な理論に幻惑されて、現実の銃口が見えなくなってしまうものなのかもしれません?


お、レビューの中には、
このような柿埜の指摘に対しては、アメリカ型資本主義経済における、トマ・ピケティが指摘したような「所得と富の大格差」や日本には、多くの低賃金の非正規社員が存在することや年金制度の世代間格差といった、もろもろの負の側面が無視されているという批判があると思われる。資本主義を維持しつつ、それらの負の側面を改善する手段は存在し、そのことを示している書籍も存在すが、200頁程度の新書で何もかも語ることには無理がある。しかし、柿埜が指摘しているように、「脱成長コミュニズム」へ転換すれば、日本の社会保障制度は崩壊し、年金の世代間格差は拡大してしまうことは確実である。これが確実であることは、理論や思想や「コモン」かどうかの問題ではなく、算数の問題だからである。
などの指摘もあり、「人新世」への「批判になっていない」とする低評価への再批判、それどころか、「斎藤コミュニズム」への批判さえ展開されているようです。
かなりの大長文ですが……目を通してみていただければ、というところ。
斎藤は『「社会的所有」によって、生産手段を(コモン)として民主的に管理するのだ』(310頁)という。しかし、柿埜が明らかにしているように、「脱成長コミュニズム」は「プラスサムの資本主義」と異なり、「ゼロサム」社会であるから、誰からの得は誰かの損になる社会にならざるを得ず、パイや権力の争奪をめぐる闘争が生ずる。これは共同体規制社会や社会主義の歴史を見れば明らかである。それに対して、「脱成長論者の答えは、『脱成長社会では人間性が変化するから差別は起きない』『脱成長社会では正しいことをする人々が間違った考え方をする人々を抑え込むから心配ない』のどちらかだろう」(柿埜178-179頁)。「脱成長コミュニズム」で争いを防止する方法は、このように、「人間の本姓を変革する」こと、すなわち、最近、中国で起きているようなウィグル人に対する「思想改造教育」の徹底である。「斎藤コミュニズム」は、財・サービスの市場での交換を否定する「使用価値経済」であるから、「何にどれだけの使用価値があるかと生産・消費して良いモノとそうでないものとを、市場取引以外の手段で決めなければならない」。斉藤は、それはコミュニズムのメンバーで民主的に決定されるというが、独裁的に(斉藤氏が?)に決めるか、多数決で決めるしかないであろう。私は、何を着てよく、何を食べて良いか等々をいちいち「斎藤コミュニズム」によって決められてしまう「選択の自由」がまったく存在しないコミュニズムには絶対に住みたくない。
問題は、にもかかわらず、「人新世」のほうが本書よりたくさん売れてしまうという……何でしょうねぇ、これは💧
せめて”両方”を読む人が少しでも増えてほしいところです。。
(それこそ、一つの考えしか許されない全体主義国家とは違う、自由主義のメリットというものでしょうに)


然ですが楽天にも出品は以下略、
「自由と成長の経済学」の検索結果:楽天
など、チェックしてみるのもよいでしょう。
2021.9.8現在「ブクログのレビュー」が2件表示されていますが、うち1件は上でリンク済みのAmazonの☆3と同文ですね。
もう1件は☆4の高評価でありつつ……
ただ、引用箇所の内容から察するに批判対象本は相当酷い代物のようである。しかし、何でそれがベストセラーになり、もてはやされているのでしょうね?
素朴なツッコミがなされています。
世にナントカの種は尽きまじ……
インテリがこぞって騙された20世紀の愚をくりかえさない知恵が求められるところですし……そのためにも現実政治の舵取りによって経済成長を実現させることこそが重要というところかもしれません。衣食足りてナントヤラ。カルト流行のリスクが高まるのは社会的危機の時代でしょうから(戦前日本の赤化の原因にも昭和恐慌とか農村の窮乏とか…ありましたよね?)


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ラベル:読書 柿埜真吾
posted by 蘇芳 at 13:20| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする