チャンネルくらら から。
動画概要:
2021/01/07
Amazon:月刊正論2021年2月号(スクープ:中国の「隠滅」指示全文)
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産経ニュース:
【外交文書】日本政府、天安門当日に共同制裁「反対」 宇野首相「中国孤立は不適当」
【外交文書】自民は対中融和を評価 天安門事件 「極楽とんぼ」批判も
お説ごもっともなので特につけ足すこともないですが。
ついでというのもアレながら、東京裁判史観というなら、江崎さんも関係した(序文末尾の謝辞に名前が挙がっている)、佐藤和男「世界がさばく東京裁判 https://amzn.to/38u3PIt」なども未読の方は入手可能なうちにサクッと読んでおいてください。
本書ではまた、アメリカの正義(裁判)も裁かれているのである。そして最終的に敗れ去ったのは、アメリカの正義であったことを証明している。エドウィン・O・ライシャワー
歴史家は、東京裁判の判決が、国際法と正義を大きく前進させたという考えを疑問視するかも知れない。コーネル大学教授シュレーダー
この戦争裁判があまりにも不公正であり、報復的にすぎたため、国際法は進歩を阻害されたばかりか、その威信はまったく地に墜ちた観がある。たとえば、その後に起きたベトナム戦争で明らかに毒ガスやBC[生物学・化学]兵器が使用されたにもかかわらず、国際法は眠ったままであり、ハンガリー事件、ベルリン事件、キューバ事件、あるいは中印国境問題やアイヒマン事件など、相次ぐ国際的重大紛争や事件において、明瞭に国際法に抵触している点があるにもかかわらず、誰れひとりそれを口にするものすらいなくなった。あたかも、国際法はあって無きがごとくである。田中正明
ニュルンベルク以来、もう八十以上の武力紛争がございまして、六十ヵ国以上がこれに関係しております。ですから、少なくとも三十ヵ国が侵略国となっているわけです。と申しますのは、こういった武力紛争の半分が、こうした侵略を仕掛けたわけですから。(中略) 実際に、政治指導者のなかで、東京裁判もしくはニュルンベルク裁判のこういった法によって自分たちが抑止されていると感じている人は、誰もおりません。「最終的に敗れ去ったのは、アメリカの正義であった」のだとすれば、勝利者はつまり「不正義」、クヌート・イプセン
その「不正義」のヤカラが、何をやったか、やっているか。
産経ニュース:答え合わせが進んでいるのが、現状かもしれませんし、実証史学の腐敗・堕落・歪曲もまたその「答え」のなかの一つなのでしょう。
【外交文書】日本政府、天安門当日に共同制裁「反対」 宇野首相「中国孤立は不適当」
【外交文書】自民は対中融和を評価 天安門事件 「極楽とんぼ」批判も
東大憲法学がカルトでしかない実態は、在野の著者によっては、玉石混淆ながらわりと明らかにされてきたようにも思いますが……
マトモな歴史学のためには、同時に、マトモな法学もまた必要ということか。
そして、それらを成立させるために必要なのは……共産主義や、それを含むカルトそのものの解明と解体、なのかもしれません?
竹山道雄の「第二現実」なども思い出す次第です。
人間はナマの現実の中に生きているのではなくて、彼が思い浮かべた現実像の中に生きている。もし彼がはげしい要求をもっていると、彼はこの現実像をただ要求にしたがって構成して、それをナマの現実とつき合せて検討することを忘れてしまう。かくて、いわば「第二現実」とでもいったようなものが成立する。これは映画に似ている。すなわち、ある特定の立場から材料を取捨選択してモンタージュしてでき上ったものであり、現実を写しながら現実とは別なものである。この映画は、それ自身の中に因果の法則をもち、筋書をもち、昂奮させ陶酔させる。……進歩主義的世界像も「第二現実」というタイトルをもった映画である。
昭和五十四年七月号の雑誌「心」に、哲学者高山岩男氏が戸坂潤氏と議論をした回想を記している。昭和十年頃のことだったらしい。それを引用すると……
……少々私(高山)も議論を吹きかけ、歩きながらの議論はスターリン主義のことにエスカレートしました。私はスターリン主義はレーニン主義からも遠く離れているが、マルクス主義からは恐ろしく離れている。あれでもいいのかという議論になりました。すると彼(戸坂)はいいと言う。なぜいいのだと私が訊ねる。その時です。今もなお私の耳朶に残っている言葉を彼は申しました。それは「スターリンが言っているから、それは真理なのだ!」という言葉です。申すまでもなく、これは全体主義、あるいは全体主義的権威主義の立場でのみ吐きうる言葉で、それはたとい宗教の場合はそうであっても、哲学というものでは絶対にありませぬ。理性の立場、哲学の立場の放棄です。
戸坂氏は真摯なマルキシズムの学者で、敗戦直前に獄死し、戦後の青年の尊敬の的だった。
スターリンはこれから後二十余年も神聖不可謬の絶対者だった。戦後になってスターリンの写真が発表されたとき、その髪も髭も白くなってかつての精悍な風が失せた姿を見て、人々は「スターリンでも年をとるのか」と驚いた。スターリンを疑うことは大不敬罪にあたっていたが、死後三年たって、彼は大犯罪者であったと暴露された。
スターリン崇拝は、まさに「第二現実」の中をさまよう代用宗教だった。
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