2020年11月02日

藁人形

この手の話はするなと「ばっちゃが言ってた」系の番外駄文です。縁なき衆生はテキトーにスルーよろしく。
産経ニュース:大阪都構想再び反対 菅首相の政権運営にも影響
否決されましたな。

私見ですが。

賛成派は「都構想」を問い、反対派はそのはるか以前の「維新」を問うたようにも見えます。

実際に否決された以上、敗北した賛成派の側こそが、失敗の本質を見極めるべきであるように思います。

「維新」への「不信」を払拭できなかったこと。
むしろ、維新への「不信」に対して、愚か者の妄想というレッテルを貼って罵るばかりで、払拭しようとさえしなかったこと。
それがなおさら、「不信」を増幅する結果になりはしなかったでしょうか?


「都構想」に反対というより、「維新」が胡散臭いと感じている大阪市民のすべてが、チャイナガーケケ中ガーハシシタガーシンジユウシュギガー、という、的外れな「デマ(必ずしも当方はそうは思いませんが)」に踊らされた愚か者だけだったのでしょうか?
それはあまりに相手を矮小化する、藁人形論法ではないでしょうか。
「反対派」を藁人形に仕立て上げるだけでは、「議論」もまたイデオロギー的罵り合いに矮小化されるだけであって、ために、反対派の本当の不信の解消へと、話を進めることも困難になるのではないでしょうか。
わざわざそのイデオロギー的分断の構図を作り上げたうえで、松井市長という一方の当事者が(上の引用ツイート中の引用ツイートのように)「トラストミー」をくりかえすだけでは、反対派の有権者に刺さらない・響かないのも当然ではないでしょうか。

維新の「問題」は従来からいくらでも具体的なトピックが指摘されており、その中には、国家観やイデオロギー以前の、いわゆる「非常識」かつ非イデオロギー的な「問題」もあったはずですし、維新に対する根強い・根深い不信の根源には、むしろそうした非イデオロギー的な「問題(というのがイヤなら「疑惑」にとどめてもよいですが)」もまた、深刻だったようにも思えます。
いたずらな罵声の応酬に陥らず、「議論」を前にすすめたいのであれば、積極的賛成派こそが、チャイナガーケケ中ガーハシシタガーシンジユウシュギガーニジュウギョウセイガージュウミンサービスガー、など、表だって罵り合われた「デマ」以外の「疑惑」について、真剣に向き合うべきだったのではないでしょうか。

大阪市民の声については個人的に面白いと思えるものが一つ見つかったので、あとでリンクを貼っておきますが……
大阪市民ではない当方の目から見ても、イデオロギー以前にオカシイと思える、維新の「疑惑」は様々あります。
その中から特に非イデオロギー的なものを選別し、さらに特に深刻と思える疑惑を厳選すれば、たとえば、次の三つがあげられます。

「パーミル」
「K値」
「特定個人ブログへの言論弾圧」

パーミルとK値は、いずれも、数字の嘘の類です。
数字は嘘をつかないが、嘘吐きは数字を使う、と、言われますが……
維新はさておき一般論として。もしも一度ならず二度までも、数字の嘘をもてあそんだような集団、それを常套手段にしているような集団があったとして、そんな人たちが、またぞろ「オイシイもうけ話」を持ってきたとしても、はたして、耳を傾ける価値があるでしょうか?
(政官財の上級国民を批判する人たちがよくつかう「民間企業だったら~」の論法で考えてみてください)

パーセント(%)は百分率、パーミル(‰)は千分率、10倍違う単位です。
10倍違う単位としては、センチメートル(cm)とミリーメトル(mm)などもありますし、より身近でしょうから、それをつかってたとえてみれば……
たとえば、「あいつらは30しかないんですよ、それにひきかえ、ウチは80もあるんです、すごいでしょー」とでも、言ってみましょうか。
何やら「ウチ」のほうが大きく見えますが……
しかし、その「30」が実は「30cm」のことであり、「80」が「80mm」のことであったとしたら、どうでしょう。
とてつもないインチキということになりませんか?
単位をゴマカセば、こんなことはまだまだいくらでもできます。
そこまで極端かつあからさまかどうかはさておき、どうも、それに近いことを維新はやったのではないか、「常套」的にやっているのではないかという「疑惑」が、従来から伝えられています。
日刊ゲンダイDIGITAL:【松井一郎】大阪W選で維新が“誇大広告” 教育関連チラシで実績カサ上げ
#パーミル維新
統計の嘘なる「大学の教材」にまでなったというのが、本当なら、笑い話にもなりませんが(まあ、「大学」というのもイデオロギー的には疑惑の的ですが)、これが事実であれば、「都構想」の「数字」もまた疑いの眼で見られても仕方ないということになりはしないでしょうか。
であれば、都構想賛成派は、まずその「疑惑」「不信」に対して、罵るのではなく、説明すべきではないでしょうか。あのチラシは、デマやニセモノやフォトショの類なのでしょうか? それなら、日刊ゲンダイ=講談社に対して「誤報」の撤回を申し入れるなり何なりすればいいでしょう。

数字の嘘が一度であれば、出来心ですむかもしれません(民間企業だったら~論法で考えれば、とてもそうは思えませんが、百歩譲って)。
しかし、一度ならず二度までも、では、言い訳のしようもありません。
新型コロナの収束を予言すると豪語したあげく、予言が外れるたびに数値・グラフを修正し、的中した的中したとくりかえす、不可解な「K値」なる数字の存在は、記憶に新しいところでしょう。
このK値の旗振り役ともなった、「(動物の)(レトロ)ウイルスの専門家」の先生が大阪の対策会議に呼ばれたとか、ネット上で批判されるその先生を自身のyoutubeチャンネルに招いて褒めちぎっているのが維新の国会議員だとか……なかなかカオスな状況があるようです。
K値は疑似科学
政治問題
宮沢孝幸氏の主張
#K値は疑似科学
#K値を糾弾しよう
note:久しぶりに検索してみたら、「K値」界隈がひどい感じになっていて、びっくりした件。|HT|
note:宮沢孝幸氏のツイートを見て、K値考案者中野貴志教授の定義する 「Rw」 とは何かを調べてみたら、やっぱり実効再生産数のようなものだった件。|HT|
勝川俊雄公式サイト:K値による予測を使うべきでない理由
余命三年時事日記考:8440. 大阪は日本一
余命三年時事日記考:7918. K値と心中2
余命三年時事日記考:8413. 柳ヶ瀬議員の資質
余命三年時事日記考:8152. 大阪の失敗
余命三年時事日記考:8468+. 新型コロナウイルスを知らないウイルス学者
余命三年時事日記考:8049. ピーター・デューズバーグの罠
PRESIDENT Online:「イソジンに効果あり」浮かれて発表した吉村大阪府知事から漂う"軽さ" どうしても「進次郎臭」を感じさせる (3ページ目)
kojitakenの日記:「K値」応援の旗を振る京都大学・宮沢孝幸准教授は「ネオリベ的心情をもつとんでもない俗物」なのではないか
ニッポン放送 NEWS ONLINE:「あれは“やらせ”です」大阪専門家会議で“天を仰いだ”吉村府知事について辛坊治郎氏が持論
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なかなかピンポイントでわかりやすいまとめがなくて引用だらけで恐縮ですし、全体像の把握のためにも維新やK値からはみ出すリンクも含まれているかと思いますが。
「大阪会議」という政治が絡むだけに、場外乱闘もあるかもしれませんが、いずれ、K値の「筋の悪さ」は歴然でしょう。
それを確信犯で「利用」したなら悪質ですし、こんな見えすいたカーブフィッティングにコロッと騙されたというのであれば、それはそれであまりに「迂闊」にもほどがあり、いずれも、政治的リーダーとしての資質に疑問が呈されても仕方無いように思います。

上で触れておいた「個人的に面白いと思える」「大阪市民の声」というのも、実は、この方面と関係するのですが。。
ツイートが大量なので、悪魔さんのとこのまとめをお借りしておきますが、
余命三年時事日記考:8547. 維新と通報さん
実際に投票に行ったという大阪の方の声のなかで、都構想の賛否以前の維新への不信について、ケケ中でもハシシタでもチャイナでもなく、維新の「能力」を問う声として、賛成派こそが、耳を傾け、罵声ではない反論なり何なりしてみてもよい「声」のひとつではないでしょうか。
特に大阪維新が「経済を回せ」という至上命題を優先してコロナ対策を誤った結果、かえって経済的ダメージを受けたという指摘については、真 面 目に向き合う責任を負う”べき”自称識者の方々も多いように、個人的には思います(実際に向き合うほど責任感のある御仁が実在するかどうかは知りませんが)。

何しろ、5年前は、このように考えていたという大阪市民が、

今はこれだけ怒っているというのですから、なおさらです。



長くなったので、非イデオロギー方面から見た維新の「疑惑」、最後はテキトーに目についたリンクだけ貼ってすませておきますが(どこまで妥当なまとめかどうかは未確認)。
Togetter:保守速報さん「維新にブログが潰されるかもしれません」「今後、大阪市と争う事になると思います。資金が必要です」と支援を訴える
相手方のサイトはサイトで毀誉褒貶あるのかもしれませんが。
行政が個人ブログを相手にこのような「狙い撃ち」をしていること自体が異常。
思想の「良否」ではなく「自由」の問題として、次の有名な述懐を思い出すべきではないでしょうか。
Wikipedia:彼らが最初共産主義者を攻撃したとき
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
納得できる見解の提示でもあれば別ですが、作家や評論家といったいわゆる「言論人」が、この件を単に「スルー」して維新を支持するのであれば、当方としては、その人物の「言論」に対する姿勢自体を、疑いの眼で見ざるをえない気がします。





ついでにこれも貼っておくか。


「税金は余ってます(ワタセ風)」
って言っておけばいいのかしら。。
posted by 蘇芳 at 15:59| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする