2020年10月04日

かわいい女帝


久しぶりに「続日本紀」を、読み返すというほどでもない、パラパラと見かえす機会がありましたが……
本というのはやはり、見かえすと、前に読んだときには見落としていたような発見が、いろいろ、出てくるものですな。。

父帝・聖武天皇の在世中の、孝謙天皇は、父帝と同じように深く仏教に帰依し、父帝の望むままに皇位を継承し、父帝のお定めになった皇太子・道祖王を受け入れて、波風もなくお過ごしでしたが。

父帝が崩御あそばすと、途端にその道祖王に言いがかりをつけて廃位し、橘氏をはじめ先帝時代の重臣たちを弾圧しはじめるわけで。。
このとき、手を組んだ相手は藤原仲麻呂。母后・光明皇后を介して、母方のいとこにあたります。
つまり、父帝の崩御と同時にというか、それを機に、父帝にかわって、母后の存在や人脈が生きてくるようになった、と、見えないこともありません。
その後の女帝は、母后への孝養を尽くすことを理由に、淳仁天皇に譲位され、実際、母后の在世中は、おとなしく孝養をお尽くしにもなり、仲麻呂とも淳仁天皇とも波風なくお過ごしでした。

しかして、その母后がおかくれになると、今度は、また、途端にその淳仁天皇に言いがかりをつけて廃位に追い込み、仲麻呂との関係も急速に悪化し、恵美押勝の乱にまで至るわけで。。
このとき、手を組んだというか、女帝が深く深く偏愛された相手が、言わずと知れた、逆賊・道鏡。
以後、和気清麻呂の義挙によって道鏡が排除されるまで(されてもなお?)、女帝は道鏡の言いなりといってもよい状態が続き……
つまり、このときもやはり、母后の崩御と同時にというか、それを機に、母后にかわって、新しい別の誰か(この場合は道鏡)の存在が大きく膨れ上がって、女帝の行為や意思を左右するようになった、と、見えないこともありません。

新田部親王VS舎人親王、長屋王VS舎人親王、橘氏VS藤原氏、そして玄昉や道鏡といった仏教政治勢力VS藤原広嗣や和気清麻呂といった対抗勢力……などなど。奈良時代の政争には、いくつもの対立軸が発見でき、いろいろな説明が可能でもあるのでしょうが。
こうしてあらためて見返してみると、まさにその「対立軸」がブレブレで、「敵」も「味方」もコロコロと入れ替えていかれたのが、孝謙・称徳天皇という特異な女帝のあり方だったように思いますし……
そして、その女帝の変転のきっかけになった出来事は、ほとんど常に、「保護者」の喪失(交代? 変更?)だったようにも、思えてきます。

こういうことをいうと自称愛国者という名の右翼全体主義者の顰蹙を買うかもしれませんが……しかし、孝謙・称徳天皇というのは、「もう女帝はコリゴリ」と、以後850年にわたって女性天皇の登場を見なくなっていく、その原因ともなった女帝なのですから、贔屓の引き倒しで褒めたたえてばかりいる場合でもないでしょう。また、日本の正史は、皇室にとって都合の悪いことでも隠さず書いてあるくらい正直で信頼性が高いのだ、というのが、右側方面の自慢でもあったはず。なので、言ってしまいますが……

結局のところ、孝謙・称徳天皇という方は、依存心が強いというか、常に「保護者」を必要とするタイプの方だったのではないかなー、と、思えてきます。(あるいは実際、仏教にハマってしまわれたように、信者体質というか、教祖サマに帰依せずにいられないタイプの個性の持ち主だった、と言ってもよいでしょうか?)
孝謙・称徳天皇に、もう少し、自立心とか、確固とした自らの意志、定見のようなものがあれば、こう何度も180度真逆と言ってもいいくらいの政治的掌返しをくりかえすことはなくてすんだのではないか。政治を司るのだから、何らかの弾圧は行われたにしても、もう少し一貫性のある弾圧が可能だったのではないか。少なくとも、左を弾圧したと思ったら返す刀で右を弾圧し、そうかと思えば今度はまた……と全方位に次々に弾圧の相手を取り換え、結果、あとには何も残らない(天武系皇統の事実上の断絶)などという事態にまでは、至らずにすんだのではないか、と……思ってしまうのは、当方だけでしょうか。

これは、空想ですし、もっと言うなら不敬な空想ですが……

神託事件のあと、道鏡は左遷されただけで命までは奪われずにすみ、やがて女帝のほうが先におかくれになりますが。。
もしも、現実とは逆に、道鏡の方が女帝より先にこの世を去ることになっていたら、”残された”女帝は、その後、どうされたでしょうか?
おとなしく道鏡の菩提を弔って余生をお過ごしにでもなったでしょうか。それとも、また、別の誰かをあらたな「依存先」として見いだして、道鏡時代のことなど忘れたように、あたらしい「敵」と「味方」を発見してでもゆかれたでしょうか?
散文的な当方ごときの想像力では特にこれといったイメージも湧きませんが……
ただ、無責任な連想としては、つい、チェーホフの「かわいい女」などを、ふと、思いだしてしまったりは、しないでもありません。

孝謙・称徳女帝の不安定さは、奈良時代の政争の火に油を注いで、皇族・廷臣はもとより、不破内親王や井上内親王など女帝自身にとっての「身内」をも含めて、多くの人々を不幸にしたと思いますが……
同時に、やはり、女帝自身も、皇位になどおつきにならないほうが、かえって幸せをつかみやすかったのではないか(つかめたとは限りませんが)、と、思ってしまうのは、あまりに現代的な発想にすぎるでしょうか?

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posted by 蘇芳 at 15:53| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする