2020年08月12日

【産経ニュース】〈独自〉「回天特攻隊員の遺書」作者存在せず 元海軍士官が創作疑い


まだ「疑い」とのことなので何とも言えませんが、万一これが事実とすれば、他の遺稿の「信憑性」まで攻撃する口実を与えかねない由々しい事態。
産経ニュース:〈独自〉「回天特攻隊員の遺書」作者存在せず 元海軍士官が創作疑い
8月という時期が時期だけに、報道の意図も疑われますね(アレな御仁はどこにでももぐりこんでいますし)。。

ただ、報道の真偽はさておき。「遺書」の全文を見ると、確かによくできていますが、ちょっと「丁寧」に「説明」しすぎている気もしないでもありません(後出しジャンケンで恐縮ですが)。

当方も、靖国神社の「英霊の言乃葉」なども何冊かは目を通していますし、市販の遺稿集の類は何冊か持っていますが。。
それらを読むと、たとえタテマエであったとしても、(あるいはタテマエであればこそ)、ものの「わかった」軍国の父母さまに対して、「なぜ特攻に行くのか?」などという「そもそも」論を、今さら微細を尽くして「説明」しようとしている遺書というのは、それほど多くなかったようには思います。
「本物」の遺書には、むしろ、軍人を志したからにはこの日を迎えるのは「当然」とか、日本一の父母さまも「当然」おわかりのはずとか、今さら言い残すこともないとか、ただ心残りは山より高く海より深い父母さまの~とか、この上は君国への「忠」をもって「孝」に変えますとか……今さら言うまでもない、として、「説明」を省いたものが多かったように、個人的には思います。
(「具体的」な説明というよりは、一種「抽象的」な道徳的な文章が多かった、とさえ、言えるかもしれません?)

”自分が行かなければ母さまが死んでしまう、
自分が行かなければ、年老いた父さままで銃をとって戦うことになる”
などと……
確かに「思い」はそうだったかもしれませんが、「なぜ特攻に行くのか?」を、今さら、こうまで噛んで含めるように詩的に具体的な言葉にして言って聞かせる「遺書」というのは、わりと珍しいような気はします。

この「丁寧」な「説明」を読むと、モノのわかった立派な父母さまではなく、むしろ、ものの「わかっていない」相手――軍国の道理(何ならタテマエでもいいですが)を共有していない相手――に向けて書かれたもののようにも思えてこないことはありません。
まだ「疑い」とのことですから、真偽の断定はできませんが、もし、この遺書が「創作」であったとしたら、それはそれで、実は戦後の「わからずや」どもにこそ読ませようとしたものとして、解釈することは、容易かもしれません。

裏を返せば……
それだけ「わかっていない」、したがって「伝わらない」、戦後の世相に対しての「いらだち」やそれに類した何かが、その裏に感じ取れるとでも言うべきでしょうか。。
もしも万一この「遺書」が「創作」だったとして、(それ自体は許されないことだとしても)、この人をそのような行為へ追いやった「戦後」という時代の様相もまた、厳しく問い返されなければならないような気がします。

かくまでも 醜き国に なりたれば 捧げし人の ただに惜しまる


(それにつけても鶴田浩二の「同期の桜」のように、最初から「創作」とことわりがあれば、特に問題もないでしょうに……むしろそれだけの「遺書」が書けるということは、それだけ回天の乗員たちのこころを理解している、接近している、とさえ言えるかもしれませんでしょうに……もしも本当に報道が事実だとすれば本当にいろいろな意味で残念です)
ラベル:大東亜戦争 特攻
posted by 蘇芳 at 14:31| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする