CityIchihara から。
動画概要:
2020/03/31
市原市には、「更級通り」「上総更級公園」など、「更級」の名がつく場所がありますが、なぜそのような地名が付くか知っていますか?
平安時代中頃に菅原孝標女によって記された『更級日記』に当時の市原市が登場することから、更級日記旅立ちの地にちなんで命名されました。2020年はその『更級日記』の作者菅原孝標女の旅立ちから、ちょうど1,000年となる節目の年にあたります。市では「更級日記千年紀」として様々な事業を行う予定です。
動画では、『更級日記』と市原市の関係を解説しながら、上総国への作者の想いを紐解き、当時の市原市の姿を探ります。
より詳しい『更級日記』の内容については、更級日記千年紀特設ウェブサイトをご覧ください。
https://sarashina-sennenki.com/
ということで、どこを起点にとるかによってどうとでも言えますが、2020年は「更級日記千年紀」だそうで。
「更級日記」いいですね。。
古典を山ほど読んでいるわけではありませんが、読んだなかでは、かなり好きなほうで、何度か読み返しています。
最初は現代語訳なども参照しましたが、一回大意をつかんでしまえば、わりと原文もすらすら読める一冊かと。
ちなみに「風立ちぬ」とかで有名な堀辰雄は「かげろふの日記」をはじめとする王朝物もいくつか書いていますが、そのうちの一本「姥捨」(https://amzn.to/3cTSe4nあたりに所収)が、この「更級日記」を下敷きにしたもので。。さらにその創作の裏事情を語った「姥捨記」というエッセイもあったりするのですが(https://amzn.to/2XQz4bdなどに所収)、その中で、本書を堀自身にとっての「少年の日からの愛読書」であると語ると同時に、佐藤春夫や保田與重郎もこの日記を「大へん好んでいられる」ことを報告しています。
ある種の作家・ロマンチストにとって、かなりひきつけられる一冊なのかもしれません。
ちなみに古典の文庫本とかを買うと、巻末に、学者センセーの書いた解説とかがつきもので。史実的な面や、校注方面のアブラカダブラについては、まあ、いいのですが。本文の「鑑賞」については、センスのカケラもない下らねーことが書いてあって興ざめすることが多々あります。
本書についても、そうですね。。
これはまあ、学者センセーにだけ限った話でもないかもしれませんが、特に本書の場合、作者の表面的な身振りをあまりに素直に鵜呑みにして、さみしい晩年だの、仏道が云々などと言いだす人がいるのを見ると、個人的には、しばしば首をかしげたくなります。
確かに、「田舎育ちの無邪気なオタク気質の女の子が「物語」に憧れてあだな夢を見ながら人生を浪費したものの、現実にそんな夢物語のような出来事が起こるわけもなく、いろいろ裏切られて幻滅して、こんなことならもっと真面目にやっときゃヨカッタと今さら後悔してもはじまらず、今はただ一心にミホトケを念ずるのでございます、嗚呼」という……表面的に見れば本書の展開はそういう感じかもしれませんし、著者もしきりに不信心だったオバカなアテクシを詠嘆したりもしてはいますが。その後悔や詠嘆がどこまで本物だったかというと、かなりアヤシい面もあるのではないかと……思います。
何となれば、若い頃の自分は愚かだった、と言いつつ、本書においては、まさのその若い頃の描写が、あまりにも美しすぎるのですよねぇ。猫の話とか月夜の姉の話とか、病気の乳母の話とか、遊女の話とか。大切な思い出を宝物のように慈しんでいるようにしか見えない……のは、当方だけでしょうか?
また、上総から京へ上る途中、いくつかの土地の伝承などを書き留めている部分もあるのですが、なかでもかなりの紙幅を割いて詳細に報告しているのが、火焚きの衛士と皇女の駆け落ち(?)というか何というかの物語。皇女のほうが自分を誘拐しろと男をそそのかしたり、追っ手を説得しておい返して、男と添い遂げてしまうという、なかなかアグレッシブなお姫サマのお話ですが。
京への旅自体は少女の頃ですが、それをこうして書き綴っているのは、50代の、当時の基準ではご老体になってから。
そんなお年を召してから、あらためて、長々とこのロマンチックな伝承を書き連ねる作者の意図が、「こんなおバカなお話に現を抜かしていたおバカなアテクシ」を云々するためとは、とうてい思えないのは当方だけでしょうか。男が皇女を背負って夜道を駆けていくイメージなど、どう考えてもメロドラマに陶酔しているというか、仏道に精進しているよりは、ありかわらず文学趣味の妄想・煩悩に耽溺しているといったほうが近いのでは?と思えます。
晩年の著者は、いろいろなお寺にお参りしていたりもするのですが、当時の貴族女性の神社仏閣参拝というのは、数少ない外出の機会であり、物見遊山を兼ねたレジャーの面があったとも言いますし、実際、本書の描写も、お寺にたどり着いて何したとか仏像を見てどうしたという話はサッパリで。お寺にたどり着くまでの道中で道行く人がどうだったとか、泊まった家がアヤシかったとか、そんな話ばかりが精彩を帯びていますし、お寺にたどり着いてからの描写として出てくるのは現実ではなく夜に見た「夢」の話ばかり。その「夢」のお告げも、では、言われる通りに致しませうと、そこから発心・求道に走るというほどでもなく、あの夢を真面目に受け止めていればよかったのにオバカなアテクシは~と、同じ詠嘆の種になるだけなのですよねぇ。
そもそも、学者センセーの解説では晩年の著者は仏道に~ということになりがちですが。実際に本書を読んで、印象に残ったのは、(個人的な感覚的な話から入って恐縮ですが)、むしろ「天照大神」のほうでした。
これはまだ著者が若い頃に、(特に「鏡」のかかわる夢占いのあとに)、ある人に天照大神を信心しなさい~と薦められたので、「天照大神ってどんなカミサマ?」と人に訊ねたら、伊勢や内裏の賢所の神様で云々と教わって~というのですが……
チョットマテ。
本書の著者は言うまでもなく 菅 原 孝 標 女。かの菅原道真の子孫の学者の家の娘です。そんな家に生まれて、「后の位も何にかはせむ」と朝から晩まで「源氏物語」を読みふける元祖ヒキコモリ系オタク女子の鑑のような著者が、よりにもよって「天照大神」がどんなカミサマだか、知らないわけがあるでしょうか? というか、伊勢の斎宮、登場しますやん、「源氏物語」にも、その参照元の「伊勢物語」にも。
伊勢神宮とその神様について、源氏オタクが知らないはずもありませんし、よし幼い頃には知らなかったとしても、夢中で読みふけっているうちには、そんな夢など待たずとも、とっくに誰かに聞くなり何なりしているはずです。
ですから、この夢で「天照大神」うんぬんという本書のエピソードは、トボけて知らないふりをしているだけで、つまり、そこにはかなり作為的なものがあるのでは?と思えます。
では、その「作為」は何なのかというと、なかなかハッキリはしませんが。ただ、一つ指摘できることは、本書の中でも特に有名な場面にも、やはり、「伊勢」が登場していることでしょう。
平凡な生活を送り、子どもの頃に憧れた物語めいた出来事なんぞ、現実にはありえないのだワ、とあきらめていた著者の人生に降ってわいたように一度だけ訪れた物語めいた香気ただよう出来事として、源資通との邂逅があった、とか何とか。
当時、女房勤めをしていた著者と同僚の前に、ある夜、偶然通りかかった、そんじょそこらの男どもとは一味も二味も違う貴公子と、春秋の優劣などそれこそ「源氏物語」にでもありそうな雅な談義を交わした、という場面ですが……ここでそのお相手の貴公子こと源資通が「冬」の情趣について語る際に引き合いに出した自身の経験が、公務で伊勢の斎宮に下向した(斎宮の御裳着の勅使にて下りし)ときのこと。
著者にとってこの夜の邂逅が特別だったのには、源資通の態度人品骨柄が優れていたことや、交わした会話が上品で風流だったことに加えて、伊勢の斎宮への勅使という、長年夢中で愛読した「物語」から抜け出てきたようなこの経歴も、大きく作用していたのかもしれません。
「源氏物語」「伊勢物語」「伊勢斎宮」「源資通」、これら夢物語と自分自身を結びつけるために、要請され作為された、か細い一本の糸こそ、先述の天照大神の夢なのかもしれない……と言いきっていいのかどうかはワカリマセンが。
本書を書きあげた後の著者の実際の末路がどうだったのかはさておき、こうした文学的修飾を散りばめながら、過去の思い出を宝物のように美しく描きだす、本書執筆当時の著者の姿勢が、文中の求道や詠嘆の身振りそのままのものとはなかなか思いにくく、それこそ堀辰雄の創作の主人公のように「私の生涯はそれでも決して空しくはなかった」という凜とした声のほうが、通奏低音のように聞こえてくるような気もするのです。
急にどうしたという感じの記事で、オチもありませんが。。
日本の心を~とかいうブログですし。たまにこういう記事もあります。
(久しぶりに明和町の動画が更新されていたのもチョットあるかな~)
Amazon:
更級日記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
更級日記 (岩波文庫)
更級日記 (対訳古典シリーズ)
本 : "更級日記"
かげろふの日記/曠野 (新潮文庫 ほ 1-3)
大和路・信濃路 (新潮文庫)
本 : "堀辰雄"
斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史