2020年05月15日

【動画】自由民権運動の真実【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第54回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2020/05/13
今回は「自由民権運動」について学びます。
自由民権派と藩閥政府がぶつかりあった自由民権運動。ただ単に不平不満が爆発して起きた運動と思われがちですが、そこにはしっかりとした思想や数々の学びの跡がありました。

神谷さん自身の参政党にせよ、そこに参加している渡瀬氏のリバタリアン界隈にせよ、動画で名前がでている倉山氏にしろ、小異に目をつむって大同を見れば、要は本物の民主政治をやろう、もっというならマトモな政治を手に入れようという、何かそのへんの目的意識に集約されるような気もしなくもなく。


その主旨から言うと、明治維新よりも、むしろその後の民権運動にこそ、より多くを学ばなければならないはずという気もしますし、その民権運動のルーツ(民撰議院設立建白)が征韓論~西南戦争の流れと密接に関連していることを思えば、西郷・大久保の対立を単なる悲劇的挿話として消費しているだけではすまないような気にもなってきます。

しかしながら、明治維新は、小説的・大河ドラマ的・浪漫主義的なヒロイズムのアイコンでもあり、多くの自称保守が過剰に情緒的な反応を示し、しばしば無批判な礼賛に陥りがちな気もしないでもありません。
そうした浪漫的な態度は、明治維新への強烈な批判から出発した自由民権運動を語る際に、サヨクとはまた別の色眼鏡として作用してしまう危険はないか?
自称保守界隈において、明治維新に比べて、自由民権運動への注目が弱いように見える理由も、そのあたりにありはしないか?
その点、神谷さんも斎藤先生も、維新の志士や明治の元勲への思い入れは強そうですから、若干、注意は必要な気がしないでもありません。

実際、論旨が微妙にねじれているようにも見える動画でした。

斎藤先生のお話は、教科書では、政権が「悪」で民権派が「善」になっている、しかし実際はそうではない、という主張から始まって、結果、動画全体のトーンは、政権側も「悪」ではない、という、藩閥政府擁護のトーンで貫かれています。
つまるところ、動画タイトルの「民権運動の真実」というよりは、「帝国政府の真実」に近い内容。
しかし、そこまで政権側を擁護するというなら、必然的に、民権派を批判するトーンにもならざるをえないでしょう。政権側の主張が、大所高所から見た漸進論だというのなら、そのハイレベルな議論についてこれない民権派がバカなのだ、というニュアンスが言外に漂わないわけはなく、あとから、民権派「も」正しいなどと言ってみても、取って付けたようにしかならない気がします。
実際、一方の神谷さんが話し始めると、民権派は暴れているだけかと思ったら、実はちゃんとした思想があって~と、急に民権派も「善」だというトーンの話になってきますが……今ひとつ話がかみ合っていないというか、話がすり替わったような気さえしなくはありませんでした。

そもそも、これでは両者の対立は、単なる漸進論と急進論の差異だけに還元され、そもそもなぜ民権派が「暴れ」ていたのか、「暴れ」なければならなかったのか、逆に、肝心のところがぼやけてしまうのではないでしょうか。

左翼的な反権力の闘争史観を批判するのもよいですが、一方で、二言目には明治の元勲はエラカッタ、と、いうのも、はたして、どうか。
(ご本人にその気はないのでしょうが、二言目には五か条の御誓文の(つまり明治大帝の)権威を、明治の元勲の正当化にだけ使うのもこずるいやり方と見えないことはありません。民権運動の側に言わせれば、藩閥政府こそまさにその御誓文の主旨に背いているのであって、民権派こそ御誓文の聖旨を実現せんとするものであり、いわば(倉山語録を無断借用すると)「陛下の野党」をもって任じていたのではないでしょうか)

帝国憲法といえば、一にも二にも伊藤博文が云々されますが。。

しかし、そもそも、政府が憲法制定と議会開設を約束せざるをえなくなったのは、大久保の死や民権運動の盛り上がりだけではなく、官有物払い下げ問題で追い詰められたから、という、身も蓋もない理由もあったのではなかったでしょうか。逆に言えば、そこまで追い詰められなければ、議会も憲法も先送りにされていたでしょうし、政治における「先送り」などというものは、往々にして、永遠に実現しないことの別名でしかなくなるものではないでしょうか。

藩閥政府や官僚の側にも志はちゃんとあったんです、ただ頭が良かったから漸進的だっただけです、というのは、畢竟、エリート主義であり、その裏返しはつまり愚民観ということになるような気がするのは、私だけでしょうか。
この種の擁護が、政権与党内のマトモなグループに「期待」して「応援」しましょう、といった結果、いつまでたってもマイクパフォーマンスだけで何一つ実現しない、という……現在進行形の状況と、ダブって見えなくもない今日この頃です。


藩閥政府も志は同じなのだから応援しよう、保守はナカヨク、と、みんながモノワカリのよいことを言っていたら、諸外国の憲法調査のための伊藤博文の外遊は、はたして、彼が生きているうちに実現したでしょうか??
歴史にIFはありませんが……
民主主義を「唱える」だけではなく「実現」することが目的なら、敵対して「暴れる」勢力も、当然に、必要なのかもしれません。
問題は、その「対立」の意味が、左翼的な信仰にもとづく、国家転覆ではなく、むしろ正反対の国家確立だったことを、押さえておくことではないでしょうか。民権即国権。

われながら、混乱したわかりにくい物言いになって恐縮ですが……そのわかりにくさを整理しておかないと、戦前、昭和維新が国体の衣を被った共産主義みたいなものになりはてたカラクリをくりかえしかねない悪寒を感じるのです。
アゴラ:日本で「小さな政府」論が起きないのは司馬史観が原因 — 渡瀬 裕哉 –
現代日本人の歴史観に大きな影響を及ぼした司馬遼太郎の作品は日本の近代化が一部の英雄によってのみ実現したという英雄史観に立脚したものです。政治家の中にも『坂の上の雲』等を愛読書として挙げる人間が多いように、民衆レベルでの司馬史観への支持はかなり厚いことが分かります。
ただし、司馬史観が称える人物は維新志士や藩閥官僚などです。彼らは大きな政府・中央集権を推し進めた人々であり、民衆から自由と自治を奪ってきた人々と言えます。これは司馬史観が、明治国家の建設と近代化の歴史に民衆が寄与していない、かかわりのないものであったという物語だということです。いわゆる超然主義に基づく物語です。

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posted by 蘇芳 at 15:59|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする