2020年02月07日

【動画】坂本龍馬と大政奉還【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第47回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2020/02/05 に公開
いよいよ幕末へと突入していきます。ご存知、坂本龍馬の登場です!
龍馬はいがみ合う薩摩と長州をまとめ上げ、どのようにして、尊王大攘夷へと進んでいったのでしょうか?31年というこれまた短い生涯で龍馬が成し遂げた大政奉還について学びます。
龍馬が影響を受けた人物は?そしてそこには吉田松陰も関係しており…

神谷さんが楽しそうで何よりです。
「龍馬プロジェクト」とかやってる人ですしね。。
何でしたら著書もチェックしてみてください。
Amazon:坂本龍馬に学ぶ「仲間をつくる力」
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私自身はそんなに龍馬に詳しいわけではないので特につけ足したいこともありませんが。。
こちらで書いた「藩論」とか藩の力といった観点から、薩摩とも長州とも違う土佐特有の事情。特にぎりぎりまで徳川に義理立てしようとした山内容堂の、中途半端に優秀なリーダーシップが、大政奉還の背景にも、雄藩でありながら土佐藩が討幕維新の中心になりそこなった背景にも、影を落としているような気がします。と言っておきたい気がします。

薩摩の場合、英明の誉れも高かった斉彬が早世し、遺臣たちに美化される一方、わりと癖の強い久光の元で、西郷や大久保は、ある意味、久光を欺くような形で藩論を武力討幕に導いていきます。
長州の場合、「そうせい公」の綽名のとおり、毛利の殿様が家臣にあまり逆らわない人(例外はあるそうですが)だったので、藩論の統一は、家臣同士のシンプルな「勝負」で決しやすい面があった気がします。
藩のトップの影響が限定的だった分、いわゆる志士の活躍の余地が大きかったのが、この二藩だったかもしれません。

対して、土佐藩は、容堂がワンマン社長的なリーダーシップを中途半端に発揮したがために、武市半平太をはじめ土佐勤皇党は壊滅するわ、四侯会議は投げ出すわ、大政奉還~小御所会議の流れではしきりに慶喜に助け船を出そうとするわ……武力討幕をめざすいわゆる維新の志士にとっては、わりと足を引っ張られる場面が多かった気もします。トップダウンのリーダーシップがかえってアダになった、ある意味、皮肉なパターンでしょうか。

もちろん、世はなべて「あざなえる縄」というか何というか。

そんな容堂のいた土佐藩だったからこそ、板垣退助や後藤象二郎など、薩長とはまた毛色の違った活躍をした人物が輩出されえたという面も、あったのかもしれませんけどね。。
容堂と直接の面識のなかった龍馬もまた、間接的には、やはり、そうした”土佐藩ならでは”の一人ではあったのでしょうか?
posted by 蘇芳 at 02:05|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする