2020年01月30日

【動画】生麦事件と薩英戦争【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第46回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2020/01/29 に公開
ペリー来航から10年、通商条約締結から5年、開港した横浜の近くで大事件が起きました。それが生麦事件です。
薩摩藩とイギリス人が起こしたこの事件はなぜ歴史に残る事件となったのか?そしてその時、薩摩藩・大久保利通が下した武士の決断とは?
明治維新がすぐ目の前という状況の変わりゆく日本の姿が分かります!

毅然として筋を通して戦争までやってみたら、かえって敵が味方になりました、という激熱展開。
反日土下座外交しか見たことのない現代人からは、同じ日本のこととは思えないかもしれませんね。。
その分、英国がなぜこの「戦争(とは英国側は見なしていませんが)」を通してかえって薩摩を評価し接近するようになったのか、その理由というか打算が、現代のわれわれには皮膚感覚ではわかりにくくなっているかもしれません。
その文脈をしっかり押さえることで、現代政治の情けなさにも気づけるとよいかもですね。。


もちろん、この一連の事件は、英国だけでなく、薩摩の側にとっても大きな転機だったわけで。
生麦事件を起こした「久光さんの行列」というのが何のことかといえば、いわゆる「文久の改革」を成し遂げて、意気揚々と薩摩に帰る途中のそれ。つまるところこの事件の直前まで、薩摩は公武合体派であり、一橋派だったわけです。後に敵対することになる一橋慶喜をわざわざ安政の大獄以来の冷や飯食いの境遇から復権させ、将軍後見職につけてやったのが、このときの「改革」ですしね。。
薩摩は薩英戦争で、長州は下関戦争で、欧米の軍事力を知り、無暗な攘夷が不可能だと悟った、とはよく言われることですが。
それは同時に、欧米列強に対抗して国を守るためには、政事・軍事の「近代化」が必要という、前回の斎藤氏の整理でいうところの「大攘夷」への転回をも意味するわけで。旧態依然の幕藩体制の否定、公武合体の否定へと向かう端緒でもあったかもしれません?
それはまた、英国の支援を受けた薩長VSフランスの支援を受けた幕府の武力抗争、という……一歩間違えば、かえって外国に干渉・介入の機会を与えかねな「代理戦争」の危機でもあったかもしれず。
幕末維新は奇跡の綱渡りというか何というか。物理的にもう少し欧州に近ければ、いかな志士がいたとしても、抵抗なんぞしている余地もないまま、アッサリ呑まれていたのかもしれませんねぇ。。

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posted by 蘇芳 at 02:01|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする