2020年01月23日

【動画】高杉晋作・国づくりの大方針【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第45回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2020/01/22 に公開
今回は「高杉晋作」が行った国づくりについて学びます。

吉田松蔭の弟子であった晋作は上海に出向き、西洋におもねる清の実情を見たことで、日本に迫る危機感を抱きました。
日本に戻った晋作は日本を強い国にすべく、行動していくですが…

高杉のエピソードについては某クラヤマミツルとか他の動画もわりと見てきたので、功山寺決起についても彦島の古事記についても、あるいは上海・阿片戦争などについても、あまりつけ足すこともないというか、上の動画で十分な感じですが(特に、最後の、幕末の様々な立場の整理などは、わかりやすくて良かったかと)。

ひとつ思ったことを書いておくとすると、草莽崛起といったところで、奇兵隊を組織した高杉自身は、わりと由緒正しい「藩士」デスヨネー、という気もするわけで。
脱藩浪士なども活躍した時代ではありましたが、薩長土肥と言うように、実際に討幕を成し遂げるためには、やはり「藩」の力が必要だったことも押さえておきたいかと思います。
(草莽の力はその「藩」を動かすために必要だったし、そのためには「藩」に直接モノを言える立場の人間が指導者として必要だった、のでしょう)

だからこそ、功山寺決起のような、「藩論」をめぐる攻防が、後から見れば全国規模での重要性を持っていたことにもなるのでしょうし、逆に藩論の統一に失敗した水戸藩などは、幕末維新の先駆けともなりながら、ついには変革の第一線から脱落していかざるをえなかったのかもしれません。

水戸だけではありません。薩長が武力討幕を決していた時点で、なお煮え切らない山内容堂をトップに戴いていた土佐藩などでも、討幕派はかなり歯がゆい思いをしたかもしれませんし、それが結果的に雄藩同士の主導権争いのなかで土佐が後れを取る原因にもなっていくのではないでしょうか。
さらには薩長土肥と言いつつ、肥前藩(佐賀藩)などは、幕末にどういう志士がどんな活躍をしたのか、今や、一般には、ほとんど知られてさえいない気もします。
(土佐の板垣退助、佐賀の江藤新平や大隈重信などは、むしろ明治時代になってから薩長閥に対峙していくことで有名ですね)
ついでに言うなら薩長のほうにしても、一貫して幕府に苛め抜かれた長州とは違って、薩摩の国父・久光はわりと延々と公武合体派で、彼をだまくらかすために西郷・大久保は苦労をしたとかなんとか。。

草莽崛起、草莽崛起、というと、ネット上の自称保守あたりにはずいぶん威勢の良い掛け声のような使い方をする人も見受けられる気はしますが、だからといって、実際の歴史においては、草莽が直接レジスタンス的に幕府を倒したわけではなく……
草莽の組織化に成功すれば、まず最初にやるべきは藩政改革。草莽の力を背景に、藩論を統一し、藩公を動かして、他藩と連携して、目指すは国政改革。ついにはその国政改革の過程で難癖をつけて幕府を暴発へと追い込み、賊軍として討伐するという、わりと持って回った間接的な手続きを踏んだのではなかったでしょうか。

組織化した草莽の力を、(直接的な軍事力にとどまらず)、藩公・藩論を動かす「政治力」へと結集し、その「藩」の力をもって国政を改革する、という……名のある志士たちの、地味で粘り強い行き方にも学ぶべきものが多い気がします。
それこそどこかの自称保守チャンネルみたいにデモとかやってる暇があるなら、政党でもDIYしろというか何というか。。
先だっての「JUIS2019」などで「グラスルーツ」を云々するならなおさらでしょうか。
(平成時代。太陽~次世代~日ころの転変はもちろん、最近、神谷さんたちが仲のいい渡辺喜美のみんなの党なども、草莽≒有権者の力を結集する焦点になりきれなかった憾みがあるようなないような気がしますから)

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posted by 蘇芳 at 15:39|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする