2019年12月20日

【動画】何で不平等条約を結んだの?【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第43回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2019/12/18 に公開
開国から4年。アメリカに押し切られた形で1858年に結ばれた「日米修好通商条約」。しかしこの条約は日本にとってとても不平等な条約でした。
その歴史的背景や問題点などに迫ります。

神谷さんの最初の質問については、孝明天皇の祖父・光格天皇の御代あたりから、朝廷の権威が回復しつつあったことを思い出しておくとよいのでは?と思います。
【読書】藤田覚「幕末の天皇」
幕府の失政にもよると言われる、いわゆる天明の大飢饉のさい、京畿の人心はあらためて朝廷の存在を思い出し、いわゆる「御所千度詣り」の形で朝廷を仰ぎ、すがりましたが。これを受けて朝廷は幕府に民衆救済をお命じになり、幕府は米1500俵を京都市民に放出したとか。禁中並公家諸法度を度外視して、朝廷のご意向が幕府を動かした事件。
動画で言うところの、「日本は天皇の国だった~」と民衆が思い出した出来事の、ある意味、先駆のようなものでしょうか。
単に一般民衆だけではない。失政によって権威を落とした幕府は、その立て直しのために、あらためて幕府の正当性・大義名分を明らかにして、民心に訴えようとしたと言いますが、それを明らかにしようとすればするほど、幕府の権威の源泉としてクローズアップされるのは、朝廷の存在だったとか。
その他、光格天皇の御代には、数々の朝儀の復興や、御所の焼亡(からの急速な再建)、ゴローニン事件、尊号一件などなど、様々な出来事がありましたが、それ以前の時代に比べれば、幕府はかなりの程度まで、朝廷の意向を尊重し、積極的に対処しようとする姿勢を見せるようになっていたとか。
特に、御所の再建に関しては、幕府の姿勢が従来とは比較にならないほど積極的で至れり尽くせりだったことが、藤田氏の著書に紹介されていたことを覚えています(再建のスピードもそうですが、平安内裏の考証を取り入れた復古様式が採用されたのも、このときだったようです?)

あとは、まあ、特につけ足すことも異議もありませんが……

関税自主権その他は小学生どころか私にもムズカシイですがw
領事裁判権によって、裁かれるべきものが裁かれない、その不条理は、昨今の数々のアレな事案をアナロジーとすれば、現代の私たちにも、感覚的に理解しやすいような気もしないでもありません。

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posted by 蘇芳 at 01:22|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする