2019年12月18日

【動画】共和党最大の団体ATRグローバー・ノーキスト氏独占インタビュー 渡瀬裕哉


チャンネルくらら から。





動画概要:
1)2019/11/22 に公開
グローバー・ノーキスト全米税制改革協議議長来日!2019/11/23 (土)10:00 - 18:00 JSTJapan-US Innovation Summit 2019(令和元年自由民権大演説会・自由経済懇話会)https://peatix.com/event/1324073

2)2019/12/15 に公開
共和党最大の団体全米税制改革協議会(ATR)グローバー・ノーキスト氏独占インタビュー 質問1.全米税制改革協議会の減税運動・保守派の活動とは? 質問2.来年トランプ大統領は勝てますか? 質問3.日本の保守派の活動の広げ方についてのアドバイス

昨日のこちらで「減税」とか「くらら年来の主張」に触れましたが。。
その流れ(?)というでもないですが、最近、その方面で「先人に学べ~」とばかりクローズアップされているのがこの方々。というところか。
当ブログでは渡瀬氏の動画シリーズはフォローしていないので唐突かもしれませんが。このインタビューくらいは見ておいて損はないかなーということで貼っておきます。
くらら&渡瀬氏、ついでにその周辺(?)のそれぽいツイートなども引用しておきますのであわせてどうぞというところか。


本当かどうか知りませんが、巷間、米国の銃社会の背景として、国家権力VS個人、という対立構図が米人の世界観の基本になっているという話を聞かされることがあります。
動画を見ていると、ノーキスト氏の話にも、根本のところで、そういうニュアンスが感じられる気がしないでもありません。
それはそれでイイですし、日本だって、地上の政治権力は似たようなロクデナシだった時代も多いでしょう。それは間違いないですが。
ただ、日本の一部自称保守派の場合、むしろ、そういう国家と国民の対立構造の「弱さ」(≒「上下心を一に」する/できる国民性)をこそ、外国とは違う日本の凄さとして自慢したがる傾向が強いような気がしなくもなく。それは皇室の御仁慈に限ったことでもなく、こちらの上杉鷹山のような世俗の権力者についてさえ、権力者自身が道徳的に国民を愛護する/すべきという経世済民というか、儒教道徳的な方向に思考が向きがちな気はします。
つまるところ、ノーキスト氏の話が、「国家権力に相対する国民目線」のヴィジョンであるとすれば、上杉鷹山的な儒教道徳というのは、「国民に相対する権力者目線」のヴィジョンである、ようにも思います。
同じ現象の捉え方の違い、見方の違いに「すぎない」といえば言えますが……その違いにどれくらい自覚的であるか否かによって、日米の相互理解度も変わってくる気がします。
過保護な親をうっとおしいと思うか、これ幸いとすねをかじるか、という話……でもないか?
ちなみに渡瀬氏自身、こんなことを語っていますし、他にも、リバタリアニズムは日本では理解されていない、普及以前の段階だというようなこともつぶやいていたような気がしますが。。
それだけ「ガラパゴっ」てしまう理由というのは、単なるすれ違いで出会いの場がなかっただけなのか、根本的に理解しづらい伝統的な政治風土の何かがある……のかどうなのか。
私みたいなおバカがそういう抽象的な思想モドキをもてあそんでも、頭の体操にすらならんカモしれませんが、政治屋の当落を左右できるレベルで「減税」の思想を説こう・広めようというとき、それこそいわゆるひとつの「バカの壁」が立ちはだかってくるのが、この国なのではないかという、ちょっと嫌な予感を感じないでもないのです。
こちらで引用した南洲翁遺訓の一節は、それこそどこ安倍政権の話だというくらい、見事に現象を言いあてていましたが、ではその増税政治屋や「曲知小慧の俗吏」をいかにコントロールするかといえば、民意による働きかけではなく、為政者自身の道徳に還元されてしまうわけで。為政者目線のヴィジョンでは、為政者自身の自己変革を、国民の側はただ受け身で待望するよりほかに仕方がなくなる。のかもしれません。
最近お気に入りの葦津珍彦曰く、そもそも西欧型の民主主義の根本にあるのはプロテスタント的な(カトリックではなく)人間不信の思想だといいます。
かれらの人間観には、原罪的人間観が抜きがたい深刻さをもって、遺伝している。国王や王朝の官僚、封建的権力者に対する徹底的な不信の念は、近代民主主義の根本的な前提である。それは、たまたま権力の座にある特定の個人に対する反感や不信なのではない。人間は、たれであっても高い地位を得て、権力の座につけば、必ず利己的となり、権力を乱用し、専制に流れ、罪を犯すにちがいないと信ぜられている。罪の誘惑に対しては、宿命的にもろいのが人間の本質なのだと信ぜられている。このような深い人間不信の悲観的な人間観が、近代民主主義の前提になっている。
 これは東洋の王道思想などと、根本的に異るところである。王道思想では、国王や官僚は、天より政治をなすべき使命をうけたものであり、したがって王や官僚に正しい学問をはげませ、道徳を教えさえすれば、かれらは必ずや天の意にしたがって、正しい政治を行うだろうと期待される。それは、人間信頼の楽天的人間観を前提としている。
王道思想は為政者自身の信条となるときは自戒の作用をもたらして有効でしょうが、国民の側の全般的心情になるとき、際限のない従順さの根拠にもなりうるかもしれません。実際、思考停止の「安倍ちゃん」崇拝などには、その傾向が見られたりはしないでしょうか。
もう少しだけ葦津珍彦の引用をつづけると、
 民主主義とは、このようなものである。人間不信の根強い人間観を前提としてのみ成長し安定し得るものである。プロテスタントに見られるような根深い人間不信の思想的前提なくしては成長しえない。ロシヤのレーニン、中国の孫文、毛沢東など、それぞれに民主主義を自称したけれども、かれらの思想にはキリスト教とは根本的に異質のものがあり、ロシヤや中国の一般人民の間には、根強い人間不信の文化温床がない。印度のネールやインドネシヤのスカルノにしても同じである。これらの国々では、民主主義などといっても、人民の中から”英雄”を選び出すという程度のことになって終う。人民のためになる、人民のために働く英雄を選び出したならば、あとはその英雄に全権力を行使させるのが、もっとも有効だと考える。レーニン、孫文などその点では大同小異で、独裁主義に直結する。
人間信頼の楽天主義・性善説が最悪の独裁を生む、というのも皮肉ですが。傾聴に値する説でしょう。(日本が現時点ではそこまでの暗黒社会になっていないのは文化伝統や民族性によるものか単なる僥倖か、さて?)
GHQ仕込みのバラ色の民主主義幻想に洗脳されていると、健全な民主主義には「人間不信」こそが必要だというテーゼを受け入れるには、ちょっとした脳内革命というかパラダイムシフトが必要かもしれませんが……渡瀬氏のいうリバタリアニズムだの、くららの構想する草の根保守のネットワークだののために、必要になってくるのは、あるいは、こうした「人間不信」の「布教」なのでしょうか。。

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posted by 蘇芳 at 02:39| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする