2019年12月17日

【動画】なぜ日本の野党はグダグダなのか?~世界一わかりやすい日本憲政史明治自由民権激闘編 倉山満 椿


こちらなどで書いたように、最近、今さら、葦津珍彦が面白い。特に西郷さんと民権派などの話は興味深いので……ちょっと民権運動関連の動画シリーズを見ておこうかという気になりました。
ただし……くららの主張は葦津氏とはほぼ真逆というか、民権運動を「日本の恥」とする立場。これはCGSの動画などでも語っていたと思いますから、年来の主張なのでしょう。
しかし、真逆の見解だからこそ、なおさら視聴の価値があるというか。両極端の意見をまずは両方押さえたうえで~というのも必要な作業かもしれません?
ということでチャンネルくららから。


動画概要:
2019/07/21 に公開
『世界一わかりやすい日本憲政史 明治自由民権激闘編』 倉山満
https://amzn.to/2RWFXVO

とりあえず「税金負けろー」&「戦争しろー」という民権派の主張は矛盾だとくららは言っているようで、確かに実際に開戦まですれば増税&国債なり必要でしょうが……

幕末だってポジショントークで表向き過激なことを言っていた”ナンチャッテ激派”はいたわけで。
政敵を倒すまではさんざっぱら過激なことを言って人気を集めていたくせに、いざ政権をとったら腰砕けなんてのはよくある話。(どこの安倍政権とは言ってませんヨ?)

ちなみに葦津珍彦いわく、民権派のルーツは征韓論だそうですが。その旗頭というか巨頭・西郷隆盛自身が、わりと口で過激なことを言って、実際には穏当な措置に落としこむ、ということを何度もやった人です。
・「長州をぶっ壊す」→責任者数人の処刑その他の措置で戦わずして解兵。のち、薩長同盟
・「江戸を焼き払う」→無血開城
朝敵・庄内藩に対する温情措置などもその類ですねぇ。。

「減税」と「戦争」という主張にしたって、実際に政策として落としこむとすれば、「富国」と「強兵」という明治政府の方針(そしてくらら年来の主張)にやがて落ち着きうるのではないかという気がしないでもありません。
「即時開戦」は無茶かもしれませんが、外交にも武力の裏付けは必要で。戦争できる軍隊を作る、だけなら、減税と「原理的」に背馳するわけでもない気はしないでもありません。(時代背景とか経済状況とか原理的ではなく現実的にはいろいろケーズバイケースでしょうけれど)
軍隊を作るには金が必要で、国が儲けるためには経済を良くする必要があって、経済成長に必要なのは、さて、減税か増税か?



ちなみにどことは言いませんが、増税したのに防衛予算が微塵も増えていないどころかもろもろ値上がりして実質予算削減に等しいことになっているアホな島国も実在したようなしないような。。



なぜこういうバカなことが起きるのか、民意が国政に反映しないのかといえば、まともな野党≒国民の選択肢が存在しないからで、選択肢のない所で選挙をやったところでそれは民主主義ではない(「増税すべきと思うか、「はい」か「イエス」で答えろ」)。
だから「陛下の野党」が必要。それを作るために草の根保守のネットワークが(政治屋の当落を左右できるレベルで)必要。というのも、単純化しすぎかもしれませんが、くららの主張だったような気もします。
倉山満公式サイト:「陛下の野党」とは
国民の税金をどう使うか、これを選挙で選ばれた国民の代表が決められないのであれば、その名に値しない。少なくとも民主政治ではない。このように、予算案と法律案を作る能力のある政党が二つ以上ないと国民に選択肢はないのである。
つまるところ「陛下の野党」が必要、というのは、民主政治が必要、というのとほぼほぼ同義であって、それは「打倒有司専制」の「民権運動」と、実は相当に似通っている気もしないでもありません。

だからこそ、あの酒盃とかを見ると、真面目にやれ、と、言いたくもなるのかもしれませんけどね。。


あとは……

民権派は平和主義者ではないと言われたって、大久保も平和主義でも何でもないですし。。
都合の良い時だけ現代道徳的な善悪で過去の歴史をジャッジしても仕方無い気もします。
浅沼氏が刺殺されたのち、少なくともマスコミの上では、すべての人が「政治テロは絶対に許せない。テロは無条件的に非難さるべきだ」と論じた。進歩派も保守派も、その点では無条件的に一致したかのようだった。それは日本人の間では疑念の余地なき政治道徳の公式であるかのように見えた。しかしそれは、マスコミの上だけでの公式的な儀礼の言葉であって、保守的な世人の間には存外に山口少年に対する同情が強く、浅沼氏が刺殺されたのは当然だというような声も少なくなかった。政治テロは、果して無条件に否定さるべきであろうか。それとも、ある条件のもとには認められ、ある条件のもとに否定さるべきなのであろうか。条件付であるか無条件であるかでは、非常な考え方の相違である。マスコミの上で、多くの政治家や知識人は「無条件否定」の道徳説教をしたのではあったが、おそらくかれらは、テロを無条件的に否定する確信を有っているのではないように思われる。かれらは、ただ世間体を考えて「無条件否定」の政治道徳を説教しただけにすぎないように見える。心の底に確信なく信念なき者の道徳説教ほど無力で無意味なものはない。それは晴れた日に「よいお天気で」という挨拶と同じく、いささかも人の心を動かすものではない。そんな儀礼的な道徳説教などは、テロリズムに対しては何の影響も及ぼしえないだろう。
こういう切りこみ方も含めて、葦津珍彦が面白い今日この頃。
今どき、自称保守だの愛国だのいう人たちが、「人の命は星より重い」などというデマを真に受けているわけでもないでしょう。命より大事なものがある、そのために戦う、という考え方を否定しえないし、するべきでもないとすれば、テロの「無条件否定」などそもそも原理的に不可能なはずではないか。という気もします。

まあ、私ごときの考えることなどくらら大先生は百も承知で言っているのでしょうし。バカは黙っとレと言われるだけかもしれませんが。
バカだからわからないことだらけですし、わからないから知りたくなるわけですから。くららか葦津か、どちらに納得いくか。そもそも二者択一でもないのか。結論を急がず、視聴なり読書なりをつづけたいと思う所存であります。

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posted by 蘇芳 at 02:42| 明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする