2019年12月02日

「魂」と「才」


こちらの冒頭でも書いたけれど、明治初期の内乱をつかまえて、「旧士族」の反乱と称する、階級闘争のような史観は説得力がない。
反乱を起こしたのも旧士族なら、反乱を起こされた側の政府要人だって大方は旧士族だったろう。悪政・暴政に被害をこうむる度合いは、農民こそ、士族の比ではないのだから、明治初期の数々の反乱には農民の支持も参加者さえもあったとも聞く(「士」が「民」のために起つというこうした構造は、少なくとも本人たちの主観の上では、江戸時代の大塩の乱から、昭和の二二六にまで、日本の「義挙」の多くに一貫して貫いているようにも思う)
幕末には新たに「士分」に取りたてられた旧農民もいただろう。新選組が有名だが、長州にだって奇兵隊はあった。奇兵隊は何も四民平等思想にもとづいて武士を解体したのではない。一部の「見どころのある」平民を武士に取りたて、吸収することで、長州武士戦力の強化を図ったのだ。会津や長州ほど有名ではないにしても、他藩でも同様な試みはあったかもしれない。彼らは「旧士族」どころかむしろ「新士族」といってもよいくらいの存在だ。

そうした「身分」だけではない。政治思想の面から見ても、明治政府に反感を持つ層は多岐にわたっている。明治の開国に憤る鎖国攘夷論者がいる。西洋かぶれの文明開化に違和感を覚える復古主義者がいる。しかるにその一方、こちらでも書いた通り、征韓論争を境に決定的に明治政府と決裂した者たちは、民撰議院設立の建白を行った。攘夷論者や復古論者とは逆に西洋議会制度の導入に熱心な、いわゆる急進的民権論者である。

これらさまざまな層によって行われた、明治政府の有司専制に対する、轟々たる非難、攻撃、武装蜂起の数々を、ただに時代遅れの「旧士族」の反乱と十羽ひとからげにするのは、単純化が過ぎるというものだろう。
まして、旧士族の軍を倒したのが、四民平等の平民の軍隊だなどという、階級闘争史観は、武装の優劣を階級の優劣にコジツケた、我田引水の与太にすぎない。
注目すべきは、これら雑多な主義主張の勢力が、佐賀や秋月では各個撃破されつつも、最後にはついに大同的に糾合され、日本史上最大の内戦の様相を呈したこと。武装の優劣からすれば薩軍の必敗は始めから決まったようなものだが、それにもかかわらず驚くべく勇戦敢闘したこと。そして、それを可能にした西郷南洲その人ではないだろうか。。

こちらでも書いた通り、西南戦争には多数の急進的民権派が関係している。一方で、復古主義者や攘夷論者も多数参加している。
上でも書いたように、彼らの思想的立場は、本来、真逆と言ってよいほどに懸絶している。しかるに西郷南洲はその両方を糾合する求心力を発揮しえた。
考えてみれば、幕末の頃からすでにそうだ。宿敵長州との連合を実現し、江戸城無血開城を成し遂げ、賊であるはずの庄内藩士に崇拝され「遺訓」を残した西郷は、表面的な彼我の対立を超克して結集させるミラクルを何度となく起こしてきた。
こちらの動画などで指摘されているように、現代においてなお、西郷人気には絶大なるものがある。それはしばしば、彼の具体的功業以上に人間性への称賛を前面に押し出してくるようにも思える。しかして、彼の人間性とは何か? これほど掴みにくいものもない。だが、これほどシンプルなものもない、という気もする。

大いなる謎、とでも言って片づけてしまえば、無責任な個人ブログ的には十分かもしれないが。
最近ハマっている葦津珍彦のような視点に立てば、西南戦争の経緯から、あるいは、多少の手掛かりは得られそうな気がしないでもない。
大いなる錯覚、かもしれないが。。

上記のように西南戦争には復古主義者や攘夷論者、民権論者など、さまざまに相異なる立場の論者が馳せ参じたが。
では、当の西郷自身は何論者だったかといえば、古典的な意味での徳治論者だったように思える。
彼の基礎教養は明らかに漢学・南学的なものであり、功利効用的な面から西洋の文物諸制度を学ぶことは否定しなかったが、それはあくまで功利効用的な面に限定された態度であって、精神的価値においては東洋の優越を確信している。西洋の文物諸制度は実用面で大いに研究すべきだが、魂まで売り渡してはいけない。典型的かつ徹底的な和魂洋才を地で行くようなものだ。南洲翁遺訓の有名な一節はその面目を伝えて余りある。
文明とは道の普く行わるるを賛称せる言にして、宮室の壮厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うに非ず、世人の唱うる所、何が文明やら、何が野蛮やらちとも分らぬぞ。予かつてある人と議論せしこと有り、西洋は野蛮じゃと云いしかば、否文明ぞと争う。否野蛮じゃと畳みかけしに、何とてそれほどに申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左は無くして未開蒙昧の国に対するほどむごく残忍のことを致し己を利するは野蛮じゃと申せしかば、その人口をつぼめて言無かりきとて笑われける
こうして西洋の野蛮を鳴らし、東洋の精神的優位を確信する西郷だが、一方で、橋本佐内や勝海舟や福沢諭吉といった開明派との関係・関心も深い。深いが、決して、西洋かぶれではない。むしろそれこそ何よりも西郷の唾棄するところであろう。

結局のところ、西郷にあっては、「魂」の問題と「才」の問題が明確に峻別されている。ように思う。
それが表面的な意見を異にする様々な立場の勢力を結集しえた根本の理由ではないだろうか。

古典的な徳治・仁政主義にとって、為政者が民をいつくしみ、ひろく善政を敷くことこそが重要なのであって、その政府制度がいかなるものであるかは二の次三の次の問題であろう。民をいつくしむ為政者の仁・徳、つまり精神=「魂」こそが第一であって、いかなる制度によっていかなる政府を作りいかなる善政を行うかといったことは、二義的な技術論=「才」の問題にすぎない。太政官制でも議院内閣制でも大統領制でも、要は徳治・仁政が行われるかどうか。重要なのはそれだけだ。
復古にせよ攘夷にせよ民権にせよ、様々に異なる「論」の数々もまた、所詮は、そうした「才」の対立にすぎない。論者本人には異論もありえようが、西郷自身の高い見地からは、児戯のようなものに見えるのではないか。
明治新政府が、徳治・仁政の王道を歩んでいるか否か、その「魂」こそが問題なのであって、それではいかなる政治が徳であり仁であるか、そうした「才」にかんしてはいかようにも議すればよい。「万機公論に決すべし」である。
(万一、有司専制政府が、万機公論に決すべきはずのこの五か条の御誓文の精神に背いているとすれば、それこそは武力を以てしても討つべき大義となるだろう。問題は、西郷がそうと確信し、万天下にそれを宣明しうるにいたるほど機が熟する前に、政府の挑発に乗った私学校が暴発し、なし崩しの決起に至ったことかもしれない)
だからこそ、「才」の領域でさまざまに意見の異なる勢力が、この西郷の「魂」の元に結集しえたのではないか。

そうまとめてしまうと、いかにも抽象的で図式的に見えるかもしれないが……
時代の具体的状況が、そうした構図のなかにハマりこんでしまったがゆえにこそ、歴史上の大事件というものは、発生するとも言えはすまいか。
すでに討幕の当時において、さまざまに異なる信条をもった勢力が、錦の御旗の下に結集した。そうして維新は成ったが、さまざまな勢力の「すべて」を満足させる政策を、単一の政府が完全に行うことなど、事実上、不可能だ。
維新に「裏切られた」との思いは、様々な勢力に蔓延していく。とりわけ、維新の現実的な原動力になった層に蔓延していく。
維新第一等の功臣、巨星・西郷隆盛さえもが野に下ったとき、その声望が、天下の不平分子を糾合する求心力を発揮したことは、あやしむに足りない。
しかし、火のない所に煙は立たない。西郷の「声望」が単なる虚名にすぎなかったのなら、人心は早期に離反して、西南戦争の経緯も、乱の終息後の経緯も、史実とは異なったものになっていたかもしれない。だが、そうはならなかった。そして、西郷の「声望」が正金だったとするのならば、後世の日本人たる私たちは、とりわけ日本の「こころ」を探すなどと大それた願いを掲げる当ブログとしては、その「声望」の内実を、もっと深く知りたいとも思うわけだ。

今の時点でそれがハッキリ見えたなどと豪語するつもりはないが……

維新の精神を忘れて腐敗堕落した裏切りの有司専制政府への批判が一気に噴出したそのきっかけが征韓論だったというのは、第一次安倍政権の志を忘れて日本経済粉砕・親中売国政策へと舵を切りつつあるかに見える与野党談合官僚専制体制への批判がいいかげん噴出しそうな昨今の情勢の背後にも、某半島の反日種族主義にかかわる情勢があることを思うとき、ある種の感慨をもようさせずにはおかない符合であるようには思える。「歴史はくりかえさないが韻を踏む」
デフレ下の消費増税×2をやらかした親中反日経済オンチ政府に対してもまた、西郷流の徳治・仁政主義を思いだせ、と、言うべきなのかもしれない。
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現代の国難を前に、日本の「才」は今なお健在かもしれない。
しかして、それらを糾合しうる「魂」は、まだ、滅びずにあるだろうか?
あるいはむしろ、「魂」のみあって「才」が足りず、なすすべを知らず、切歯している者が多いのだろうか。。

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posted by 蘇芳 at 16:36| 明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする