2019年11月22日

龍馬の星


日・月・星辰、というけれども、日本においては星の神・神話・伝承というのが、いまひとつ影が薄い、というのは気のせいだろうか。そもそも記紀に星の神というのは登場しただろうか。
太陽神は言わずと知れた天照大神。
月の神なら月読命。この神自体、三貴子の一柱というわりには(記紀に収録された)伝承が少なく、影が薄いが。
星の神となるとなおさら影が薄く、名前自体、すぐには思いつかないくらいかもしれない。

もちろん、公称2600有余年のわが国の歴史の中で、星の神の信仰がまったくなかったわけはないが、現代まで伝わっているそれら星の神話・伝承の類には、大陸種の影響が特に顕著であるようにも思える。

当方の地元で星にかかわりの深い神社といえば、晴明神社や大将軍八神社がすぐに思い浮かぶが。いずれも陰陽道とゆかりの深い神社である。
陰陽道~というと某羽生選手つながりで某娯楽映画が話題になったりもしたが。多岐にわたる陰陽師の仕事のうちでも、大きなウェイトを占めていたであろうひとつは「暦」を作ることであって、当然、天体の運行・天文学の研究は必須不可欠。これが古代においては星の信仰とも密接不可分であるが、この天文学というのが、やはり大陸から移植移入されたルーツを持つ、だろう。
信仰というほどでもないかもしれないが、他に星の伝承といえば、牽牛織女の七夕伝説があるが、これも元は大陸種であることは言うまでもない。
さらにはもう一つ、妙見信仰というのもあるが、これも大陸の色彩が強い。そのものズバリの妙見菩薩というのもあるが、虚空蔵菩薩とも習合して、仏教色が強いうえに、道教の太一神、儒教での天帝などともないまぜになっているらしい。。

なぜ星の神は外国種なのか?

農耕民族(である日本人)が太陽の恵みを何より重視したのに対して、遊牧や交易、狩猟、略奪などをこととする民族は夜空の星を見上げる頻度が高かった……などというのも、通り一遍の俗説としてはありそうな説明かもしれないが、しかし、わが国に非農耕民がいなかったわけでもあるまいし、それも何も必ずしも辺境の土蜘蛛にかぎった話でもない気もする。
皇室のルーツにしてからが、日向三代には海洋民族の色彩が強いし、神武東征は船旅だ。東征伝承の残る各地には海人族由来の地名が必ずと言っていいほど残されているという話もないではないし、そもそも、太陽の恵みが云々という、その日の神・天照大神の鎮座する伊勢国自体、海女漁を今に伝える海国でもあるだろう。
柳田国男の想像を刺激したヤシの実はもとより、縄文人は丸木舟で太平洋を渡ったとさえいう人もあるが、そうした海の旅の道しるべに、わが日本民族の祖先たちが、夜空の星を見上げることがなかったとも思いにくい。
記紀に星の神がすぐには見当たらないと言っても、神籬磐境の神勅を授かった太玉命にまで遡る神祇氏族・忌部氏の紋が六芒星であることはよく知られている。「ムー」的オカルトでは二言目にはユダヤにこじつけられるシンボルだがw オカルトだろうと何だろうと星が星であることに違いはない。(そもそもオカルト的には六芒星というのも中心の六角形を太陽に、周囲の頂点を各惑星に対応させた、太陽系・星図のシンボルだとかいう説もあるそうだし)

にもかかわらず、日本土着の星の神・星の信仰というのが、すぐには見当たらないというのも少し不思議な気はしなくもない。
こういうことを言うとこちらの葦津先生には叱られるかもしれないが、やはり、わが国の信仰が、皇室祭祀を中心に再編成される過程で、取捨選択され、抹消された神々というのも、あったのかもしれない気はしないでもないし、興味はそそられる(探求のしようもないが)。
だからどうしたと言われても、特にオチがある話でもないのだけれど……
そうしてもしも古代土着の星の神が一旦は抹消されたということがあったとしても、やがて遠からぬうちに、妙見信仰や陰陽道といった形であらためて星神の信仰を(しかもわざわざ外国から導入して)復活させる必要が生じてきたのだとしたら、なかなかに皮肉というか、妙な回り道をしたものだという気もする。
遠い過去の歴史を見るときには、材料の不足を失念して、ついつい、点と点を安易な直線的な因果関係で結び付けたくなるものだが……本当はもう少しいろいろな非効率な試行錯誤や紆余曲折があったのかもしれない、と、想像してみるのも無駄ではない気もしないではない。


ところで……
話は少々飛躍するが。

記紀に登場する星の神というか、事後的に星に結びつけられた神としては、天御中主神がいる。
「天」の「御中」の神というのが、文字通り夜空の中心の不動の一点・北極星と結びつき、先述の妙見信仰に習合したものらしい。
天御中主神というのも、水と結びつけられたり、星と結びつけられたり、いろいろと忙しい神様だ。
具体的な伝承内容に乏しく、元はこの神を祭る神社というのもほとんどなかったような神だが。神道が仏説から独立した独自の教説を確立しようとする過程で、何しろ記紀の冒頭に真っ先に登場する上に、なかなかハッタリの利いた御神名だ。中世頃から宇宙の主宰神のような位置づけを与えられ、徐々に信仰が形成されていったともいう。
こちらで見たように、渡会家行などは、その代表格か(内宮へのルサンチマンが強すぎて個人的には大嫌いだが)。
北畠親房と近しかった渡会家行の教説が、江戸期以降の南朝正閏論に影響を与えでもしたのかしなかったのか、浅学菲才の当方は詳らかにしないが。
幕末~明治以降の尊攘家によって、いよいよ天御中主神は尊重されるようになっていったらしくもあり、現存する天御中主神を祀った神社というのは、近代創建のものが多いという。
その中でも比較的創建が早かった一例は、維新の以前、光格天皇の御代に創建された、霊明神社であるかもしれない。こちらで紹介した通り、「維新の聖地」として知る人ぞ知る京都の神社。数々の志士の神葬祭を催行し、中でもとりわけ有名なのが坂本龍馬だが……
龍馬といえば北辰一刀流の免許皆伝としても知られている。この「北辰」(星辰の「辰」に「北」がついている)というのが、北極星の意味であり、妙見信仰的には天御中主神のことでもあるわけだ。
勝海舟に弟子入りし、海軍伝習所から亀山社中~海援隊と、一貫して海にかかわりつづけた龍馬だが。当時の航海術においても、(すでに羅針盤はあったにせよ)、道しるべとしての星、なかんずく北極星は、依然として相応に補助的なあるいは象徴的な意味くらいは持っていただろう。
とすれば、北極星の名を冠した剣術を身につけたサムライが、北極星に導かれて海を渡り、北極星の神のもとに眠っている、と、コジツケ的には言って言えないこともないわけだ。
龍馬自身は一笑に付すかもしれないが、わりとよくできた偶然ではあり、後世の歴ヲタがニヤリとする小ネタくらいにはなるのではないか。

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ラベル:神道
posted by 蘇芳 at 14:43| 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする