2019年10月17日

【動画】天下統一を目指した織田信長【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第34回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2019/10/16 に公開
今回は、戦国時代についての授業です!
戦国時代、歴史に名を残した三大武将の一人、ご存知「織田信長」が登場します。天下統一を目指し、数々の戦を行っていきますが、わずか48年の生涯は家来の裏切りで幕を閉じるのでした…

信長といえば、日本史上最大級の有名人の一人ですから、表面的な事績については今さら言うまでもないでしょう。
それより重要なのは、冒頭のやりとり。
西洋の世界侵略という背景の中で、天下統一・天下布武の意味をとらえる視点でしょうか。

この時代、というより、明治以前、「国」といえば現在の都道府県にあたる「領国」の意味で使われることが大半だったでしょう。
それら割拠する「国々」をしたがえて「天下」を統一し、「日の本の国」にする。しなければならない。それはなぜか? また、いかにしてか?

古代大和政権の統一事業の背景に、朝鮮と通謀した熊襲や磐井の乱があったように。
壬申の乱の背景に、白村江以降のチャイナの侵略の脅威があったように。
室町幕府成立のわずか50年前に、元寇があったように(北条時宗もまた元寇に際し、身内を殺戮して北条幕府の統一を図りました)。
そしてもちろん、明治維新の背景に、近代欧米列強の全世界侵略の危機があったように。。
外患の危機を前にして、武断的な統一の動きが澎湃としてあらわれてくるというのは、日本史上、何度もくりかえされてきた光景であるように思います。
そしてまた、その危機において、「統一」の思想的根拠として、天皇・皇室の存在が、あらためて強烈に意識されるようになることも、何度となくくりかえされてきた現象ではないでしょうか。

動画の冒頭でも天下は「三人」によって統一されたと言われているように、一般的に、天下統一というと、信長~秀吉~家康の「三代」の事業のようにとらえられがちですし、そのこと自体は必ずしも間違いではないのでしょうが……
天下統一が、王朝の易姓革命ではなく、武家の政権交代という形を取ったこと、取らざるをえなかったこと、取ることが好適だったことを思えば、三代の天下人を背後から支えた、正親町・後陽成という二代の天皇の御存在もまた、忘れてはならないもののように思います。
慶長四年の立憲君主

結局のところ、敵の侵略に備えて国内を統一しなければならない。そのためには手を汚し、日本人同士が殺し合うことも(戦国動乱や関ケ原や戊辰の役のように)一時的には必要なのでしょう。しかし、それら内戦の後遺症をしてかえって日本の分裂をもたらす結果になってしまっては、本末転倒。それを防ぐにはどうすべきか? 日本統一・国民統合の「象徴」に御出御願うのが何より……という、日本史の「くりかえし」をもたらしたのは畢竟こうした立憲君主的な天皇・皇室のシステムであり、有名であるがゆえにいろいろ誇張されがちな信長もまた、このシステムに仕える奉仕者として、決して例外的な存在ではなかったようにも思います。

ひるがえって、現代はどうでしょうね?

チャイナ・コリア・ロシアの外患に直面している現在。斎藤氏の授業の最初の問いになぞらえていうのであれば、賞味期限の切れた自公政権を「立て直す」のか「倒す」のか。むしろそれは自公政権などというチンケなものではない。信長をはじめとする日本史の「くりかえし」の顰に倣うとすれば、偽りの戦後ミンス主義そのものを後生大事に守るのか、盛大に破壊するのか。本来はそれくらいの蛮勇が必要なレベルの瀬戸際なのかもしれません……?

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posted by 蘇芳 at 00:46|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする