2019年09月23日

【動画】[京都二十四節気] 秋分


N.a. から。


動画概要:
2013/01/30 に公開
◆秋分(しゅうぶん)
昼夜の長さがほぼ同じになる日
新暦9月23日~10月7日頃


秋霧 ~秋分の自然~
秋が深まると、内陸の盆地では頻繁に霧が発生します。
京都では「丹波霧」が有名で、盆地を埋め尽くす深い霧が幻想的な光景を創り出します。霧は、無数の微細な水滴が空気中に煙のように立ち込める現象。万葉の頃は季節に関係なく「霧」と呼んでいましたが、平安時代になると「春は霞、秋は霧」と使い分けるようになったそうです。「春秋の争い」という言葉がありますが、かつて日本人は、春と秋のどちらが優れているかを議論しました。
同じ現象でも微かな趣の違いを捉え、季節を対比して魅力を確かめ合う――そんな、豊かな感性があったのです。

精進料理 ~秋分の暮らし~
もともとは修行僧の食事で、殺生を禁じる仏の教えに従い、肉や魚をいっさい使わず、野菜や豆類、穀物を工夫して作られます。
海から遠い京の都は魚介類の入手が困難で、その代わりとして寺社による精進料理が発達しました。農家の人々は、これを支えるため、努力や工夫を積み重ね、味わい深く栄養価の高い野菜を生み出していきます。これが、「京野菜」のはじまりといわれます。
寒暖の差が激しい独特の気候や豊かな土壌も、良質の野菜を育んできた要因の一つでした。信仰心の篤い京都では、今でも大切に、この仏のご膳が継承されています。

Present by 京福電気鉄道(株)(制作2010年9月)

春秋の争いについては擬人化した古事記の説話(秋山之下氷壮夫/春山之霞壮夫)なども含めて、西村亨 「王朝びとの四季https://amzn.to/2Vd61vE」などに詳しいのでわりとオススメですが。。

それはさておき、上の動画がさらっと涼しい顔で言い放ちやがった、「西の彼方のご先祖様~」って何か根本的におかしくないかと思ふのは私だけでしょうか。
ある意味、その違和感に気づけるようになっただけでも「日本のこころ」を探し始めた甲斐はあったのかどうなのか。
私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、恐らくは世の初めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。これがいずれの外来宗教の教理とも、明白に食い違った重要な点であると思うのだが、どういう上手な説き方をしたものか、二つを突き合わせてどちらが本当かというような論争はついに起こらずに、ただ何となくそこを曙染のようにぼかしていた。そんなことをしておけば、こちらが押されるに極まっている。なぜかというと向こうは筆豆の口達者であって、書いたものがいくらでも残って人に読まれ、こちらはただ観念であり古くからの常識であって、もとは証拠などの少しでも要求せられないことだったからである。しかもこのような不利な状態にありながら、なお今日でもこの考え方が伝わっているとすると、これが暗々裡に国民の生活活動の上に働いて、歴史を今あるように作り上げた力は、相応に大きなものと見なければならない。先祖がいつまでもこの国の中に、留まって去らないものと見るか、またはおいおいに経や念仏の効果が現れて、遠く十万億土の彼方へ往ってしまうかによって、先祖祭の目途と方式は違わずにはいられない。
自然と共に生きていた古代の人々にとって、「暦」は単なる空理空論の観念ではなく、生活の実態と今よりずっと深く結びついていたはずではないでしょうか。
実際、世界各地の古代遺跡に、高度な天文的知識の反映が見られるのは、何もわが国だけにかぎった現象ではありません。
であれば、「秋分」ひとつとっても、「外来宗教の教理」などよりはるか以前から、われわれ民族の生活と信仰に直接かかわりを持っていた、というのは、それなりに妥当な想像であるかと思います。
つまるところ、お彼岸お彼岸といいますが、神社神道にとってもまた、しばしば秋の例大祭が行われるのがこのころである(神社によって例外はある)こと、さらには宮中祭祀にとっても秋の皇霊祭の季節であることを、押さえておくべきかもしれません。
Wikipedia:皇霊祭
伊勢神宮:年間行事 恒例祭典
宮内庁:主要祭儀一覧

ちなみに……
靖国神社の秋季例大祭はわりと「例外」のほうで、9月ではなく10月ですが……
靖國神社:祭事のご案内
靖国神社にとって8月15日はある意味で「平日」にすぎず、重要なのはこの例大祭のほう。8/15が無駄に悪目立ちするようになったのは三木や中曽根といった「卑しい人間」たちのスタンドプレイ以来のことで、歴代総理大臣の参拝や真榊奉納も、本来は、例大祭の日に行われるのが通例だったことは、日本人の常識として押さえておきたいところかもしれません。
 戦後の総理大臣参拝は、終戦直後の昭和二十年八月十八日に東久邇宮稔彦王、同十月と十一月に幣原喜重郎が参拝。五年の空白を置いて、GHQの占領が終わりに近づいた二十六年秋季例大祭の十月十八日、吉田茂が各閣僚や衆参正副議長らと参拝。吉田茂は二十九年まで春秋例大祭で計五回参拝、その後、岸信介が三十二、三十三年の春秋計二回参拝。
 次の池田勇人は総理在任中に計五回参拝したが時期は異色だ。昭和三十五年七月の総理就任に際しては、直近の例大祭となる同十月に参拝。しかし次の三十六年六月は訪米前、三十七年十一月は東南アジア歴訪前、三十七年十一月は欧州六ヵ国訪問前、そして三十八年九月は東南アジア四ヵ国訪問の特別参拝だった。
 三十九年十一月就任の佐藤栄作は、翌春から四十七年春の例大祭まで計十一回、いずれも例大祭で参拝した。田中角栄は四十七年七月七日に就任し、翌八日に参拝。さらに四十九年までに春秋例大祭で四回参拝した。
 三木武夫は四十九年十二月の就任後、最初の参拝は慣例どおり直近の五十年春秋例大祭だった。しかし二度目は慣例を破って「総理大臣として初めて終戦の日の参拝」をしようとして注目を集めたが、逆に「公人としてか私人としてか」と騒がれ、保身のために「私人」と公言して参拝。
 これが前述のように天皇御親拝にとって禍根となる。同時に外交面でも藪蛇の結果を招くことになる。
靖國神社では「終戦の日」に日々の神事はあっても特別の祭事は設定されておらず、本来は静かに祈る慰霊の一日となる。他方、近隣では「光復節だ」「戦勝記念日目前だ」と熱くなる時節。朝日新聞や共同通信などが「日本の首相が参拝……」とわざわざ伝えるので、文句を付けてくることになる。

例によっていつものごとく、動画から全速力で盛大に脱線しましたが……
脱線ついでに、
NEWSポストセブン:靖国神社元幹部が明かす「安倍首相が復活させた伝統」
などもチェックしてみてもよいかもしれません?
安倍総理、これで、もう少し、リベラル色が薄ければねぇ。。

Amazon:
はじめてふれる日本の二十四節気・七十二候〈3〉秋―菊花開く
王朝びとの四季
先祖の話 (角川ソフィア文庫)
靖國神社創立150年――英霊と天皇御親拝 (別冊正論)
靖国神社が消える日
posted by 蘇芳 at 02:02|  L 「京都二十四節気」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする