2019年09月13日

【動画】1940年5月の電撃戦 なぜ連合国は負けたのか? 日本人だけが知らないインテリジェンス 柏原竜一 秋吉聡子


チャンネルくらら から。


動画概要:
2019/09/12 に公開
1940年5月の電撃戦で、なぜ連合国は負けたのか?

おっしゃるとおりというかお説ごもっともというか、特に異論もないのでかえってコメントに困る動画ですが。。
あえて無理くり何か言うとすれば、そーですねぇ……

連合国側のインテリジェンスが劣っていたわけではない、というなら、逆に、ドイツ側のインテリジェンスはどうだったのか?と、訊いてみたい気はしないでもありません。
西方電撃戦が、英仏にとってインテリジェンスの敗北ではないということは、ドイツにとっても別にインテリジェンスの勝利だったわけではないということにもなりうるのではないでしょうか。

では、何の勝利かといえば、局地的な軍事力の勝利。もっといえば「現場力」の勝利にすぎなかったのかもしれません?
動画で言われているように、勝敗の決め手が「速度」だったというのなら、なおさらです。
「速度」が大事だというなら、それこそ、あれこれ余計なことを考えたり、まして現場から遠く離れた上層部にお伺いを立てている場合ではありません。「速度」の決め手は、かなりの部分、「現場」指揮官の決断だということになりはしないでしょうか。
つまるところ日本軍を評するときの常套句、「現場は優秀」だっただけというのが、電撃戦におけるドイツ側にも、通用する面があるような気はします。

つけくわえると、「現場は優秀」という常套句は、「上層部の無能」というもう一つの常套句と対になるのが自然であって、私たちは日本についてはさんざんその対句表現を聞かされてきましたが、それは日本だけの特殊個別的な悪弊にすぎず、優良なアーリア人種たるドイツ国家・ドイツ軍には、同様な通弊はまったく無かった、のでしょうか?
個人的にはそうも思えません。
むしろ、ドイツに妙な憧れを抱いた近代日本は、ドイツのダメダメな部分をこそ、律儀に模倣してしまった、という可能性さえありはしないでしょうか。

軍事史家の別宮暖朗あたりに言わせると、ウソかマコトか、ドイツ軍の伝統は「作戦計画」の存在だそうで……「作戦計画」とは、戦争が始まる前に策定されるプランであり、どれほど芸術的に緻密であっても、究極的には「机上の空論」でしかありえません。が、その空論を律儀に実行する「機械」が無駄に優秀なドイツ軍。お偉いさんの書いた空想を、しかし、なまじ優秀な現場の軍隊は、それなりに無理やり実現してしまう。なまじ現場が実現してしまうものだから、上層部は、自分たちの空想的な「作戦」の正しさへの確信を深め、さらに空想的な「作戦」を策定し、現場にその実行を要求する……
そういう悪循環、正のフィードバックが、ドイツ国家・ドイツ軍には起こりがちだったとして、それとよく似たメカニズムは、残念ながら、大日本帝国にも、作動してはいなかったでしょうか。。

ドイツの「電撃戦」にしても、日本の「真珠湾」や「マレー沖」や「シンガポール」などなどにしても、緒戦の勝利は華々しく、勝った勝ったと思わず浮かれたくはなりますが、しかし、華々しい緒戦の勝利というのは、残念ながら、たいてい、長続きしません。むしろ、そもそも長続きしないからこそ「緒戦」の勝利なのでしょう。
しかし、第二次大戦は「総力戦」ですから、長引けば長引くほど、国家の「総力」が問われ、「地力」が明らかになっていきます。
つまるところ、「戦争」における勝敗の主語は国家ですが、「戦闘」における勝敗の主語は軍にすぎない。わけで……

その二つを混同し、勝った負けたと一喜一憂することこそ危険。
「電撃戦」のように短期的・局地的な「戦闘」においてはインテリジェンスに優れた側が、そのインテリジェンスを発揮するまもなく、敗北することはあるかもしれませんが……局面が長期的な「戦争」になればなるほど、結局は、インテリジェンスの優劣が(「国家」の「総力」の一部として)モノを言うようになってくるのかもしれません?


……というコメントは、やはりちょっと「無理くり」ですかね?

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