2019年09月10日

【動画】和歌山県護国神社


AKIRA Travel Channel 1フーテンのアキーラ海外見聞録Ebi Shideeityan10 から。





動画概要:
1)2013/04/05 に公開
平成24年(2012年)9月に和歌山県護国神社を参拝した。護国神社というと基本的に都道府県に1つはあり、県庁所在都市のお城の隣にある事が多い。そして、護国神社には先の大戦で亡くなられた方々の慰霊碑等がある。先の大戦では、隊は基本的に同郷出身者で固められていた。
護国神社は、おおむね各府県につき一社が建立された。社格は、府県社に相当する内務大臣指定護国神社(指定護国神社)と、村社に相当する指定外護国神社とに分けられた。1945年(昭和20年)に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に置かれると、護国神社は軍国主義施設とみなされ、存続を図るために、名称から「護国神社」の文字を外すなど改称を余儀なくされた。改称された神社は、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が国家主権を回復すると、元の社名に戻された。戦後、いくつかの指定護国神社は神社本庁の別表神社となっている。

指定護国神社は、北海道に3社、岐阜県・兵庫県・島根県・広島県には2社など、一県内に複数存在することもある。これは、各種部隊(とりわけ歩兵連隊)の編成に際して、府県の他に国(令制国)を単位とするケースが多かったことや連隊の増加によって、県内に複数の連隊が所在して各々の地元意識が強かったり、単に県域が広かったりすることに起因する。例えば広島県の場合、福山市(備後国、歩兵第41連隊)と広島市(安芸国、歩兵第11連隊)にそれぞれ一社ずつ存在する。なお、全国の英霊を祀る靖国神社のある東京都[4]および神奈川県には、現在のところ護国神社はない。

各護国神社の祭神は、靖国神社の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている。そのため、公式には護国神社は「靖国神社とは本社分社の関係にはない」とされている。しかし、共に英霊を祀る靖国神社と護国神社とは深い関わりがあり、各種の交流もある。主要な護国神社52社で組織する全國護國神社會(旧・浦安会)は靖国神社と連携し、英霊顕彰のための様々な活動を行っている。

1960年(昭和35年)に全国の護国神社52社に対して昭和天皇・香淳皇后より幣帛が賜与されて以降、1945年(昭和20年)から数えて10年ごとに幣帛の賜与が続けられている。

護国神社は、建立以来、主として戦没者の遺族会や戦友会が運営的・財政的に支えてきた。しかし、戦没者を直接知る遺族や戦友たちの高齢化とともに、その数は減りつつある。そのため、財政的危機に見舞われる護国神社が増えると見られている。

2)2013/08/03 に公開

めぼしい動画が少ないです。
公式サイトも見つかりませんでしたし、wikiにも和歌山県護国神社の個別のページというのは、現時点(2019.9.10)では作成されていないようです?

wak1.jpg

かろうじて神社庁のページに、和歌山県護国神社の項目があるようです。
和歌山県神社庁:和歌山県護国神社 わかやまけんごこくじんじゃ-

和歌山県、紀州藩といえば、尾張・水戸と並んで、言わずと知れた徳川御三家。
有名な八代将軍吉宗も第五代の紀州藩主でしたし、孝明天皇の御代、幕末動乱に翻弄された第十四代将軍家茂も、紀州の出身でした。
同じ御三家といっても、遠祖に光圀や義直のような有名な尊皇家をいただく水戸や尾張とは、おのずと、お国ぶりが違ってくるような面もあったのかどうなのか……
代々、徳川将軍を輩出してきた紀州の旧藩士・領民たちにとって、長州にルーツを持つ招魂社、まして幕末動乱の官軍戦没者のみを祀る招魂社というのは、どのような存在だったのでしょうね?
(ちなみに薩長幕府とも揶揄されることもある明治政府において、名外務大臣として名高い陸奥宗光は珍しく旧紀州藩士でしたが……その陸奥も、明治十年、謀反の疑いをかけられて一時投獄されているようです(後、特赦で出獄))

だからというわけでもないでしょうが、幕末や明治初期に旧藩主によって創建された護国神社というのも多い中、和歌山県護国神社の創祀は比較的遅めで、明治十三年以降、西南戦争など一連の内乱が終息し、完全に新政府の天下が定まったあとになるようです。
しかも、その当時の御祭神は、「全国護国神社巡拝ガイドブック https://amzn.to/2PZuV2N」によれば、「靖国神社にお祀りされていた県出身の戦没者」だったそうで……靖国とは別個の独立した由緒・沿革・合祀基準を持つことの多い護国神社のなかでは、先に靖国ありきの御祭神というのは、やや珍しいというか、独自色が薄めのような気もしないでもありません。
また、当時行なわれていたのは、あくまでその都度臨時の祭壇を設けて営まれる招魂祭で、常設の社殿が建立され、「官祭招魂社」となるのは昭和十二年になってからのこと。やはり微妙に出足の遅い護国神社だったようで……その二年後には、例によって例の内務省令で「護国神社」に発展したようです。

和歌山県護国神社の鎮座地は、和歌山城跡の一角(本丸南西部?)。

動画概要:
2017/10/11 に公開
和歌山城の中、今日は護国神社、追廻門、御橋廊下を散歩してきました。まだ紅葉は少し早いです。
そして、忍者?がいました(^_^;)

大奥痕は大奥跡の間違いです。m(_ _)m

徳川将軍を輩出してきた紀州藩のお城に、幕府を倒した官軍戦死者の祭祀にルーツを持つ神社が同居しているというのも、あらためて考えてみると、なかなか不思議な光景ではあるかもしれません。
まあ、明治22年の憲法発布以降、賊軍の汚名が順次そそがれつつ、対外戦争の時代に突入していくなかで、そんな因縁もわだかまりも一応の解消へ向かっていった。日清・日露、第一次大戦を経て、昭和三年、常設社殿建立へ向けて「和歌山県招魂社建設期成会」が発足するころには、今さら官軍も賊軍もない、「日本」の英霊という意識も確立されていたのだと……思いたいところではあるでしょうか。

皇国の弥栄祈り吾もまた散りて護国の華と咲きなむ (中西斎季 海軍中尉)
み光りに花と散るべき我が身なり瓦と生きて何かたのしき (湯原茂 満蒙義勇軍)
年ふりし木草ことごと繁りたりひとしほきよきこれのみ社 (坂田勇 陸軍船舶兵)
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posted by 蘇芳 at 01:33|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする