2019年09月03日

「賊軍」合祀


靖国神社には二百四十万柱以上、各都道府県の護国神社にもそれぞれ万を下らない御祭神が祀られていて、護国の英霊~とひとからげにするのは簡単ですが、個別の事情を見ていけばさまざまに複雑。いわゆる御祭神の合祀基準というものも、考えれば考えるほど、ハッキリしなくなっていきます。完全にハッキリさせることなど土台不可能なのかもしれませんが、かといって無頓着でも恣意的でもあっていいのかというと、そうまで開き直ることもできない気もするナンギな話。

特に、こちらでも書いたように、(反日勢力によって政治的に仕掛けられ、捏造された「問題」=言いがかりなどは、本質的に問題でもなんでもありませんが)、戊辰の役や西南戦争など「賊軍」の問題は、それら敵勢力の言いがかり以前から、英霊祭祀に内在する合祀基準・取捨選択の問題として重要であるように思います。

そして、この問題については、(来歴が個々別々なので一概には言えませんが)、往々にして、靖国神社よりも、護国神社のほうが、実践的な向き合い方をしてきたケースが、まま見られるようにも思います。
護国神社のなかには、明治時代初期に最後の藩主によって創建された例も多く、その「藩」というのが、奥羽列藩同盟に所属していた場合などもあるのですから、その神社の御祭神として誰を祀るのか、祀ることが(新政府によって、逆に、直接に神社を支えるべき地元住民によって)承認されるのか……それは単なる机上の空論ではなく、現実的に解決せざるべからざる課題だったのではないでしょうか。

奥羽列藩同盟から新政府側に寝返った秋田藩
元は幕府側だったにもかかわらず、(あるいは、だからこそ「ことさらに」か?)、新政府側につくべしと主張したわずか二名に藩士のために招魂社を創始した盛岡藩
米沢・新庄・上山・天童・荘内・松山・山形・長瀞の8藩及び幕領・他藩の飛び地が分立していた山形県にありながら、薩摩藩士を祀って創始された山形県護国神社
などなどは、官軍へのおもねりを勘ぐることができなくもなく、新政府には認められやすかったかもしれませんが、さりとて、地元住民の感情は逆なでせずにすんだのか? 第三者的には謎めいたものも感じます。

さらには「賊軍」代表、会津藩。こちらで見たように、明治の初期から各地で戊辰の役における「福島県出身将兵」を祀っていますし、明治十二年にはそれらが合併して「 官 祭 信夫山招魂社」になっています。
西郷隆盛をはじめとする「賊軍」の汚名が、明治天皇の深い思し召しによって払拭されたのは、明治二十二年の帝国憲法発布の機会に合わせてですが、
Wikipedia:賊軍 > 明治の「賊軍」
長らく汚名を被っていた旧幕府軍に対し、西南戦争関係者の名誉回復は比較的早く、1889年(明治22年)に西郷隆盛が大赦で許されたのを皮切りに、大正時代が終わるまでに関係者の多くは名誉回復している。
Wikisource:大赦令 (明治22年勅令第12号)
その十年も前から会津で「官祭」が可能だった、戊辰の役の「福島県出身将兵」というのは、いったい何者なのか? 神社の公式HPなど、通り一遍の情報を見ても、ハッキリしません。戊辰の敗戦で会津の藩領は没収、藩主の容保も鳥取藩預かりとなったあと、陸奥国斗南に移されていますから、忠義の武士はさておき、福島に残された庶民にとっては、官軍も賊軍もわりとどうでも良かったのか、そうでもなかったのか、そもそも「招魂社」なる新式のお社が庶民にとってどの程度理解され崇敬されたのか……謎ですし、まあ、今さら、蒸し返すことはない、という、大人の判断も必要かもしれません。

いずれにせよ、幕末維新期の「賊軍」については、上のリンク先に見るように、憲法発布以降、明治時代のうちには、おおむね名誉回復が果たされているようですし、日清日露の挙国一致によって良くも悪くも国内の分断は基本的に克服され、日本の戦争も(いくつかのテロやクーデター未遂を除いて)内戦ではなく対外戦争となって、新たに「賊軍」祭祀の問題が発生することはなくなりました(二二六事件などにかこつけて問題を捏造しようとする向きはその後もありえたかもしれませんが、現実を動かすほどの大きな反響を呼ぶことはなくなっていったでしょう)。

また、「賊軍」の汚名がそそがれた以上、明治二十二年以降は、各地の護国神社でも、大手を振って、郷里の英霊を合祀することもできるようになったわけでしょう。
田中丸勝彦「さまよえる英霊たち―国のみたま、家のほとけ https://amzn.to/2MQTTyX」には、(この本自体は「侵略戦争」だの「略奪凌辱」だの「慰安婦」だのいろいろ反日プロパガンダを真に受けたアレな内容ですが)、佐賀県護国神社(昭和二十八年)、福島県護国神社(大正二年)、など、著者の調査した九州の護国神社における「賊軍」合祀の事例が少数ながら紹介されているようです。

一方で、「南洲神社に祀られている」という理由で西南戦争西郷方戦死者の合祀を見合わせた鹿児島県護国神社の例も紹介されていますし、また、旧「賊軍」は合祀した福島県護国神社も殉職自衛官の御霊は合祀していなかったり、やはり、護国神社の合祀基準も神社によって個々バラバラではあるようですが……
それはそれとして、各神社の判断次第では、「賊軍」合祀も、殉職自衛官合祀も、何ら不都合なく可能であり、実際に実行している例もままあるのが、つまるところ、護国神社。

遠くて靖国にまでは行けないというなら、せめて地元の護国神社に~と、しばしば、靖国の「代用品」のような扱いをされがちで、当ブログでも安易にそういう言い方をしてしまったことは何度かあるかもしれませんが💧
しかし、「すべての」ではないにしても、護国神社のうちの何社かは、こと旧「賊軍」の祭祀に関する限り、明治二十二年以降もかたくなに「賊軍」を鎮霊社に「隔離」しつづけている靖国神社より、むしろ、一歩先んじているとも言えるのではないでしょうか?

まあ、護国神社は、全国規模の靖国神社ほどには政治的な「抗議」という名の反日活動の標的にされていないから~という身も蓋もない現実的な事情もあるといえばあるのかもしれませんが、(それでも殉職自衛官合祀「問題」の標的にされたのは山口県護国神社ですが)、いずれ敵勢力の言いがかりなど、どこまで行っても、愚にもつかない言いがかりにすぎないのですから、毅然として黙殺するくらいの気概は、靖国にも求めたい気がしないでもない今日この頃。

戊辰の役や佐賀の乱、萩・秋月の乱、西南戦争などの舞台になった各地についてはもちろん、それ以外の地域でも、護国の英霊のなかでも特に「郷里」の英霊を祀った護国神社について、十把ひとからげではない関心を向けてみてもよいのかもしれない、という気はするのです。(ハッキリしたことはなかなかわかりにくいのでしょうけどね……)

それともやはり今さら蒸し返さない「大人の判断」が必要なのでしょうか?

Amazon:
全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~
故郷の護國神社と靖國神社―「故郷の護國神社展」の記録 (シリーズ・ふるさと靖國)
「戦没者慰霊」と近代日本 殉難者と護国神社の成立史
さまよえる英霊たち―国のみたま、家のほとけ
楽天ブックス:
全国護国神社巡拝ガイドブック ご朱印めぐりの旅 [ 山中浩市 ]
故郷の護國神社と靖國神社 「故郷の護國神社展」の記録 (シリ-ズ・ふるさと靖国) [ 靖国神社 ]
「戦没者慰霊」と近代日本 殉難者と護国神社の成立史 [ 白川哲夫 ]
さまよえる英霊たち 国のみたま、家のほとけ [ 田中丸勝彦 ]
ラベル:護国神社
posted by 蘇芳 at 15:45|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする