2019年08月13日

【動画】【山田賢司】靖国神社への誤解、A級戦犯という虚構[桜H26/3/14]


「H26」という5年前の動画ですが、「靖國」で検索していたら見つかったので。。
SakuraSoTV から。


動画概要:
2014/03/14 に公開
※フリッップにて以下の誤記がございますので、訂正させていただきます。
誤)訴求不可罰  正)遡及不可罰

国を想う国会議員達が、国会中継だけでは伝えられない政治の動きを、ビデオレターで国民の皆様にお伝えするシリーズ。今回は山田賢司衆議院議員から靖国神社参拝に関し、特に関心の薄い一般国民の皆様へ、「東京裁判」と「A級戦犯」への誤解について解説して頂きます。

とりあえず最初に、知っている人は知っている有名なエピソードに言及してみますと……
昭和二十年四月二十三日、海軍報道班員だった作家・山岡荘八は特攻基地として有名な鹿屋への取材行を命じられます(同行の班員は川端康成&新田潤。まあ、どうでもいいですが)。
十死零生の特攻隊。いったいどんな悲壮な世界なのかと身構えながら鹿屋を訪れた山岡氏がそこで見たものは、予想に反して、底抜けに明るく屈託のない隊員たちの姿でした。
なぜ彼らは「笑って征く」ことができるのか。誰もが抱くだろう疑問を山岡氏も抱きますが、面と向かっては隊員たちに訪ねる勇気がなかなか出ません。
そんななか、人一倍の気風の良さにほれ込んだか、理由の詳細はわかりませんが、この人ならば、と、山岡氏が見込んだのが、西田高光中尉。「もう何をたずねても、そのために動揺するような気配は全くなかった」西田中尉に、山岡氏は「禁句になっている質問を矢継早に浴びせていった」といいます。すなわち、「この戦を果して勝抜けると思っているのかどうか?」、「もし負けても、悔いはないのか?」、「今日の心境になるまでにどのような心理の波があったのか」などなど。。
それに対する西田中尉の答えは、山岡氏の筆によると、
 彼は、重い口調で、現在ここに来る人々はみな自分から進んで志願したものであること。したがってもはや動揺期は克服していること。そして最後にこうつけ加えた。
 「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです……おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに……」
この挿話を含む山岡氏の見聞は、その後「最後の従軍」と題して、昭和二十七年八月六日~八月十日の 朝 日 新 聞 に連載され……現在は靖國神社編「いざさらば我はみくにの山桜 https://amzn.to/2Z3MldD」などに、全文が(掲載日不明の「その後」も含めて)収録されているようです。

前振りが長くなりましたが、今さら私ごときがこのエピソードを紹介すること自体が目的ではないので、興味のある人は是非、全文を読んでみてくださいというところですが……

ところで上の西田中尉の言葉の中にある「講和」とは、何のことでしょう。いや、「いつ」のことでしょうか?
不注意な日本人なら、反射的に8/15を思い浮かべてしまうかもしれませんが……
サンフランシスコ講和条約の締結は、昭和二十六年九月二十八日。発効は半年後の昭和二十七年四月二十八日です。あくまで。
「講和」を以て初めて「戦争」が終結するのであるとすれば、西田中尉が「負けたとしても、そのあと」に見据えていた「講和」とは、8/15ではなく、文字通り「そのあと」の第二ラウンドの果てに結ばれたこのSF講和条約のことでなければならないはずではないでしょうか。
全員が全員ではないにしても、少なくとも特攻隊員の一部には、そこまでの未来を射程に収めていた、という作家・山岡荘八の証言自体(発表の時期や掲載紙に注意を払いつつも)、腐った戦後生まれの日本人が、あらためて、襟を正して向き合わなければならないものと思いますが……
それよりなにより、ハッキリさせておきたいことは、(当たり前すぎるほど当たり前で口幅ったいのですが)、「講和」を以て初めて「戦争」が終結するのであるとすれば、たとえ8/15以降であろうとも、昭和二十七年四月二十八日以前には、大東亜戦争は決して「終結」などしていなかった、という点です。
8/15以降、4/28までの日々のことを、私たちは、占領、占領、と、軽く片づけてしまいますが……「占領」とはそも何ぞや、いや、「誰」が何を占領したのかといえば、何のことはない、「敵」が日本を占領していたのです。

とするならば、「戦争」が「終結」する以前に「敵」に「殺された」、いわゆる昭和殉難者の「死」は、「戦死」とどこが違うでしょうか?

「A級戦犯」など存在しない、という事実くらいは日本人の常識としてさっさと定着すべきが当然だと思いますが。
さらに言うなら、そもそも「A級」だけではない、BもCもAと同断以上の追撃戦の犠牲者であり、日本には「戦犯」そのものが存在しない。お役所言葉で言うなら「昭和殉難者」が存在するだけであり、「昭和殉難者」が「戦時中」に「敵」に殺された日本人である以上、それはすなわち「戦死者」と何ほどの違いもない。「法務死」と「戦死」の区別というのも、所詮、本質ではない、というくらいは、言ってもいいように思いますし、また、それに関連したトピックとしては、こちらで引用した「「敵」という一語」にも注意を喚起しておきたいところです。
そしてもちろん、戦時中に「敵」に殺された英霊であるならば、靖国に祀られて当然なわけですし、その経緯については、こちらで紹介した松平永芳・靖国神社第六代宮司の真意、「怒りの遺言」なども、日本を愛するすべての日本人が熟知しておくべきかと思います。

今年も8/15が近づいてきて、またぞろ靖國が騒がしくなるのかもしれませんが……
8/15が日本人にとってトラウマであることは事実であるにしても、決してその日に大東亜戦争が終わったわけではない。むしろ西田中尉達が見据えていた「講和」に向けて、「敵」の占領という第二ラウンドがそこから始まったのだ、というくらいの認識は必要ではないでしょうか。
8/15以前の英霊はもちろん、8/15以降の第二ラウンドに挺身され散華された英霊たちへの感謝も、忘れないようにしたいと……あらためて思う令和最初の八月だったりするわけです。

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posted by 蘇芳 at 02:12|  L 靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする