2019年07月31日

【読書】別冊正論33「靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝 」


わりと素晴らしかったので取り上げておきます。

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論壇誌(?)の別冊ですからそれなりのボリュームがあり記事も多岐にわたって、それぞれに読み応えがありますが。
それはそれとして、何といっても白眉は松平永芳第六代宮司にかかわるいくつかの記事でしょう。
本書のサブタイトルが「英霊と天皇御親拝」ですが、まさにその御親拝が途絶える前後の時期に靖国神社宮司を務め、数々の誹謗・中傷・誤解・曲解にさらされてきた人物。
自称保守のなかにさえ、愚劣な「富田メモ」を悪用した組織的とも思えるキャンペーンに、いまだに騙されて、元宮司の真意や昭和天皇の大御心を誤解している向きが、ないとも限りませんが……本書のいくつかの記事は、そのよい解毒剤になるのではないでしょうか。

私ごときが駄弁を重ねても仕方ないので、以下、いくつか引用しておきます。

まずはとりあえずAmazonの商品紹介。
元宮内庁長官の「富田メモ」とそれを検証した評論家らによって多くの日本人は、昭和天皇の靖國御親拝が途絶えた理由が「A級戦犯合祀」で、昭和天皇が「A級戦犯」や合祀を遂行した当時の松平永芳宮司を不快に思っていたと、思い込まされてきました。しかし、当の松平宮司の生前の種々の証言をたどった結果、明確な理由が別にあることが今、解き明かされました。そこには靖國神社を自らの売名に利用した宰相や、皇室を守る気概を欠いた宮内庁から昭和天皇をお護りするための松平宮司の重大決意がありました。同時に、「富田メモ」の背景には、宮内庁や同長官に直言して憚らなかった松平宮司への逆恨みがあることも浮かびました。
そしてカスタマーレビューから、
櫻井よしこさんたちの鼎談も読みごたえがあるが、それ以上に編集部の「昭和天皇御親拝が途絶えた本当の理由―今、解き明かされた松平宮司証言」はすごい内容だ。いわゆる「富田メモ」で悪者にされた松平宮司が、実は昭和天皇や私たち日本人を護ろうとして、昭和天皇の行幸を招請しなかったこと、富田朝彦の松平宮司への「逆恨み」などがメモの背景にあることもわかる。メモを検証した「昭和史家」たちは東京裁判肯定派ばかりだから、検証結果は彼らの主観に基づいたものだということもわかる。
これだけでも、さっさとポチって本文を読め、というところですが……

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それでもたかが1000円が惜しいという人のために、さらに本文からの引用をいくつか。。
 櫻井 いわゆる「A級」の方々は靖國神社の総代会で合祀が決まったのを筑波藤麿宮司が「宮司預かり」にした。それを昭和五十三年に就任した後任の松平永芳宮司が、合祀の「上奏簿」を届けて昭和天皇が御裁可になっているわけです。天皇が合祀を認めた御祭神を分祀するなど、とんでもないことですよ。
平成の御親拝なければ日本国の危機だ
 寺島 天皇御親拝というと昭和天皇の靖國への行幸が途絶えた理由として「富田メモ」の内容を持ち出す人がいますが、あれは終戦時の昭和天皇の御発言と大きく矛盾します。
 櫻井 私は実物のメモを見たわけではなく、報じられた「検証」結果など二次情報しかないのですが、「富田メモ」とは昭和天皇の言葉を当時宮内庁長官だった富田朝彦という人が書き留めたと称するもので、本当に正しい記録なのか学術的な検証ではない。しかも断片的なメモが多い。富田さんという人は皇室の専門家でも、歴史に詳しいわけでもない。その証拠に例えば「白鳥」を「白取」と間違って書いた。それを金科玉条のごとく、昭和天皇の御意思だと言うこと自体がおかしい。メモの位置付け自体が怪しいです。宮内省の大臣ら五人が昭和二十一年に正式に記録した『昭和天皇独白録』で、昭和天皇は例えば東條英機を評価していますが、富田メモの言葉はこれに相反するんです。
 寺島 終戦時の内閣書記官長(現在の官房長官)だった迫水久常が語った「終戦の真相」などでも、昭和天皇は「戦勝国の名に於いて勝手に裁判するのなら致し方ないが、自分の名に於いては何人も戦争犯罪人というものに当たる者はない」と明言された。「国民は一人残らず忠良な国民として君国に尽くした」と、いろいろな機会におっしゃっている。この大御心を蔑ろにして、不確かな「富田メモ」を昭和天皇の御言葉というのは不遜だと思いますね。
 櫻井 「富田メモ」に重きを置こうとするのは、いわゆる靖國参拝反対の人たち、どちらかというとリベラルの人たちにとって都合のいい表現が断片的に書かれているからではないかと思いますね。
 寺島 富田長官が付けていたメモは全部で何十冊もあるそうです。その中のたった一ページだけを公表した。じゃあ他のページには何が書いてあるんだと言ったら、それはプライバシーだから出せないと。そのような態度もおかしいですね。
平成の御親拝なければ日本国の危機だ
 松平宮司は、国から送付された祭神名票に則った合祀を遂行したまでで、その行為には寸毫の瑕疵もない。
 昭和二十六年に調印されたサンフランシスコ平和条約が発効された二十七年の翌二十八年、我国十六国会に於いて超党派による援護法の一部改正となって、いわゆる「戦犯」死亡者も一般の戦歿者と同じ取り扱いをすることとなり、すみやかに手続きをするようにとの通知を厚生省が出している。
 故に、「メモ」にある「――筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」の「慎重」は、冗談混じりに云うのだが、単なる職務怠慢に過ぎず、勝者の側によって「戦犯」なる勝手な烙印を押されたご遺族を長期に亘って徒に苦しめただけであった。
『空の靖國 海の靖國 陸の靖國 心の靖國』
そしていよいよ、松平宮司自身の生前の発言に取材した記事……
「国家護持」という言葉は戦後誰が言い出したのかは存じませんが、全国の戦友会や遺族会の方々が、何百万何千万という署名を一生懸命集められた。そして国会に何度か法案が提出されたものの、ついに通らずに廃案となった。いわば戦友会、遺族会の悲願中の悲願だったわけです。
 しかし私は断固として反対いたしました。というのは、「靖国法案」をよく読むと、靖國神社という名称こそ残すものの、役員である理事長などは総理が任命するし、宗教色はなくせというのです。法制局の見解によれば、祝詞は感謝の言葉に替え、降神、昇神の儀はやめる。修祓も別の形式を考案し、拝礼も自由にするという。つまり、政府はカネを出す代わりに政府が牛耳る。靖國神社と称するものの中身は神社ではなくなってしまうんです。
 ところが、戦前派の人たちは、法制局がいじくった法案なんか目を通しませんし、国家護持といえば、今のままの姿の靖國神社を国が守ってくれると、日本人らしい純粋な気持ちで信じている。そこへ当の靖國神社の宮司が反対を打ち上げたものですから、すごい反撃でした。
 しかし、人からおカネをもらえば、胸を張って言いたいことも言えなくなります。政府の庇護を受け、それに縛られていると、とんでもない政権が現れ、どんな目に遭うかわからない。それに、村や町のお社だって、お祭りとなれば、氏子がめいめいに寄附するから、自分たちのお宮だという意識が生まれる。これがすべて町費でやるとなれば、そうはいかない。
 だから靖國神社も、戦前と異質な戦後の国家による国家護持では危険なので、国民護持、国民総氏子で行くんだと、私は繰り返し申し上げた。
英霊の”醜の御楯”となった松平永芳宮司
これだけでもスバラシイ見識と、それを実行する断固たる勇気に頭が下がる思いですが……
さらに、このあと、昭和殉難者合祀の経緯(特に合祀について事前に昭和天皇に上奏したこと)が松平宮司自身の言葉であらためて語られ、中曽根康弘、三木武夫、など、靖國を愚弄した「卑しい」政治屋たちの醜悪極まる実態についても、松平宮司自身の言葉や、小泉純一郎については宮司の海軍時代の後輩に当たる作家・渡辺一雄の言葉を引用する形で暴露されていきます。
そこから浮かび上がってくる、松平宮司の決意とは……
 これまで述べたようなことで、少し分かっていただけたかもしれませんが、靖國神社というのは決して平穏な神社ではありません。政治的に非常に圧力のかかる神社です。それは左からの圧力だけではなく、そうでないところからもかかってくる。一見“愛国”“憂国”を装った形でもかかってくる。
 だから、ともかく権力に迎合したらいけない。権力に屈服したら、ご創建以来の純粋性がめちゃくちゃになってしまう。権力の圧力を蹴飛ばして、切りまくる勇気を持たないといけない、ということを、次の宮司への一番の申し送りにいたしました。
同上
 そして「伝統国家護持のために一命を捧げられた御祭神の御心を蹂躙して憚らない、そんな指導者・政治家たちを十四年間見てきました。哀しいことでありました」としたうえで、天皇の親拝について述べている。
「そういう政界の実態を見てきましたから、私の在任中は天皇陛下の御親拝は強いてお願いしないと決めていました。天皇様に公私はない。天皇陛下に私的参拝も公的参拝もない。陛下は思し召しで御参拝になられたんだ、と言えばそれで済むんですが、総理も宮内庁長官も侍従長も毅然とした態度で、天皇陛下に公私はないんだという、それだけのことをキッパリ言い切るとは思えない。そこでもたもたして変なことを言われたら、かえって後々の害となる。変な例を作ってしまうと、先例重視の官僚によって御親拝ができなくなってしまう恐れがある。それで私が宮司の間は絶対にお願いしないことにしてきました。その代わり春秋の例大祭には、きちんと勅使の御差遣を戴いています。それに御直宮の高松宮・三笠宮をはじめお若い皇族様方に極力御参拝に来ていただくようお願いしまして、よくお務めくださっています」
 昭和天皇の靖國御親拝が昭和五十年を最後に途絶えた理由を、「富田メモ」肯定派は昭和殉難者合祀を「不快に思われたから」としているが、実はそうではないことが、この松平宮司の証言で明らかだ。
同上
ということで……
ここまで言ってもまだポチらねぇかというか何というか、あとは本書を読んでください。としか言いようがありませんが。。

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それにしても、Amazonあたりで「松平永芳」を検索してみても、宮司自身の著書や講演集のようなものは一切ヒットしません(2019.7.30現在)
靖國神社の宮司といえば、第七代大野俊康宮司には「特攻魂のままに―元靖國神社宮司大野俊康講演集」、第八代湯澤貞宮司には「靖國神社のみたまに仕えて」、さらにはまさしく天皇陛下の御親拝をめぐって問題化し退任に至った第十二代小堀邦夫宮司にさえ「靖國神社宮司、退任始末」が、それぞれ公刊されているというのに、肝心の、ある意味「張本人」でもある松平宮司の講演や寄稿が、(少なくとも容易に入手可能な形では)一冊にまとめられ公刊されていないのだとしたら、それは保守ビジネス業界の怠慢というものではないでしょうか。。
サンケイでもPHPでも展転社 でも明成社でもいいですから……上の引用元記事のソースになっている、宮司の講演やインタビュー、渡辺氏の雑誌「諸君」への寄稿記事、伴五十嗣郎氏の雑誌「日本」への寄稿などなどを、容易に参照できる形に、何とかまとめることはできないものでしょうかね。。
もっと早くにそれができていれば、もっと早く敵と味方を明確にして、無駄弾の浪費を避けることもできたような気がするのですが……


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ラベル:靖国神社 読書
posted by 蘇芳 at 01:31|  L 靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする