2019年07月27日

【動画】飛騨護國神社


飛騨の神々と祭りHealingJapanTVhitnettv から。








動画概要:
1)2016/08/16 に公開
8/15日高山西高校ウインドアンサンブル部の演奏によ、みたま祭の神職が参進します

2)2013/01/15 に公開
・飛騨高山の詳細情報や地図はこちら↓
http://www.healing-japan.tv/spot-1018.html

3)2015/08/01 に公開
平成27年6月14日に岐阜県高山市にある飛騨護国神社境内で行われた「第1回泣き相撲飛騨高山場所」ダイジェスト
総勢100名を超える名力士の泣きっぷりをご覧ください。

こちらでも書いた通り、昭和十四年の内務省令で定められた内務大臣指定護国神社は各都道府県に一社ずつが原則ですが、現在、全国護国神社会には五十二の護国神社が加盟しているといいます。護国神社の存在しない東京・神奈川を別にすると、都道府県数より七社ほど多い計算になります。
全国護国神社会加盟の護国神社が複数存在するいくつかの道府県のうちの一つ、岐阜県。
岐阜護国神社濃飛護國神社につづいて、三社目です。
飛騨護國神社公式サイト
Wikipedia:飛騨護國神社

公式サイトやwikiの記述を見てもわかるとおり、他の護国神社とはかなり違った由緒を持つ護国神社のようです?
山中浩市「全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~」によれば、全国護国神社会加盟護国神社のなかで、唯一、「官祭招魂社」にも「内務大臣指定護国神社」にもならなかった護国神社だとか。

それでは、完全に国家祭祀とは関係のない、純粋に民間の一宗教法人か何かだったのかというと、必ずしもそういうわけではないようで、むしろ公的・国家的な色彩は強い成り立ちを持っている神社かもしれません?
以下、同書から引用してみますと……
明治時代に神道普及のために創設された「大教院」の地方組織「高山中教院」が、明治十二年祖霊殿に飛騨地方出身の西南戦争戦歿者の神霊をお祀りしたのが神社の起源です。中教院はその後廃止になりますが、明治四二年には県知事の認可を受けて「私祭飛騨招魂社」を設立し靖國神社の御分霊を合わせてお祀りし、これが神社の創建となりました。
「靖國神社の御分霊を合わせてお祀り」しているというのですから、この時点で国家レベルでないがしろにできない神社にならざるをえないわけですし、そもそも神社のルーツになった「中教院」にしてもかなり政策的な存在だったようです。
以下、神社本庁研修所編「わかりやすい神道の歴史」から飛び飛びで引用してみますと……
 そもそも維新新政府発足以来の課題は、欧米諸国に対して国の独立を守ることであり、列強の侵略の尖兵と目された基督教の浸透に、国民教化政策をもって対抗することであった。このための教化機関として、明治二年(一八六九)、大国隆正・福羽美静らの主唱により神祇官に宣教使が設置される。
 こうして明治五年(一八七二)四月、神祇省が教部省に改組され、全国の神官・僧侶を動員した一大教化事業(大教宣布運動)が始まる。
ここに神官をはじめ宗教者は、国家的な義務として国民教化活動に従事すべきものと位置づけられた。
 そして明治六年(一八七三)、教化の拠点として、東京に大教院、各府県に中教院が置かれると共に、全国の神社・寺院は小教院と位置付けられて、全国を一丸とする教化体制も整えられた。こうして神官は同時に教導職を兼務することになり、国家の宗祀に従事する本務のほか、国民教化を担う教化活動者として、教化活動を行ってゆくこととなったのである。
……だそうで。
一口に「国家神道」などと片づけてみても、その成立には複雑な経緯と、関係者の熱意や努力があったわけで、それら細部を無視した雑な言説には、警戒も必要というものかもしれません?
神社ブームだのパワスポブームだの言われて久しいですが、私たちは、まだまだ、神社の歴史、神道の歴史を知らないのかもしれませんね。。

他府県の中教院がその後どうなったのか、なぜ岐阜の中教院だけが護国神社に発展したのか、なぜ「靖國神社の御分霊」までお迎えすることになったのか、ツッコんで考えだすとキリがありませんが。
これだけの由緒を背負う神社ですから、指定外護国神社とはいえ、そんじょそこらの村社相当とはわけが違う、というところではあり、それが現在、府県社相当の指定護国神社と肩を並べて全国護国神社会に加盟しているゆえんなのでしょうか。
ちなみに一番上の動画で「高山西高校ウインドアンサンブル部」が演奏している曲は、靖國神社の歌だったりもしますね。普通にふさわしい選曲ですが、特に飛騨護国神社が靖國神社の御分霊をもお祀りしているというのであれば、なおさらかもしれません。

最後に……

「岐阜県」出身ならまだしも、「飛騨地方」出身の英霊となると、なかなかすぐにはわかりませんが。
この場合は、岐阜県の中教院だったり、靖国の御分霊~だったりもしますから、無理に飛騨に限定せず話をこじつけてみますと。。
国家神道云々ということで、上の引用にも大国隆正・福羽美静の名前が登場したように、
Wikipedia:
大国隆正
福羽美静
何しろ「神武創業」が合い言葉ですから、維新この方、国学や神道に傾倒する種類の文人・思想家は、日本国家の精神的支柱をいかに打ち立てるか、思想的な格闘を続けたようで。それは大東亜戦争当時にも続いていたのでしょう。
日本浪漫派の保田与重郎などは出征する若い友人たちのために「校註 祝詞 https://amzn.to/2ygXltr」を編みましたし、蓮田善明は古事記の現代語訳https://amzn.to/2K525YFを残しています。
また、大東亜戦争とその敗北に宗教的・神道的な意味付けを行おうとした思想家といえば、折口信夫の名も挙げることができるかもしれません。彼は最愛の弟子であり養子でもあった藤井春洋(折口春洋)を硫黄島の戦いで失くしていますが、
Wikipedia:折口春洋
春洋にかぎらず、祖国の聖戦や自分たちの死の意味付けを「折口学」に求めようとした若人は、当時、たくさんいたのかもしれません。
先だって岐阜護国神社の記事の末尾で一首を引用した岐阜県出身英霊の一柱・山川弘至命も、やはり、折口信夫の弟子の一人だったと言います。
Wikipedia:山川弘至
四季・コギト・詩集ホームぺージ:
山川弘至記念館訪問記
山川弘至記念館
いわゆる「国家神道」はもとより、戦前・戦中の精神論・精神主義は、戦後、嘲笑の的になりましたが……
弊履の如く捨て去って二度と顧みる必要のない、それはただそれだけのものだったのか?
そもそも私たちは、それら戦前・戦中の思考の中身について、いったい、何を教えられてきたでしょう? 何かを教えられてきたでしょうか? 知っているでしょうか? 知りもしないで、なぜ、切り捨ててよいとわかるのか?
つまるところ、何というか、当代一流の学者・文人たちの、文字通り命がけの思想的営為に対しては、相応の敬意を以て相対し、誤謬があるというならその誤謬についても、正確に把握しようとすべきではないかという気もする今日この頃なのです。
日の本のみちの正みち明らめて永久にしづめむ大和心を (山川弘至 陸軍少尉)

Amazon:
全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~
故郷の護國神社と靖國神社―「故郷の護國神社展」の記録 (シリーズ・ふるさと靖國)
「戦没者慰霊」と近代日本 殉難者と護国神社の成立史
大東亜戦争詩文集 (近代浪漫派文庫)
わかりやすい神道の歴史
楽天ブックス:
全国護国神社巡拝ガイドブック ご朱印めぐりの旅 [ 山中浩市 ]
故郷の護國神社と靖國神社 「故郷の護國神社展」の記録 (シリ-ズ・ふるさと靖国) [ 靖国神社 ]
「戦没者慰霊」と近代日本 殉難者と護国神社の成立史 [ 白川哲夫 ]
大東亜戦争詩文集 (新学社近代浪漫派文庫) [ 田中克己 ]
わかりやすい神道の歴史 [ 神社本庁 ]
posted by 蘇芳 at 01:51|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする