2019年07月24日

【動画】濃飛護國神社


ひでよし部長チャンネル静岡発!地方再生論 から。





動画概要:
1)2019/05/14 に公開

2)2016/05/04 に公開
岐阜県の南西部に位置し、面積206.57㎢、人口は県内では岐阜市に次ぐ2番目に多い162,307人(2016.2.29)。古くから中山道と美濃路が行き交う交通の要衝として栄え、戦国時代「大垣城」は関ヶ原の戦いにおいての西軍の本拠地であったことは知られている。江戸時代に入ってからは、大垣藩十万石の城下町としても宿場町としても栄えた。明治22年(1889年)の市町村制施行に伴い大垣藩は大垣町となり、大正7年(1918年)には県内2番目の市制を施行した。大正から昭和にかけては、大垣の豊富な地下水を利用できる繊維業などの産業が進出し、現在では電子部品や自動車部品、情報関連産業などが集まる工業都市でもある。
(中略)
【大垣城】
美濃の国の守護「土岐氏」により1535年に築城され、1600年の関ヶ原の戦いでは石田三成率いる西軍の本拠地とされた。江戸時代には戸田氏が領主となり、幕末までの235年間藩政が続いた。明治の廃城令において天守の解体は免れ昭和11年(1936年)に国宝に指定されたが、1945年7月の大垣空襲により焼失してしまった。戦後は、1967年に鉄筋コンクリートで天守は復元され、館内には大垣の歴史的資料などが展示されている。

【濃飛護国神社】
大垣公園に鎮座されている。
岐阜県神社庁:濃飛護国神社
Wikipedia:濃飛護國神社

動画が少ないですが。。
前回の岐阜護国神社に続いて、岐阜県内の護国神社、二社目。

二番目の動画に大垣城についての説明がありましたが……ここから西へ14km(?)ほど離れたところが、つまるところ、関ケ原古戦場だそうです。そこから少し南へ下ると、元正天皇の御代に発見され改元のきっかけにもなった「養老の滝」があったりもするようです。
濃尾ならぬ「濃飛」は、岐阜県の美騨地方を指すそうで。蝮の道三やら飛騨の匠やら、いろいろ連想される地名でもありますな。
つまるところ、京都と東国を結ぶ重要拠点として、しばしば、歴史の舞台に登場するお国柄というところでしょうか。

そんな濃飛地方に鎮座する濃飛護国神社の創建は、前回の岐阜護国神社よりもはるかに古く、明治二年に遡るようです。

大垣藩第十二代にして最後の藩主・戸田氏共は、戊辰の役において、官軍・東山道軍の先鋒を務め、功を挙げたとのこと。戦争で手柄を立てるということはつまり戦死者も出るということで、それら戦没した大垣藩士の慰霊顕彰のため、明治二年八月、城下の操練場に仮招魂祠を建立。翌明治三年八月には旧城内二ノ丸に招魂場を建立、明治八年には官祭招魂社に指定されたとのこと。
その後、明治四十三年現在地に新社殿を造営し遷座。昭和十四年、例の内務省令によって内務省指定「濃飛護國神社」に改称したとのこと。
岐阜護国神社の創建もこの内務省令を受けてのことでしたから、同時期に県内に複数の指定護国神社が誕生したことになりますね。。
一県一社でなかった理由は……ちょっと謎ですが、岐阜護国神社の御祭神の出身地が県全域ではなかったように、濃飛護国神社の御祭神もやはり「主として西濃・飛騨地方」出身者だそうで。
 もともと複数の行政区分が合併をくりかえして誕生したらしい岐阜県ですから、元は大垣藩限定の招魂社だった濃飛護国神社だけでは、県内全域をフォローできない地域性とか住民感情でもあったのでしょうか??
ちなみに、護国神社のある大垣公園内には、戸田氏歴代の大垣藩主を祀る常盤神社という神社も鎮座しているそうで……

2010/06/07 に公開
大垣市にある常葉神社(ときわじんじゃ)は、1945年の大垣空襲で焼失し、1950年に再建されました。「大垣十万石祭り」は、常葉神社の例祭です。
戸田氏といっても、あまりメジャーな大名ではないかもしれませんが、領民には慕われていたお殿さまだったのでしょうか。
Wikipedia:大垣藩 - 戸田家時代
地元の英霊を祀る護国神社は、わりとどこでも地域密着型という印象がありますが……こうした藩の記憶につながる神社であれば、なおさらかもしれませんね。。

濃飛護國神社は、招魂社時代の明治二十四年には濃尾地震で倒壊、大東亜戦争中の昭和二十年には空襲で焼亡しながら、その都度、復興されてきた経緯があるようです。
Wikipedia:大垣空襲
総務省:大垣市における戦災の状況(岐阜県)
現在の社殿が再建されたのは、本殿が昭和三十三年、拝殿が翌三十四年だそうです。

最後に……

美濃国西部(西濃)に位置する揖斐郡出身の英霊のなかには、「最初の特攻」で有名な神風特別攻撃隊敷島隊の隊員、谷暢夫一等飛行兵曹(戦死後の昇進で最終階級は少尉?)もいらっしゃるようです。
祖国日本:神風特別攻撃隊敷島隊谷 暢夫海軍少尉
舞鶴うぉーかー:神風特攻隊敷島隊の一員として最初に出撃した谷暢夫さん
ということは、つまり、この濃飛護国神社にも祀られているのでしょうか。。?
谷暢夫命は、リンク先にも多数の引用がありますが、わりと普段から和歌をたしなんでいた方だったようで、わけても、辞世の二首は、(本人は「「歌になんかなってないなあ」と大いにテレたhttps://amzn.to/2OeFG0o」そうですが)、戦意高揚のため敷島隊の特攻が計画的に喧伝される中で、新聞紙面などを賑わせたとのこと。
身は軽く 務重きを思ふとき 今は敵艦にただ体当り
身はたとひ機関もろとも沈むとも 七度生れて撃ちてし止まん
特攻について敷島隊について、御祭神について、ご遺族について、戦後の醜いアレコレについて……語り始めればキリはないでしょうが、まあ、誰かがこうだと決めつけるべきことでもないでしょう。(まして私ごときが)。
今はただ、谷暢夫命をはじめ、靖国や護国神社に鎮まる英霊に、静かに手を合わせ、頭を垂れるのみかと。

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posted by 蘇芳 at 01:42|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする