2019年07月22日

【動画】岐阜護国神社


Hiroyuki Matubara岐阜護國神社ChannelGoovie から。








動画概要:
1)2017/02/23 に公開
昭和14年内務省令により、明治維新以来の郷土岐阜出身の戦没者の英霊をお祀りするために創建されました。

明治41年7月に、岐阜市郊外(現長森地区)に歩兵第68連隊が大津より移管され、大正6年には飛行連隊の設置を見るに至り、累次の戦役事変に一身を国家に捧げられた御英霊に対し、感謝奉賽の誠を奉げるべき護國神社の無きを遺憾として、大正7年当時の第68連隊は岐阜県知事並びに市町村長又在郷軍人その他有志と共に、その実現を企画せるも時至らず、日支事変勃発と共に新に多数の御英霊を迎へるに及び、昭和10年護國神社制度が制定されたのを契機に2市10郡209ケ村の代表者が議り、昭和14年3月10日創立を出願、昭和15年11月社殿が竣工、同19日鎮座の儀、翌日幣帛供進の儀が執り行われ茲に岐阜護國神社が創建されました。

現在今次大戦に至る37,800余柱の御英霊をお祀りしており、天に金華山を仰ぎ、前に長良川の清流を臨む山紫水明の地にあります。

我が父の兄もここに祀れています。

2)2015/02/15 に公開
四季折々の岐阜護国神社境内です。

3)2010/07/29 に公開
護国神社は、明治維新以来の郷土・岐阜出身の戦没者の英霊をお祀りするために創建された神社だそうです。撮影日:2010年3月3日
岐阜護國神社
Wikipedia:岐阜護國神社

昭和十四年の内務省令で定められた内務大臣指定護国神社は各都道府県に一社ずつが原則ですが、現在、全国護国神社会には五十二の護国神社が加盟しているといいます。護国神社の存在しない東京・神奈川を別にすると、都道府県数より七社ほど多い計算になりますね。。
一部には例外的に複数の指定護国神社が作られた都道府県もあるのか、それとも現在の護国神社会には指定外護国神社も参加しているのか、そのへんの事情はよくわかりませんが。
北海道(三社)、兵庫県(二社)、島根県(二社)、広島県(二社)などと並んで、岐阜県もまた複数の護国神社(三社)が存在している県のようです。

とりあえず三社のうち一社……一番素直に県名を冠した護国神社ですが、他府県のそれとは違って、「県(縣)」の文字は抜けているのですね。

上の概要などにもありますが、岐阜護国神社の由緒は、戊辰の役や日清日露にまでさかのぼるわけではないようです。
日露戦争後の明治四十一年、岐阜県の郷土部隊として陸軍歩兵第六十八連隊が編成され、シベリア出兵を皮切りに、大正・昭和の時代に活躍したとのこと。
Wikipedia:歩兵第68連隊
大正年間にも一度、県知事等が招魂社の創建を目指して運動したことがあるようですが、諸般の事情でこの時は実現せず……後、昭和になってから、護国神社制度の発足に合わせて、第六十八連隊が駐屯していた岐阜市に、護国神社を創建することがあらためて決定され、昭和十四年三月に創立を出願、昭和十五年十一月に社殿竣工。鎮座の儀、幣帛供進の儀がなどが執り行われるに至ったとのこと。

「県」知事主導の運動が頓挫したり、実現したのは岐阜「市」の運動だったり、何やらいろいろ複雑ですが。そのあたり、様々な「藩」「国」「県」が合併してできたという、岐阜県の歴史にも関わっていたりするのでしょうか?
Wikipedia:岐阜県 - 旧国名 - 近・現代
御祭神は、「戊辰の役から先の大戦に至るまでに国に殉ぜられた、岐阜・中濃・東濃各地区出身の御英霊37,800余柱。」とのこと。県内三社の護国神社でそれぞれ担当地区(?)が細分されているわけでしょうか。

その分、それぞれのお国柄や郷土愛が垣間見えそうな気はします。
そういえば上の動画にも、夏越の祓えらしき時期に子供たちが河童に扮していましたがw これも地域性というか、長良川の関係ですかね?
岐阜護国神社の所在地は、もともと長良川の河川敷だったところで、創建当時、地元民の勤労奉仕によって、境内が整地されたとか。それだけの意気込みで創建された神社ということでしょうか。
もとより「地元」の戦没者を祀る護国神社。地域密着型というか、地元に愛されて当然のお社ではあるでしょう。
「血のつながった御祭神」がいる人も多いわけですしね。。
私たちも、「戦後」の腐った風潮に惑わされず、せめて地元の護国神社にくらいは、折に触れてお参りしたいところです。

以下、「大東亜戦争詩文集 https://amzn.to/2Jwi69w」から、(岐阜・中濃・東濃各地区かどうかはわかりませんが)、岐阜県出身英霊の遺詠いくつか。。
すめろぎの国亡ぶるか興るかの戦なるぞ征けや益良雄 (黒木博司 海軍大尉)
日の本のみちの正みち明らめて永久にしづめむ大和心を (山川弘至 陸軍少尉)
生き死にの心にかかる雲もなく今朝の朝日は輝きにけり (山田大 海軍甲種飛行予科練習生)
このうち、黒木博司命は特攻兵器「回天」考案者の一人としても有名。
Wikipedia:黒木博司
自ら回天に搭乗しての訓練中、事故で殉職。
海底に突き刺さって動けなくなった回天の艇中、酸欠によって死期の迫る中、冷静に「事故報告」を書き残されたとのこと。
その中に記された辞世は、
ガ島陥ちドイツ敗れぬ皇国の明日し思へば死ぬに死なれず
後知恵で特攻の非人道性を云々することはたやすいですし、戦後に醜い身の処し方をした高官も多かったことは確かですが、当時、同時多発的に特攻や特攻兵器を発案した士官たちのなかには、単に他者に死を強いるだけでなく、自らの命をも捧げる「本気」の人たちもいたのだ、ということは、知っておいてもよいような気はします。

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ラベル:護国神社
posted by 蘇芳 at 01:33|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする