2019年07月02日

【動画】長野縣護國神社


長野縣護國神社favorite-placepowspo から。








動画概要:
1)2016/01/18 に公開
長野縣護國神社では四季折々の美しい風景の中で結婚式が行われます。長い参道を二人で歩みますと、一生の誓いが神々に響きます。
限りない感動の神前挙式は、長野縣護國神社でどうぞ。

2)2019/04/23 に公開
桜満開の4月、長野縣護國神社での神前式。
美しい参道を歩む姿を4K空撮動画にて。

3)2012/05/22 に公開
長野県護国神社
Wikipedia:長野縣護國神社

一番上の動画はアカウントが長野縣護國神社になっているようですし、長野縣護國神社公式サイトの動画コーナーで見られるPVと同じもののように見えます。また、同じ公式の動画コンテンツで見られる空撮動画は、季節こそ違えど、上の二番目の動画と似たもののように思えなくもありません。
これらYoutubeのアカウントも、単なる無断転載ではなく、公式的なものなのでしょうか。
つまるところ、ずいぶんと、結婚式に力を入れている護国神社のようです?

それ自体はそれでよいのですが……

私ごときが言うのも口幅ったいことながら、護国神社として最優先すべきは、やはり、英霊の慰霊・顕彰。せっかく動画コーナーを設けるのなら、御祭神にまつわる動画も一緒に作っておいてほしかったような気がしないでもありません。

ちなみに公式サイトには、
長野県護国神社:神社の想い・・・
というコンテンツもあって、期待したのですが、
「人生儀礼」とは、親・子・孫と受け継がれし家族の節目のお祝いです。無事にその日を迎えた事に感謝し、神様のご加護を戴き幸多き日々を歩んでいただきたいと願っております。結婚式を通じて、末永くお役に立てる存在でありたいと想います。
だそうで。
特に護国神社だからどうこうと肩肘張った話ではないようです。

nagano1.jpg

まあ、御祭神はこうした平和な日常とか、結婚→子孫繁栄とか、そういうのを守りたかったのかもしれませんけどね。。
10 護国神社のご利益

護国神社の御祭神は、愛する家族や郷土や国家の末永い平穏無事を願いながら戦地に赴き尊い命を捧げられた戦歿者の神霊です。神霊は私たちの日常の平穏な暮らしをあたたかく見守ってくださっている身近な神様で、参拝者にたくさんのご利益を授けて下さいます。ですから護国神社は、家族や郷土の守護神として、また家内安全と繁栄の神様として、遺族の方々だけでなく、多くの国民の方々に足を運んでいただき、ご参拝いただきたい神社です。
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しかし、だとすれば、なおさら、御祭神の「思い」を大切にしたい、とも言える気はしないこともなく……
公式サイトには、せめて「御祭神」や「御由緒」について、もう少しハッキリした紹介をお願いしたい気はしないこともありません。
長野県護国神社:History
1938年(昭和13年)創建、翌年に内務大臣指定護国神社となり、1957年(昭和32年)に神社本庁の別表神社に松本市で最初に指定されました。歴史を重ねる毎に崇敬者の方々の格別なる尊い御浄財のご奉賛を賜り、1万坪以上の敷地内に弓道場や多目的ホールの美須々会館建設、1978年には弓道の国体が長野縣護國神社で開催され、また諸設備及び境内の整備を進める尊い周年事業が完遂されてまいりました。

これまでの伝統を連綿と守り続けてきたように、ご先祖様がいたからこそ今日がある、唯一の「2人だけの祈りと儀式」を叶えます。
出会いの縁に感謝して、契りと結びと未来を誓い、二つの家族が一つに集う、日本に生まれたからこその結婚式が伝統の力に包まれています・・・
本当に結婚式推しなのですね。。
それはまだしも、これでは御祭神がワカラン。。💧
nagano2.jpg

ということで、以下、自力で調べてみたので間違っているかもしれませんが……

公式サイトにもあるように、長野県招魂社の創建は昭和13年(1938年)11月。
これまで見てきた、京都や北海道、東北といった、幕末維新の激戦地では、明治時代から自発的な招魂社が建立され、それが護国神社に発展する例が多かった気がしますが、ここにきて、創建時期はぐっと遅くなるようです。
昭和13年も下旬ということは、あともう半年もしないうちに例の内務省令が出されるわけで、実際、wikiによれば、「昭和14年(1939年)3月に長野縣護國神社に改称し、同年4月1日に内務大臣指定護国神社となった」そうです。

護国神社の鎮座する松本市は、明治四一年に仙台市から移転してきた陸軍歩兵第50連隊の根拠地でもあり、長らく軍都としても発展してきた町だそうです。
Wikipedia:歩兵第50連隊
しかし、明治四一年ということは、日露戦争終結の3年後ですし、そもそも連隊の編成自体が明治38年3月末日。奉天会戦は終わっていますね。あとは日本海海戦を残すのみ。日露戦争における陸軍の出番が大方終わったあとに誕生した連隊ということになるでしょうか。
その後、台湾、朝鮮、満洲、シベリアなどへ派遣されるようですが、日清・日露の激戦を戦い抜いた部隊に比べれば、慰霊・顕彰の差し迫った必要に迫られる時期にはズレがあったのかもしれません?

シベリアは別にして、陸軍は第一次大戦には消極的だったともいわれていますから、連隊の本格的な活躍は、やはり、大東亜戦争ということになるでしょうか。
歩兵第50連隊は、当初、満州に投入されながら、大戦末期には中部太平洋へ転用され、テニアンの戦いで玉砕したとのこと。
Wikipedia:テニアンの戦い
護国神社は誰かの責任をあげつらう場ではありませんが、泥縄式の逐次投入の戦史を振り返るに、有能な現場が無能な中央に振り回されたという面もないではないような気はしないこともありません。

長野県護国神社はまさにこの歩兵第50連隊の隣接地に創建されたとのこと。

現在、同連隊跡地は信州大学のキャンパスになっているそうですが……大学構内には連隊の遺構なども残されているようです。
松本市ホームページ:旧松本歩兵第五十連隊糧秣庫
もちろん、護国神社ですから、御祭神は、大東亜戦争に限らず、明治維新以来の同県出身英霊すべてなのでしょうし、長野県に駐屯しているからといって50連隊全員が同県出身だったわけでもないのかもしれませんけれど、「縁」は深いのでしょうし、以上の歴史を鑑みれば、やはり、第50連隊はじめ、南方で散華された英霊の存在は、同社・同県・同市にとって、格別、大きなものがあるのかもしれません?
長野県出身者の終焉の地は、もちろん、テニアンに限らず、様々でしょう。分けてもニューギニアで散華された日本軍将兵約18万柱のなかには、長野県出身者が約2800柱含まれているそうで……長野県護国神社第一鳥居前には、ニューギニア島戦没者慰霊碑「嗚呼戦友」も建立されているといいます。

だからどうした、と、言われてしまうのが「戦後」という時代かもしれませんが……

上の公式サイトの引用の中にある「ご先祖様がいたからこそ今日がある」というときの、「ご先祖様」の何たるか、人生の節目の儀礼のときにくらい、思いを巡らしてみても、罰は当たらないような気はするのです。

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追記:
現在、長野県松本市には、松本駐屯地が設けられ、陸上自衛隊第13普通科連隊、第306施設隊が駐屯しているそうです。
松本駐屯地公式ホームページ
陸上自衛隊:松本駐屯地
Wikipedia:
松本駐屯地
第13普通科連隊
地図でみると、護国神社・旧陸軍駐屯地からは少し南の方になるようですね。
ラベル:護国神社
posted by 蘇芳 at 15:57|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする