2019年06月09日

【動画】鎌倉幕府、始動開始!頼朝はどう動いたか!【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第26回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2019/06/03 に公開
【小学生・中学生にも分かりやすく!
日本が好きになる!やさしい歴史の授業です】

今回は源頼朝と、「鎌倉幕府」についてフォーカスしていきます。

「一所懸命」「一生懸命」、みなさんはどっちが正解だと思いますか?
あれ?どっちも聞いたことがある??答えは動画内にあります!

頼朝は新しく武士の政府を作ろうと奮起します。その時、天皇に対し頼朝はどのような行動を取ったのでしょうか?新しい時代の幕開けは、目まぐるしくも勇ましい、そんな鎌倉幕府と頼朝のお話です!

頼朝と北条を「ヤサシイ」の一言で十羽ひとからげにするのはさすがに雑すぎるというか何というか。
「天皇の日本史」的な視点は必要不可欠とは思いますが。
あまりに「結論ありき」すぎるのはさすがに興覚め。

というかこの番組、前回、頼朝の弟殺しに言及していましたが。源氏も北条も身内殺しの常習者。「ヤサシイ」はさすがに無理があるでしょう。
神谷氏、清盛・頼朝を例に、その「ヤサシサ」があだになったとも言っていますが、それを言うならそもそも保元の乱以前は死刑そのものが行われていなかったわけで。平安貴族のほうがよっぽど「ヤサシイ」ことになりはすまいか。
ついでにいうなら三上皇を殺しもせずに配流するにとどめたヤサシイヤサシイ北条は、高時の代に至って後醍醐帝に滅ぼされますが。つまり天皇陛下は「ヤサシク」ないオニアクマだということでしょうか。
その高時の祖父の北条時宗は祖国防衛の英雄ですが。身内を殺しまくって国内を〆たうえ、蒙古の使者を片っ端から殺し、徹底抗戦の意思を示した人物。そういう意味では、まったく「ヤサシク」はありませんが、しかしすばらしく「正し」くはありました。

殺し合いの歴史。別の言い方をするなら、命がけの歴史。それこそ「懸命」な人間たちの歴史を、安易な情緒で片づけるのはどうかと思います。その情緒がしばしば硬直したイデオロギーに直結するのであればなおのこと。

武士の時代、武士の時代、と、誰も彼もが安易に決まり文句を口にしますが。
そも「武士」の「時代」とやらはいつ始まったのか?
上でも触れた死刑が復活し、平治の乱の動因ともなった、保元の乱のときにすでに「始まり」を迎えていたとも言えるかもしれません。
しかし保元の乱の原因はあくまで皇室&摂関家の内輪もめ。むしろその後、徹頭徹尾、武家の都合に終始した平治の乱こそが「本格的な始まり」というべきかもしれません。
しかし、京都で律令国家の要職を独占し、一門の娘を入内させて外孫を皇位に就けた平氏政権は、本質的に、それ以前の摂関政治と何が違ったというのか? 平氏を都から追い落とした木曽義仲も、別に統治の新機軸を打ちだしたわけでもないでしょう。
そういう意味では、やはり、頼朝による「幕府」の実現こそが、武士の時代の「本当の始まり」かもしれません?
しかして、頼朝、どこまで本心だったかは知れたものではありませんが、こちらで見たように「綸命に違背するの上は、日域に住すべからず」と啖呵を切り、表向は尊皇のポーズを貫いてもいました。
三代将軍実朝に至っては、有名な、我に二心~の和歌を残しています。
山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
この歌が詠まれた時期や真意については従来の定説に異議を唱える向きもないではないようですが……いずれこの時期の鎌倉が朝廷(後鳥羽上皇)と良好な関係を保っていたことは確からしく思えます。
その朝幕の関係を決定的に変えたのが、実朝暗殺~承久の乱~上皇配流の暴挙というわけで。
朝廷がついに決定的に政治的「権力」主体としての役割を終えたという意味では、承久の変こそが武士の時代の「真の始まり」とも言えるかとも思います。

「始まり」
「本格的な始まり」
「本当の始まり」
「真の始まり」
……自分で書いておいて何ですが、いったい何回始まれば気が済むんだというか何というかw
考えなしに歴史を叙述していれば、こういう、ドタバタした物言いに陥ってしまうわけで。
それはそれだけ現実の出来事がフクザツだということでもあるでしょう。
そのフクザツさを過度に単純化することなく、もう少し丁寧に向き合いたいものではあります。
ご意見・ご高説をこねくりまわすのは、それからでも遅くないでしょう。

ところで、俗に「歴史は繰り返す」と言いますが……
歴史の「何」がくりかえされてきたか?

それは、まあ、着眼次第で何とでも言えるでしょうが。こと皇室の政治利用のパターンに着目して見れば、頼朝以前の時代には、蘇我氏にせよ、藤原氏にせよ、平氏にせよ、天皇の外戚になって律令国家の内側から政治の実権を握るというパターンがくりかえされてきました。
しかし、頼朝以降、北条も足利も徳川も、朝廷を敬して遠ざけ、幕府を開くことで、政治の実権を握るというパターンをこそくりかえすようになりました。
その間、戦国の動乱期には幕府が事実上崩壊し、数々の武将が上洛を目指しましたが、彼らの政権構想とて、多くの場合、やはり、同じ「パターン」から大きく外れたものではなかったのではないでしょうか。(三職推任問題の渦中で没した信長の最終的な政権構想は不明ですが、今谷明などによれば、正親町天皇に屈服し、将軍職に就くことを余儀なくされていただろうとか。ついで秀吉は摂関時代の昔に返ったように関白・太閤の座につきましたが、次世代への権力継承に失敗することで、その欠陥を再証明した結果、かえって、徳川に「やはり摂関ではなく将軍」と決意させる材料を提供したのではないでしょうか)

権力構造の「パターン」としてそれほど強固に定着していくことになる「幕府」というシステム。
日本の「国体」は一貫しているとして、しかし「政体」は決定的かつ不可逆的に変化したと言わざるをえないでしょう。
そんな決定的な変化をもたらした頼朝の独創こそ恐るべしというべきか……
そもそもそれはどこまで頼朝「個人」の「独創」だったのか。
「時代」の要請? その背景には「何」があったのか、なかったのか。。
「ブシは~」などと雑にくくってヨシとするにはモッタイナイ時代ではないでしょうか。

付け加えると、こちらなどで軽く書きましたが、鎌倉幕府・室町幕府の歩んだ道は、徳川幕府・明治新政府が歩んだ道と、ある意味で、気味が悪いほど、似ているようにも思います。

・立憲君主的な「天皇不親政」の原則による幕府の創設。
・幕府権力の増長と、それに対する反感の増大。
・専制君主的な「天皇親政」イデオロギーによる「倒幕」の実現。
・「親政」の撤回、「不親政」への回帰。
・それに対するイデオロギー的異議申し立てとしての反政府運動による社会の不安定化。

「歴史は繰り返す」とすまして言うのは簡単ですが……
そもそも、別の時代や場所で、似たような出来事が生起するとすれば、それは、出来事の前提になる諸条件が似通っているということではないでしょうか。
とすれば、その「くりかえし」からの直接の続きの時代を生きる私たちにとって、そのパターンのそもそもの発端は、なおさら、分析しがいのある時代でもある気もするのです。

天皇不親政の明治立憲体制に対して、イデオロギッシュな天皇親政を隠れ蓑に、天皇を傀儡化し、社会主義革命を企てた赤い「維新」のくりかえし……
そんな不義不忠の売国奴を英雄視する似非保守による「イデオロギー的異議申し立て」とそれに騙される一般大衆がいまだに後を絶たない戦後ニッポンは、このくりかえしのパターンのどこに位置しているのか?
今、日本に必要なのは赤い「維新」や「討幕」などではさらさらなく、むしろ「天下統一」であり「開府」であり……むしろ「天下布武」でさえあるのではないかと。そんな気さえしないことはない今日この頃です。


話が盛大にそれましたがw
まあ、そんな記事もあります。

Amazon:
学校でまなびたい歴史
源頼朝-武家政治の創始者
源頼朝 (中世武士選書38)
現代語訳吾妻鏡〈1〉頼朝の挙兵
承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱
承久の乱 日本史のターニングポイント
posted by 蘇芳 at 02:25|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする