2019年05月12日

【動画】ついに「武士」の登場へ【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第24回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2019/04/29 に公開
【小学生・中学生にも分かりやすく!
日本が好きになる!やさしい歴史の授業です】

400年続いた平安時代も終わりをむかえます。
日本をまとめて行く力を徐々に失ってしまった平安貴族たち。
次世代の主導権を握りつつあるのは、「武士」でした。

貴族たちは戦を嫌いましたが、時代はどんどん変わっていきます…!
目まぐるしく変わってしまった時代に貴族が取った行動、そして平清盛とはどんなことをした人物なのでしょうか?

今回も斉藤先生に分かりやすく、教えていただきました!

動画のお二人は和気あいあいとして、まあ、よろしいですが。
さすがにこれで「400年」というのは、雑にすぎる気もします。
というか、このシリーズ、平安時代の分量が少なかったので、急に「ついに」と言われても、あまりそういう感じがしませんw

承平天慶の乱など、鎮圧されたのも「武士」ですが、鎮圧したのも「武士」で、後の源氏・平氏・奥州藤原氏のルーツはむしろ後者ですし。
将門自身、乱を起こす前には朝廷で猟官運動をやっていますし。
蝶よ花よと遊びほうけるだけの愚かなはずの「貴族」の手足となって働いている/働きたがっているのがこの時代の「武士」でもあるわけです。
この段階のこの「力関係」は何なのでしょう。
単にお貴族様をコケにするだけでは、「400年」の朝廷の安泰が説明しにくいような気がします。

武士の「登場」というなら、承平天慶よりむしろ前九年の役・後三年の役への言及が欲しい気もしますし。そもそも荘園の発達についてもう少し説明が必要な気もします。付け加えるなら、最大級の荘園領主のひとつがまさにお貴族様の筆頭たる藤原氏だったことにも目配りが欲しいです。
つまるところ、公家も武家も、意外と、相互に転換可能な面があったのではないでしょうか。
実際、藤原氏の一部は奥州で「武士」になる一方、後の平氏政権はどんどん「公家」化していきました。
「蝶よ花よと遊びほうける愚かなお貴族様」と「質実剛健実力主義の武士」という単純な二項対立は、わかりやすいですが、複雑な現実の事象を語るとき、そのわかりやすさは、それ自体、微妙にうさんくさいものにも思えます。

保元の乱についても、乱の原因をもう少し正確に把握すべきではないでしょうか。
【動画】保元の乱①乱にいたるまで
【動画】保元の乱②骨肉の争いと戦後処理
要するに親子喧嘩・兄弟喧嘩×2という、たしかにどうしようもないといえばどうしようもない理由で起きた情けない戦乱なのですが。
保元の乱が、かくも「プライベート」な理由で起きた戦乱だったということは、つまり裏を返せば、必ずしも「パブリック」な原因や必然性があったわけではない、とも言えるわけで……鳥羽上皇と崇徳天皇が仲良くしてくださってさえいれば、律令国家はまだまだ安泰だったかもしれないと考えられないことはないかもしれません。ついでに後白河帝がもうちょっと、こう……ねぇ?

同じことは摂関家にも言えますし、そうできなかったからお貴族様はダメなんだ、と、言ってしまえばそれまでですが。さすがに結果論すぎる気もします。
親子喧嘩・兄弟喧嘩が見苦しいというなら、源氏や北条、足利の身内争いはもっとどうしようもないレベルで見苦しい骨肉の殺し合いだらけでしょう。そもそも保元の乱自体、源平それぞれの身内争いを伴っていましたし、次の平治の乱にいたっては、皇室も摂関家も関係ない、武家同士の勢力争いであって……時代の主役の交代は、戦乱の愚かさの主体の交替でもあるでしょう。

単にお貴族様をコケにするだけでは、公家が主役を貼った「平安時代」がそもそも見えてきません。(だからこそこの動画シリーズでは平安時代のウェイトが小さいうえ、ブンカ面に偏っているのかもしれません?)

お貴族様がまじめに政治をやっていれば、武士の時代はこなかったのか? 真面目に政治をやるというのは、それではそもそも何のことか?
公家政治の終焉をもたらしたものは何か? 武家の台頭? むしろ、武家の台頭をもたらす原因となったものこそ、公家政治の衰退ではないのか?
以前にも書いた気はしますが、結局のところ、公地公民の律令国家を内部から自壊させる私領地・私領民の発生をコントロールしきれなかったという、アイロニカルな現象が、それこそ「400年」にわたって進行していたのが、平安時代ではなかったでしょうか。
武家の台頭を準備した公家政治の「自滅」を語ってこそ、平安時代の「歴史」が見えてくるような気もするのです。

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漫画版 日本の歴史 4 武士の目覚め 平安時代後期
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追記:
本文で触れる余裕がありませんでしたが……
先日こちらで参拝してきたと書いた白峰神宮。その御祭神が「日本最大の怨霊」となられたのも、保元・平治の乱が遠因ですね。(配流先では心穏やかにお過ごしだったという話もあるようなので直接の「原因」ではないとも言えるらしい?)。
竹田恒泰「怨霊になった天皇https://amzn.to/2W3FNi4」など、一読の価値はあろうかと。
posted by 蘇芳 at 01:45|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする