2019年05月03日

【動画】じっくり学ぼう!18世紀 最終回「フランス革命とナポレオン戦争~国民国家の誕生」秋吉聡子 倉山満


チャンネルくらら から。


動画概要:
2016/03/28 に公開
アメリカ独立戦争で負けて破産状態だったイギリスを救い、経済改革にも成功した、ウィリアム・ピット(小ピット)登場!

といふことでいよいよ侵略の魔の手が日本に~というところで終了ですが。
続編の「世界と戦った日本人の近現代史」は確かすでに一度視聴していたかと。

当方のその時の感想と、今の考えが同じかどうか、正直、わかりませんが……

当ブログでも何度か書いていますし動画でも言われていますが、異国船というのは何もペリーが初めてではなく、それ以前に何度も何度もアチコチから来ているわけで。オランダ国王の忠告もあったことは有名ですし、当時の日本人が海外情勢にまったく無知だったわけでも何でもなく(吉宗の時代には洋学も解禁されていますしね)。江戸幕府の対外交渉についても、最近は、かなり再評価されたりもしているでしょう。
また、できもしない「攘夷」を叫んでいた薩長が、政権を取ったとたん、コロッと掌を返して、開国路線に転換したことも誰の目にも明らかで。そこで「大攘夷」とかいう理屈を並べてみても、それはそもそも幕府の言っていたことと何が違うのかという話にもなりかねません。
であれば、そもそも明治維新は何だったのか? 必要なかったのではないか、という主張が出てくることも、当然ではあるかもしれません。
明治維新の必要性、なかんずく討幕の必要性の有無については、しっかり検討する価値のある課題ではあるでしょう。
ただ、せっかくのその「検討」が、薩長はテロリスト云々式の、感情的な(つまるところ思考停止的な)罵詈雑言に終始するだけであれば、不毛というものでしょう。「官軍」が100%正義で、「賊軍」が100%悪だなどということがありえないのと同様に、「官軍」が100%悪で、「賊軍」が100%正義だというほど、実際の歴史は単純な話でもないことは明白かと思われます。

にもかかわらず、「官軍」vs「賊軍」、「尊皇」vs「佐幕」という単純な二項対立が成立してしまった(成立させてしまった)。「日本」「日本人」が二つに分断されてしまったという、そのこと自体が、幕末の危機の本質の一つであって、その危機を招来した責任は時の政権≒幕府の不作為にもあったような気はします。
ポイント・オブ・ノーリターンはやはり安政の大獄ですかね?
通俗的な薩長史観だと、安政の大獄は、「幕府」が「尊皇の志士」を弾圧した、というイメージが強いのかもしれませんが。実態はかなり違っていて、井伊大老のターゲットはあくまで一橋派、もっと端的に言うなら水戸斉昭その人であって。大獄の背景はあくまで将軍継嗣問題。つまるところ尊皇の志士がどうこうなどというのは二の次三の次の問題で、事の本質は幕府内部の勢力争い・内ゲバではなかったでしょうか。ただ、水戸斉昭が尊攘論という実現性のない空理空論を振りかざして大老はじめ現政権批判を展開していたことは事実らしく……いわゆる「尊皇の志士」が斉昭≒一橋派の支持層・沿革団体のようなものになりつつあったことは確かかもしれません。であれば、井伊的には目ざわりには違いないでしょう。もっと言ってしまえば、いわゆる「尊皇の志士」の多くあるいはほとんどは、井伊大老の目に、水戸斉昭に飼われている鉄砲玉集団のように見えていたのかもしれません。だから、一橋派を失脚させる「ついで」に弾圧した、というのが、実態に近いのではないでしょうか。そもそも「弾圧」という言い方自体、後知恵のバイアスがかかっていて、治安当局にしてみれば「摘発」「取締り」以外の何物でもないとも言えるでしょう。

しかしながら現実問題として、すべての「尊皇の志士」が斉昭子飼いの手下であるわけもなく。そんな思い込みは、斉昭を買い被りすぎ、草莽の志士を甘く見過ぎというものだったでしょう。
結局のところ、安政の大獄は、一橋派を潰すために、一橋派と直接の関係があったわけでもない活動家・過激派グループを片っ端から敵に回すという、非効率的な泥沼にはまったように思います。
その典型例が吉田松陰。彼が藩主としての井伊直弼の業績を高く評価し、その人物を過信していたらしいことは、わりと有名かと。結果、話せばわかる、むしろ幕府に自説を訴える好機とばかり、取り調べに対してぺらぺらと余計なことを供述しまくって死期を早めることになったとか何とかですが……裏を返せば、井伊大老も、何もそんな無邪気な塾講師をわざわざ大真面目に処刑するまでもなかったとも言えるでしょう。むろん、そんな「配慮」の対象とするには長州の田舎教師ごときは、井伊からすればあまりに「小物」すぎもしたでしょうが。その結果、処刑された松陰の死が、「小物」だったはずの彼を逆に権威づけ、幕末の「大物」に変貌させてしまうのですから、世話はありません。しかもその神格化が、ついには長州藩正義派グループという、幕末最大のテロ組織の成長にも寄与することになっていくとすれば、藪をつついてナントヤラとしか言いようがありません。
結局のところ安政の大獄は、それまで、政権「口撃」の空論をもてあそんでいた「尊皇の志士」に、血の洗礼を与えることによって、反政府運動として実体化する結果を、自ら招いてしまったのではなかったでしょうか。
そして、その実体化した運動は、自然の勢いとして、井伊大老に報復の刃を向け……大老自身も同じく血の洗礼を受け、やはり、報復の報復を発動させ、深刻な対立をさらに実体化させることになっていったのではなかったでしょうか。
実際、ナントカ事件やカントカ事件という幕末に頻発したテロの多くは、井伊たち紀州派が担ぎ上げた第14代将軍徳川家茂の時代に起きていますし、その嚆矢こそが安政の大獄であり桜田門外の変であるとすれば、将軍継嗣問題の下心を抱きながら「条約勅許」をはじめとする「口撃」をもてあそんだ斉昭たち一橋派の安直と、彼らを失脚させんがために余計な血を流し過ぎた井伊大老の勇み足は、図らずも、幕末動乱というパンドラの箱を開けてしまったというところかもしれません。

そうして、「流血」によって実体化された「敵」と「味方」という「単純な二項対立」は、単純であるがゆえに、わかりやすく、人を煽りたてるでしょう。
また、欧米の侵略の魔の手が日本に迫りつつあったまさにその最中に、日本人同士の殺し合いを収拾することができない、それどころか激化するばかり、というその状況は、長引けば長引くほど、政権への失望をも育てていくでしょう。
日本人同士で殺し合っている場合ではない、という自覚が深まれば深まるほど、その分断の原因を取り除く要求が高まり……際限のない「悪者さがし」がまたテロを呼ぶ。
それを収集するものは何か? 理性的な話し合い……であれば、よいのですが、所詮、見果てぬ夢というべきでしょう。
暴力の連鎖を終わらせる「最後の暴力」は、いずれ、不可避だったように思います。
驚くべきはむしろその「最後の暴力」が、諸外国の内戦のそれに比べれば、小規模ですんだことかもしれません。上の動画で主題となっているフランス革命という流血の連鎖などは、期間も規模も、国体の変更という結果からしても、日本人の想像を絶しているのではないでしょうか。

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posted by 蘇芳 at 02:42|  L 「じっくり学ぼう!18世紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする