2019年04月19日

【動画】じっくり学ぼう!18世紀 第6回 大北方戦争~北方の流星王カール12世の戦い 桜林美佐 倉山満


チャンネルくらら から。


動画概要:
2015/09/21 に公開
銀河英雄伝説ラインハルトのモデル「北方の流星王」カール12世、ついに登場!

当ブログ的に密かにわりとおなじみの人の名前が登場しました。
徳川光圀ですが。
あらためて言っておくと、三代将軍家光の従兄弟で、家康の孫に当たりますね。
同時代にもう一人、会津松平家初代・保科正之という人もいて。この人は家光の異母兄弟。なので光圀さんから見ればやはり従兄弟になりますか。
光圀さんと正之さんはわりと仲が良かったらしく、幕末の両藩の関係を思えば、万感こもごも起こりますが。
この時代の水戸と会津の共通点として、共に、神仏分離政策を行ったことが挙げられます。
光圀さんは動画でも言及されている「大日本史」ばかりが有名ですが、別に「神道集成」の編纂も行ったといいますし、一方の正之さんは吉田神道の傍流というか訳アリの吉川惟足に心酔していたとか。さらにそこに儒学者の山崎闇斎が加わり、垂加神道が誕生することになったりもします。
さらに言うと、この三代家光に至るまでの、徳川幕府初期は、幕末に吉田松陰らによって再評価される熊沢蕃山や、「中朝事実」を著した山鹿素行など、愛国的・国粋的、もっというなら尊皇的な思想家が次々輩出した時代でもあったようです。
黄門様と神道
【読書】徳富蘇峰「近世日本国民史 徳川幕府 (思想篇)」
仏教嫌ひの系譜
ここで個人的に注目したいポイントは、この時代、本居宣長はまだ生まれてもいない。すなわち自称愛国者の一つ覚えダイスキな「古事記」は日本第一の古典などという評価を得てはおらず、ほとんど影響力を持たなかった、それどころかまともに解読することさえ困難だったとさえ言う人もいる点です。
「尊皇思想」は江戸時代初期から存在した。山鹿素行などは忠臣蔵とも相まって、明治以降も生き続けました(乃木大将が迪宮裕仁親王殿下=後の昭和天皇に私家版の「中朝事実」を献上したのは有名な話)。にもかかわらず、そこに「古事記」はほぼ無関係、というのもなかなか興味深い話ですし。さらに言うなら、江戸時代初期の「尊皇思想」は光圀にせよ正之にせよ、「徳川」の下で育まれている面があることも、押さえておきたいポイントかもしれません。
「古事記」でないなら、当時の尊皇家は、「何」によって古代の、上代の、そして神代の「歴史」を知ったのか? そして、徳川にとっての尊皇思想とは何だったのか? これらは「幕府」というシステムの根幹にかかわる問題のようにも思いますが……慶長勅版の存在を無視して考察することはできない話というものではないでしょうか。

慶長四年――秀吉の死の翌年・関ケ原合戦の前年――に「勅諚」によって出版された「日本書紀」神代巻は当時の政治・思想状況にとって決定的に重要なインパクトを持ちはしなかったでしょうか?
それは天壌無窮の神勅の確認であると同時に、天皇不親政の伝統の確認でもあったように思います。
日本は天皇陛下のしろしめたまう国である、しかし天皇はいちいちの政治的案件を直接自ら処理されるのではない(ただし非常時は除く)という国柄。それが「勅諚」によって示されたわけですから、いわば臣下たちにその国柄の実現という課題が与えられたといってもよいのではないでしょうか?
慶長四年の立憲君主
その「課題」に答えるため、国柄を実現するための統治システムとして、「幕府」をいかに構築していくか。徳川の腐心はここにあったのでしょうし、それは決して朝廷にとっても不都合なことばかりというわけではなかったのではないでしょうか。
禁中並公家諸法度にせよ、紫衣事件にせよ、江戸初期といえば、朝幕の対立関係ばかりが取り沙汰され、幕府が朝廷を「圧迫」したなどと抽象的な言い方がされがちですが……幕府が政治の「実務」を担当し、天皇にはまず「第一」に「御学問」を求めたということは、天皇不親政の国柄にとって(あるいは大胆に現代的な言い方をするなら立憲君主制にとって)、そんなに不都合で身勝手で思い上がった話でしょうか? この場合の「御学問」というのは、魚類の分類学等の自然科学ではなく、人文系の政治思想的なものをより多く意味していたようにも感じるのですが……だとすれば、それは古来天皇が修めてこられた帝王学と、何ほどの違いがあるのか? 天皇の第一のお努めがご学問であるという意味が、国家の精神的思想的支柱たるべく研鑽していただきたいということであるとするならば、それこそ、御歴代の天皇が古来から「第一」とされてきたお努めそのものに他ならなかったようにも思います(神事は別格として)。

「幕府」という構想は、源頼朝に始まりますが。鎌倉時代、源氏将軍の時代には、朝幕の関係は良好だったでしょう。
承久の乱によってそれが破綻するのは、実朝暗殺≒源氏将軍の終焉が引き金になった面が大きいのではないでしょうか。
清和源氏を名乗り、頼朝を先祖として崇敬した家康が、足利の「失敗」を経て、再び「幕府」を開こうとしたとき、今度こそ、その幕府を安定的に「永続(家康はそのつもりだったかと)」させるために何が必要か?徹底的に考えなかったはずもありませんし、それを考える以上、朝廷・天皇の重要性に思いを致さなかったはずもないでしょう。
そして、徳川幕府が二百数十年に及んで存続した≒成功したシステムであったことを思えば、家康の「考え」が日本の国柄やコモンローにとって、そうそう的外れなものだったとも考えにくいように思うのです。

売り家と唐様で書く三代目
というのは、非常に有名な川柳ですが……
鎌倉時代の源氏将軍はまさに「三代目」で頓挫したのに対して、徳川はその「三代目」の危機を乗り越えました。
その「三代目」までの時代が、上で見たように、尊皇思想隆盛の時代でもあったことは、たやすく看過してよいことではないのではないでしょうか。

それにつけてもカールさんが出てこない記事ですな💦
(そっち方面は完全に無知なので仕方ありませんが)

Amazon:
嘘だらけの日露近現代史
物語 北欧の歴史―モデル国家の生成
物語 スウェーデン史―バルト大国を彩った国王、女王たち
徳川光圀 (人物叢書)
吉田神道の四百年 神と葵の近世史
近世日本国民史 徳川幕府 (思想篇)
posted by 蘇芳 at 01:34|  L 「じっくり学ぼう!18世紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする