2019年04月18日

【動画】[富士山223] 日本を見つめる山


N.a. から。


動画概要:
2013/01/24 に公開
聖なる山は、人々を受け入れ、万物を見つめる心を伝えてきました。。

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「富士山と山開き」

現代では、レジャーやスポーツとして誰でも容易に登山を楽しみますが、かつて神霊が宿る山に登ることは信仰行事とされ、普段は登山が禁じられていました。
夏の一定期間だけ、人々の登山が解禁され、これが「山開き」の起源だといわれます。富士山の山開きは、旧暦の6月1日(現在の7月1日)。まず、富士山本宮浅間大社で安全を祈願する「開山式典」が行われ、その後、村山浅間神社で「みそぎの神事」や「護摩焚き神事」などが営まれます。その他にも、「ミス富士山コンテスト」や「富士開山奉納手筒花火」などの行事があり、人々は待ち焦がれたこの日を賑やかに祝ってきました。登山客は、夜明け前から登頂し、ご来光を拝みます。
日本一高く、日本の全方位が見渡せる富士山は、今も昔も人々を受け入れ、万物を見つめる心を伝えてきました。約2ヶ月後の閉山までが富士山の登山シーズンとされています。

Present by 静岡県(制作2010年8月)

日本人は富士山を見つめてきました。
そして富士山を語ってきました。
また、富士山を描いてきました。
今では写真や動画を「撮る」「写す」という人もいるでしょう。
富士山を歌い、富士山に登り、富士山を模ってもきたかもしれません。

要するに、日本人は富士山が好きです。
そしてその「好き」を様々に表現してきました。

その表現の堆積は、同時に、日本人自身の自画像でもあるかもしれません。
何となれば、自分が何を好きか、どのように好きか、なぜ好きか――自分の「好き」を表現するということは、自分の価値感をさらけ出すということであり、かなりの程度において、自分が何物であるかをさらけ出すことになるのではないでしょうか。
となれば、私たちが富士山を見つめるとき、富士山もまた私たちを見つめているのかもしれません(富士山にその気がなくとも、こちらのほうが「さらけ出」しているのであれば、同じことでしょう)。

昔々、こちらで「鏡を拝む」ことについて考えてみたことがありますが……浅間大社の神体山である富士山も、「カミ」であるからには、やはり、ある種の「カ(ガ)ミ」として立ち現れることもあるのかもしれません?
昔は知らず。今、そこに映し出される姿が、あまり、醜いものでなければよいのですが。。

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posted by 蘇芳 at 01:21|  L 「富士山223」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする