2019年04月14日

【動画】じっくり学ぼう!18世紀 第3回 ムガール帝国って何? 桜林美佐 倉山満


チャンネルくらら から。


動画概要:
2015/08/31 に公開
最初にアジアで西洋列強の植民地になったムガール帝国の没落!

幕末の志士はアヘン戦争の顛末を見て危機感を覚えたという話はよく聞きますが、インドについてはあまり聞きませんね。
しかし、実際に志士たちがリアルタイムでどの程度の情報を把握していたのかはさておき、歴史としてあとから俯瞰して見れば、文脈としてはよくわかる話かもしれません。

かくいう私も、かつてこのあたりで、薩長のやり口をテロだクーデターだと非難することはたやすいが、それでも、討幕維新が不要だったとまでは言えない。何となれば~と、書いたことがありますが……
「おらが殿さまの軍隊」の寄せ集めでは日本国は守れない、日本には「日本の軍隊」≒国軍・国民軍が必要だ、という発想は、志士たちにも、当然、ありえたでしょうし、それこそはムガル帝国のなしえなかった転換だったとも、言うことはできるのかもしれません。

日本にそれができてムガル帝国にそれができなかったのはなぜか?
一言で答えられる問題ではありませんし、インドの事情については言うまでもなく当方のほうが倉山氏以上に無知ですが💦
日本側の事情についてだけ一つ指摘しておくとすれば、「天皇」の存在、なかんずく立憲君主的な不親政の伝統を無視することは、やはり、できないように思います。

近代国民国家的な意味での国軍を形成するために、国民全体を統合する。藩や殿さまではなく、日本に対して忠誠心を持たせる……それだけの求心力を持ちえた国家の中心は、幕末のあの時点においては、すでに幕府・将軍ではなく、天皇だったでしょう。あえてサヨク用語を使うとすれば、近代日本の国軍・国民軍は、正しく「天皇の軍隊」でした(その意味付けはサヨク的嘘八百とは根本的に違いますが)。
一方、ムガル帝国も「帝国」ですから当然、皇帝はいたはずですが、群雄の統合・国民の統合を成し得なかったとすれば、ムガル皇帝は、その時点で、すでに天皇のような求心力を失っていたと言わざるをえず……天皇よりはむしろ将軍に近い立場に立たされていたのかもしれません。それはつまり、皇帝親政。政治権力の主体的行使者というべきものだったでしょうか?
ムガル帝国の統治システムについて何も知らないので迂闊なことは言えませんが……日本側の事情だけに限定してみても、日本に天皇という立憲君主的な不親政を伝統とする君主がいてくださることのありがたさをしみじみ感じずにいられないことは確からしく思えますし、そうした天皇不親政の伝統を守り抜いたという意味では、幕藩体制を作り上げた徳川家康の功績も無視すべきものでないことも確かであるに違いありません。
しかし、もはやそのシステムでは間に合わない。幕末、西洋という侵略の魔の手が日本にもたらした危機はそれほどのものだったのだ、と……テロだクーデターだと薩長を非難する前に、まずはその「国難」の認識から出発すべきかもしれません。

「外国に侵略されるということは内部が統一されていない」byクラヤマミツル

18世紀ともなると、今の現実と「直でつながる話」が確かに増えてきたのかもしれません。そういう意味では続きが楽しみな動画シリーズではありますね。。

Amazon:
世界の歴史〈14〉ムガル帝国から英領インドへ (中公文庫)
ムガル帝国時代のインド社会 (世界史リブレット)
バーブル・ナーマ 1: ムガル帝国創設者の回想録
ムガル皇帝歴代誌
興亡の世界史 東インド会社とアジアの海 (講談社学術文庫)
沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史
posted by 蘇芳 at 01:34|  L 「じっくり学ぼう!18世紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする