2019年04月13日

【読書】「道 天皇陛下御即位三十年記念記録集 ― 平成二十一年~平成三十一年」


本を一冊買いました。
Amazon:道 天皇陛下御即位三十年記念記録集 ― 平成二十一年~平成三十一年
楽天ブックス:道 天皇陛下御即位三十年記念記録集 平成二十一年〜平成三十一年 [ 宮内庁 ]
天皇皇后両陛下のお言葉・御製御歌を集成したもの。十年に一度出版されています。これが三冊目。平成最後。

皆さんが今上陛下の凄さ、偉さに気づいたのはいつですか?
そんなもン、最初からに決まってるだろう、と、言い張るのは簡単ですし、実際、そういう人もいるのでしょうけれど。
それが国民の多数派だとは、どうも……思えない気もするのですよね。
陛下は最初から凄かった。そうかもしれません。しかし、国民がそのことに気づくまでには、一定のタイムラグがあったような気がします。
何といってもあの偉大な昭和天皇のあとをうけて践祚あそばされたのが今上ですし、当時から、あまりにも巨大すぎる先帝の存在感の前に、頼りないとか影が薄いとか見劣りがするという向きが……今にしてみれば畏れ多いにもほどがありますが、強かったのではないでしょうか。

皇太子時代から、ミッチーブームとかいう的外れな騒がれ方もすれば、クリスマス騒ぎさえあったのが、今上の陛下でした。
江崎道朗氏なども何かの動画で言っていたと思いますが、これほど悪口を言われつづけた天皇もない、というところ。
しかし、今、今上の「悪口」などを言う人間が、売国奴や侵略者以外、どこにいるでしょうか?
いつのまに今上の存在感はこんなにも大きくなっていたのでしょう。
日本人は、いつ、陛下の凄さに気づいたのか。もっとありていに言ってしまうなら、日本人は、いつ、こんなにも陛下のことが「好き」になったのか。

人によって、遅い/早いはあったでしょう。
それこそ最初からという人もいるでしょうし、御代の初期に、という人もいるでしょう。平成時代の初期といえば、1.17のあった時代ですから、後に3.11でより大規模にくりかえされたのとよく似た光景を、いち早く目撃した人もいるかもしれません。
何にせよ、最初の十年より、次の十年、さらにその次の十年……と、陛下の偉さ、皇室の大切さに気づく国民は、時間とともに増えていったのではなかったでしょうか。

今回出版された「道」の第三巻に収録されているのは、まさにその最後の十年です。

民主党政権の悪夢がありました。
それに追い討ちをかけるかのように東日本大震災が発生しました。
そのとき、一縷の光明ともなったのが、陛下の、皇室の存在でした。
なかんずく、早くも震災発生から五日後に行われた玉音放送は決定的だったでしょう。
皇室の存在を、そのとき初めて意識したという国民も多かったのではなかったでしょうか。
その後も熊本の震災や、西日本豪雨、その他その他、災害が続きました。
そのたびに国民の心の支えになってくださったのが皇室でした。
それだけではありません。
常に国民にお心をお寄せになり、喜びも悲しみも国民と共にしようとされる陛下のお姿に、皇室の御活動に、国民があらためて気づかされ、その「お仕事」の広さ深さに目を瞠らされたのが、この十年でもあったのではないでしょうか。
今では広く知られている、障碍者福祉や諸外国との友好などの御活動はもちろん、
この十年の間には、戦没者慰霊のため、パラオ、特にペリリュー島への行幸啓も実現しました。
リンネ協会での記念講演や、クニマス発見のニュースなど、陛下の科学者としての顔がクローズアップされることもありました。
そして、二度目の玉音放送があり、それを受けて、まもなく200年ぶりの譲位が実現しようとしています。

一巻二巻に収録された20年に比べて、(陛下御自身は同じ陛下でいらっしゃたとしても、それを受け止める国民の側は)、どうでしょう。
より多くの国民が、皇室の存在の尊さに気づき、その存在感をそれまで以上に強く強く感じた十年ではなかったでしょうか。
それはまた、上でも名前を挙げた江崎道朗氏が近著「天皇家 百五十年の戦い」で伝えようとした、陛下の孤独な戦いの日々でもあったかもしれません。
平成最後の十年は、その「戦い」の終盤でもあり、クライマックスでもあってみれば、その熾烈さをもっとも鮮明に読み取ることが可能なのも、この十年であるような気もします。


日本国民であれば、三巻すべて買いそろえておいてもよいシリーズであろうかと思います。
が、それが無理なら、せめて、この最後の第三巻だけは、手元に置いて、おりおり、読み返してみてもよいのではないでしょうか。
編年体ではなく、テーマ別に編集されているので、良し悪しですが……
二度の玉音放送によって、(つまり陛下の呼びかけに応えて)、国民が皇室の存在をあらためて思い起こし、深く考える必要を感じ始めた時代の、陛下御自身のお言葉の記録です。読み返せば読み返しただけ、あのときは気づかなかったが、陛下はこのように国民に訴えておいでだったのか……と、あらためて気づかされることも、ありうるかもしれません。

たとえば、本書P10には、平成二十一年十一月六日、御即位二十年にあたっての記者会見における陛下のお言葉の一部が収録されています。
日本国憲法では,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されています。私は,この20年,長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました。質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません。
これは「平成の時代につくり上げてこられた「象徴」とはどのようなものか」という記者の質問にお答えになったものとのよしですが……
ここで記者の側は(意図的であるか否かはさておき)「平成」と過去の日本の歴史との間に、ある「断絶」を作りだそうとしているのに対し、陛下はやんわりとそのような断絶の存在自体を否定され、平成の御代の皇室のあり方(さらには日本国憲法が規定する天皇のあり方)もまた「長い天皇の歴史」との「連続」のなかにあることをお諭しになっているように、私には感じられます。
つまるところ、八月カクメイなど存在しない。曲学阿世の売国奴の妄想にすぎない、という……これこそまさに、前掲書や関連の動画で江崎氏がくりかえし訴えるところの、戦後憲法典の「解釈」をめぐる戦い、そのものではないでしょうか?

江崎氏に言わせれば、その戦いは(主に国民の側の不作為のために)、残念ながら、まだ完結していない。御位とともに、今上から次期天皇(皇太子殿下)へ、その戦いも継承される。殿下もまたその御覚悟を固めていらっしゃる……のだとか。
宸襟の内はあくまで推測するしかありませんが、江崎氏のそれは、相応の説得力を持つ推測のように思われます。
で、あるならば……
平成の御代につけ切れなかった決着を、来る令和の御代につけるために、今度こそ、国民の側の理解なり見識なり覚悟なりが必要になってくるように思います。平成の御代とは何だったのか、なかんずく、平成の御代の陛下の戦いとは何だったのか? それを知るためにも、手元に置いておきたい一冊のように思うのです。

Amazon:道 天皇陛下御即位三十年記念記録集 ― 平成二十一年~平成三十一年
楽天ブックス:道 天皇陛下御即位三十年記念記録集 平成二十一年〜平成三十一年 [ 宮内庁 ]
Amazon:
新装版 道 天皇陛下 御即位十年記念 記録集 平成元年~平成十年
道 天皇陛下 御即位二十年記念 記録集 平成十一年~平成二十年
天皇家 百五十年の戦い[1868-2019]

posted by 蘇芳 at 02:11|  L 「天皇家150年の戦い」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする