2019年03月23日

【動画】えっ?呪われる?!平安時代の驚くべき文化【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第21回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2019/03/11 に公開
【小学生・中学生にも分かりやすく!
日本が好きになる!やさしい歴史の授業です】

今回から新しい章のスタートです。
「日本文化の形成」として第3章に入っていきます。
今回は日本独自の習慣や文化を海外からの影響をあまり受けずに確立してきた、「平安時代」と、「藤原道長」、そして華やかで我が道を行く貴族たちの少し変わった生活のお話です。

力があったはずの道長はあえて天皇の下につくことを選びました。
その本心と、道長がそのために取った驚きの行動とは一体どんなものなのでしょう?
今回もクイズ形式にして、子どもたちにも分かりやすく、斉藤先生に教えていただきました!

道長の先祖は鎌足……となっていますし、それはそうですが。
当ブログでは何度もくりかえしているように、さらに遡れば、藤原氏=中臣氏の祖先というのは天児屋根命です。
今さらくりかえすのもメンドクサイですが、天の岩戸では祝詞を奏上した神であり、天孫降臨に際しては天太玉命とともに、「侍殿防護の神勅」「神籬磐境の神勅」を授かった神でもあります。
天孫降臨に際しては、天孫ご自身も三大神勅を授かっていますが、天児屋根命と天太玉命が授かった神勅を合わせて、五大神勅と称する場合もあります。
Wikipedia:神勅
つまるところ、天皇が天皇である根拠と、中臣が中臣である根拠は、最初から一体不可分のワンセットであり、切り離し不能。
中臣の神聖性を毀損せずして、天皇の神聖性を否定することは、信仰上、不可能な構造になっているといってもよいのではないでしょうか。
そして、それを迷信であるとあざ笑う、唯物カルトのごとき粗雑な精神構造を、(動画でも言われているように)、当時の日本人は持ち合わせてなかった。道長も例外ではなかった、とは、言ってよさそうに思います。

また、上の動画では菅原道真による「鎖国」についても語られていますが。
日本の独立を守り抜くため、国運をかけてチャイナ文明を研究し続けてきたのが古代日本の貴族たちでもあったでしょう。とすれば、当然、チャイナの王朝が次々に交代をくりかえしてきたこと、その殺戮のあさましさについても、それなりによく知っていてもよかったのではないでしょうか?
反日自虐史観において私たちは、二言目には日本がチャイナ様を崇拝して、あらゆる面でお手本にしてきたかのように吹き込まれてきましたが……しかし、本当のところ、「易姓革命」の実態について、当時の貴族たちが、現代の私たちよりも甘い認識をしか持っていなかった、などと、見くびる必要は、あるのでしょうか?

藤原氏自身、とりわけ道長自身は、あるいは単に自家の利益を追及しただけだったかもしれませんが、摂関政治という権力構造の選択が、チャイナ式の「易姓革命」の否定をも意味しうるとすれば、結果論かもしれませんが、それは十分に「叡智」の一種だったと言ってよいように思います。
万世一系の皇室の(こういっては何ですが)「利便性」を活用することで権力を握った藤原氏・摂関家は、ほぼ必然的に、万世一系の「神聖性」を保護することにもなり……結果的に、国柄の確立、国家の安定、国民生活の発展向上に貢献するところ、大であったのではないでしょうか。

Amazon:
大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)
藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む (文春新書 915)
藤原道長―男は妻がらなり (ミネルヴァ日本評伝選)
夢とモノノケの精神史―平安貴族の信仰世界 (プリミエ・コレクション)
平安時代大全


追記:
平安時代の「鎖国」については、こちらなどで倉山満も高く評価していたように思います。また、「唐」の滅亡をやり過ごした日本が、再び外交関係を盛んにしたチャイナ王朝「宋」は、北方騎馬民族に圧迫される「カツアゲ国家」であったがゆえに、日本にとってちょうどよい貿易相手国だったことについては、こちらの動画で言及されていました。この宋との友好関係は、宋を滅ぼした元との敵対関係とも、当然に関係してくるかもしれません。
ということで、倉山氏の「すばやく学ぼう!世界の百年」で考えたことも思いだすなり、いくつかの動画を見返すなりしてみても、よいかもしれません?
posted by 蘇芳 at 01:54|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする