2019年03月18日

【動画】中国の皇帝も羨んだ日本の天皇【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第20回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2019/02/11 に公開
【小学生・中学生にも分かりやすく!
日本が好きになる!やさしい歴史の授業です】


前回は天平文化の美しさについてお話していただきましたが、今回は番外編です。

中国の皇帝と日本の天皇にはどのような違いがあるのでしょうか?
中国の皇帝すらも羨んだ日本の天皇制。憧れてもなることは出来ません。
その裏には中国だけではない外国全般に言える共通性がありました。

天皇と何が違うのか、そしてなぜ中国の皇帝は天皇に憧れたのか、詳しくお話をしていただきました。

ネット上の右寄りの界隈では時々耳にするエピソードですね。
もっとも、「実は」日本を羨んだのは何も太宗一人にかぎった話でもなかったりもしたりしなかったりするそうですから……
又聞き的に拡散されるときはそのあたりが若干曖昧になりがちなエピソードでもあるかもしれません。
こうして、ちゃんとした「学校の先生」から、あらためて聞いておくのも、よいことかと。
活字的には、拳骨拓史「中国が憧れた理想の国 日本―学校では教えない本当の歴史 https://amzn.to/2HCM4cM」あたりを読めば、太宗の件含めて、い ろ い ろ 載っているでしょうか?

あとは……

「宋」の太宗とのことですが。
この「宋」というのは、つまるところ、後に「元」に滅ぼされることになる、こちらで倉山満氏が言うところの「カツアゲ国家」ですね。
こちらこちらでも書きましたが、日宋貿易や鎌倉仏教など、安定的な交流が盛んだった、歴代チャイナ王朝の中では日本にとってかなり望ましい相手でもあったらしく思えます。

「遼」に「金」に「元」に……「宋」の歴史は北方からの圧迫にあえぎ続けた苦闘のそれだったようで。。
そのうえ臣下の裏切りも常に警戒しつづけなければならないのがチャイナ式の「皇帝」ですから、太宗の羨望も、当然といえば当然でしょうか。

このエピソードから「感じる」ものをうまく言語化できないので、やや唐突な言い方になるかもしれませんが、文化や伝統、民族性や国民性というのは、不思議なものです。そして時に恐ろしいものかもしれません。

「チャイナ」が「チャイナ」である限り、「皇帝」が「皇帝」である限り、決して「日本」の「天皇」にはなれないし、天皇「のように」なることさえ、おそらくは困難でしょう。太宗自身がどのような人間性の持ち主だったかは知りませんが、万一、高貴な人間性の持ち主だったとしても(まあ、チャイナの皇帝ですから十中八九そんなことはないのでしょうが)、何しろ臣下はすべてチャイニーズなのですから、天皇のように高潔な統治を行おうとしたところで、所詮、猫に小判な結果に終わるだけの話ではないでしょうか。

また、チャイナ皇帝のごとき専制君主にとって、他国への「憧れ」とはしばしば侵略の意思にも結びつくものですが(「カツアゲ国家」の宋にはその余力がなかっただけ)。それでは、ここで少し想像を飛躍させて、もしもチャイナ皇帝が日本を侵略し支配下においたとしたら……しかし、それではたして、彼は「日本」を「手に入れた」ことになるでしょうか? むしろその瞬間、日本はもはや「日本」ではなくなり、「チャイナ」の一部になってしまうだけなのではないでしょうか。
チャイナ皇帝がチャイナ皇帝である限り、彼の行くところ、彼のいるところ、彼の手の触れるもの、すべてはその瞬間に「チャイナ」と化し、チャイナ皇帝がチャイナ皇帝である限り、「チャイナ」以外の何も手に入れることはできない。そういうものではないでしょうか。
まるで西洋の童話に出てくる、手に触れるすべてのものが金に変わることを望んだ愚かな王様のようなものです。

日本を侵略し、「天皇」を屈服させることはできるかもしれませんし、何なら「天皇」を名乗ることさえできるかもしれませんが、そうした侵略者・征服者という本質そのものが、「天皇」の本質とは完全に異質なものであってみれば、所詮、滑稽な猿まねに終始するしかないでしょう。その猿まねを嗤うものをことごとく殺し尽くすことはできるかもしれませんが、その殺戮行為自体が、彼が「天皇」ではなくあいかわらず「チャイナ皇帝」にすぎないことの証明にしかなりません。

宗教的な比喩を用いるとすれば、地獄は心の中にあり。心に地獄を持つものは、いわば地獄を連れて歩いているのであって、たとえ物理的に「天国」に移動したとしても、何の甲斐もないでしょう。彼にできることは、ただ悪性のウィルスのように、その「天国」を侵蝕し破壊し「地獄」に変えることだけではないでしょうか。

人間が「自分」以外の何者にもなれないのと同様に、固有の来歴に規定される民族や国民もまた決して別の何者かにはなれないのかもしれません。にもかかわらず、他者を「羨望」しなければならないとすれば、それは不幸なことかもしれません。そして危険なことでもあるでしょう。ルネ・ジラールでもニーチェでもいいですが、羨望はルサンチマンの温床でもあるでしょうから。。

やはりどうにもとりとめのない話になってきましたが……💧

無理やり強引にまとめておくとすれば。。

他人・他国に羨望される側からすれば、それは自尊心的には心地よいものでもあるかもしれませんが。
自分の幸運を他人に見せびらかすことが、時にどういう結果を招きうるか。特にその「他人」が……だった場合は?
他国の悪意にあまりにも鈍感な脳内お花畑無防備国家の国民としては、多少、暗い想像力を働かせる努力もしたほうがよいのかもしれません。
それが苦手だという、そのこと自体、日本の幸福な歴史にはぐくまれた、麗しい民族性・国民性なのかもしれませんが……それもまた行きすぎれば日本人の手足を縛る呪縛になりうるのかもしれません。
文化や伝統、民族性や国民性というのは、不思議なものです。そして時に恐ろしいものかもしれません。。

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posted by 蘇芳 at 02:20|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする