2019年03月17日

【動画】特別番組「なぜ論語は「善」なのに儒教は「悪」なのか」石平 倉山満


チャンネルくらら から。


動画概要:
2019/03/16 に公開
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儒教はゴミだというのは、自称愛国者のダイスキな本居宣長をはじめとして、数々の識者がくりかえし指摘してきたことですが。
同時に、近代以前の日本人にとって、儒学が教養の根本の一つであったことも、また事実。
自称愛国者のダイスキな尊皇の志士のなかで、「論語」の一冊も読んでいなかった人はいないでしょう。

朱子学が官学にされた江戸時代に限ったことではありません。

動画でも聖徳太子の名が挙がっていますが、儒教自体は日本書紀の時代にすでに伝来しているでしょう。にもかかわらず、仏教に比べて、太子と儒教の関係は往々にして自称愛国者にスルーされがちな気もします。それもまた石平氏のいう「常識」にとらわれた思考停止かもしれません。

また、聖徳太子以後も、儒教は捨て去られたわけではなく、平安時代にも明経道はしっかりありましたし、官職としての明経博士なども存在しつづけたはずです。やがて学問の主流は文章道になっていきはしますが、明経道自体が消えてなくなったわけではないでしょう。
もちろん、鎌倉時代以降もです。
こちらこちらで慶長四年の日本書紀出版(いわゆる慶長勅版)について触れましたが、慶長四年≒関ケ原合戦の前年ということは、つまり江戸幕府はまだ開府される前ですし、昌平坂もまだ影も形もない頃ですが。その日本書紀神代巻に一文を寄せたのも儒学者だったかと(詳しいわけではないので完全に蘇峰の受け売りですが)。

日本人にとって儒教(または儒学)とは何か。
儒学を学んでおきながら、なぜ、日本人は堕落せずにすんだのか?

儒学に限らず、チャイナに学び続けてきたのが日本人。
にもかかわらず、なぜ、我と彼とはこうも違うのか。違うことができたのか?

その問題を、安直な「常識」にとらわれない形で再考することは日本の「こころ」を知るために、必要な作業に違いないように思いますし、石平氏がその作業の適任者の一人であることは確かであるようにも思います(鵜呑みにしろということではありませんが)

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posted by 蘇芳 at 01:32| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする