チャンネルくらら から。
動画概要:
2014/07/13 に公開
ヨーロッパはずっと辺境、中東はずっと先進地域!
こちらでアレクサンダーの残した「後遺症」と書いておきましたが……
やっぱりそうなりますよねw、というところですな。
あの回のつづきということなら、ついでに「マガダ国」のその後についても触れてほしかった気はしますが。。
古代のことですから年代は異論もありうるでしょうが、一応、アレキサンダーの死後、10年も経たずにクーデターでマウリヤ朝が成立。これが古代インド唯一と言っていいレベルで「仏教国」になるようです?
Wikipedia:日本でも元寇の後、50年ほどで鎌倉幕府が倒れましたが。戦争というのは往々にして勝った側にも傷を残すのでしょう。積極的な利益獲得に結びつきにくい防衛戦争ならなおさらです。
・マウリヤ朝
・アショーカ王
古代インドの場合、バラモン教(ヒンドゥー教)というのがカースト制の根拠。つまるところ宗教的信念にもとづいて身分差別を行っていたわけですが。祖国防衛戦争という生死のかかったイベントは、国内の矛盾相克を、団結のために緩和する方向へ作用したか? むしろ特定集団にシワ寄せを押し付ける形で、相互不信を増幅する方向へ作用したか? そこが問題という気はします。
実際のことを何も知らないので確たることは言えませんが……まあ、あまり麗しい方向へはそうそう動かないのが人間社会というものとすれば、クーデター、下剋上による王朝交代と、その新王朝による仏教の採用(≒バラモン教の超克)が、アレクサンダーの侵略から祖国を守り抜いたという「勝ち戦の結果」として起きたとしても、不思議はないような気はしないでもありません。
当方、古代インドについては本気で何も知りませんから、あくまで無責任な空想・妄想ですけどね。。
無責任ついでにさらに妄想をたくましくすると。。
アショーカ王の時代は古代インドにおける仏教の最盛期ですが……
裏を返せばその後は衰退する一方とも言えるわけですね。
インドにおける仏教衰退の理由というのも、諸説あって、決定的な原因についてはハッキリしないようですが。。
Wikipedia:インドにおける仏教の衰退いずれにせよ、その後、インドで栄えたのはヒンドゥー教と、イスラム教。
そういう意味では、当時の「文明」の中心は中東であり、後のイスラム圏。インドはその「文明」の中心に近すぎたということにもなるのかもしれません?
そう考えれば「文明」というのもある意味、迷惑なものですな。
そうしたロクデモナイ西の文明の殺し合いを逃れて東へ向かった人の流れが、(仏教とともに)たどり着いた東の果ての理想境……というときれいにまとまりはしますが。その東の島国に、今度は仏教そのものが、蘇我氏から道鏡から、わりとたいへんな騒動を巻き起こすのですから、世話はないということも、日本人としてはきちんと一言しておくべき気はしないでもありません。
(それでも、西の「野蛮」な「文明」よりよほど穏健ではあったのでしょうけれど。。)
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