2019年03月05日

【動画】[富士山223] めぐみの山


N.a. から。


動画概要:
2013/01/15 に公開
太古の時代より、日本人は富士山のめぐみを生かし、山に寄り添って暮らしました。

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「古代遺跡と人々の暮らし」

富士山周辺では太古の集落遺跡が発見されており、1万年以上も前から人々が住んでいたと考えられています。
大鹿窪遺跡(芝川町)は、縄文草創期(約1万3000年~1万1000年前)のものといわれ、国内でも最古級の集落遺跡です。
馬蹄形に並んだ竪穴式住居跡や、石を集めて料理した跡と思われる集石遺構、お祭りの跡らしき配石遺構などが発見されています。当時は、火山活動が活発でした。人々は噴火の猛威にさらされながらも、豊かな食料や湧水など、山がもたらすめぐみを利用して暮らしていたのではないかと考えられます。
千居遺跡(富士宮市)は縄文時代中期後半の遺跡で、配石遺構は規模・形態ともに全国屈指とものとして知られています。配石は、富士山を対象とした信仰の遺構もしくは墓ではないかという指摘があります。

Present by 静岡県(制作2010年3月)
Wikipedia:
大鹿窪遺跡
千居遺跡
富士宮市:国指定史跡 大鹿窪遺跡

前回、「高天原は富士の裾野にあった」という、一般的にはムー系のトンデモ説として無視されている話を紹介しておきましたが。
富士山麓、少なくとも、縄文時代から、人は住んでいたそうで。

上の概要にもあるように、大鹿窪遺跡は縄文時代のそれも「草創期」の集落。しかも祭祀跡らしき配石遺構なども発見されているそうですし……
もう一つの千居遺跡には、富士宮市のHPによれば、明らかに「富士山の方角を意識した大規模な配石遺構」が発見されているそうで……

何もそれを高天原だと即断する必要はないかもしれませんが、少なくとも、そんな太古の昔から、日本人が富士山を仰ぎ見て暮らしていた、その精神性の証拠ではあるでしょう。

富士の高嶺をふりさけ見つつ、同時に、日本文明の足元を見つめなおしてみるのも、また、よいことかもしれません。。

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posted by 蘇芳 at 20:39|  L 「富士山223」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする