2019年01月06日

【動画】[京都二十四節気] 小寒


先だってこちらの動画で暦の話が出ていましたが。
ちょうど年も開けて、よい区切りなので、二十四節気の動画シリーズを見ていこうかな、と(本当は冬至から始めれば良かったのかもしれませんが💧)。
とりあえず今年は本日1月6日が「小寒」だとか。
N.a. から。


動画概要:
2013/01/30 に公開
◆小寒(しょうかん)
寒さが最も厳しくなる前の時期
新暦1月6日~20日頃


寒修行 ~小寒の自然~
小寒は「寒の入り」と呼ばれ、この日から節分までの三十日間(寒の内)は、一年で最も寒さが厳しい頃といわれます。
昔から人々は、この時期に、寒稽古や寒中水泳などの耐寒行事を行ってきました。自らを極限状態まで追い込み、心身を鍛練すれば、迷いや煩悩から解放され、前途が開けると考えられていたのです。
京都の聖護院では、学僧の修行を目的に「寒中托鉢」が行われます。山伏たちが法螺貝を吹きながら家々をまわり、家内安全や無病息災を祈る慣わしで、京都の冬の風物詩にもなっています。

七草粥 ~小寒の暮らし~
古来より日本には、年の初めに若菜を摘む「若菜摘み」の慣わしがありました。
凍てつく大地から芽生える若菜には神の力が宿っていて、これを食せば、厳しい冬も無病息災で過ごせると信じられていたのです。やがて、若菜を食べて立身出世を願う中国の風習と結びつき、正月七日の朝に「春の七草」(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を入れた「七草粥」を食べる風習が生まれました。
七草粥は、青菜が不足する冬場の重要な栄養補給であり、正月のご馳走で疲れた胃腸を整える効用もありました。

Present by 京福電気鉄道(株)(制作2011年1月)

万葉集巻頭の一首は雄略天皇の有名な御製ですが、
籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ座せ 我こそば 告らめ 家をも名をも 
この「菜」というのも、つまり春の七草なのですかね。。

しかし、1月早々に「春の七草」と言い、そもそも「新春」と言うのからして、現代の季節感からは微妙にピンと来ない気もします。
「七草粥 ~小寒の暮らし~」というのはすごくもっともらしく書いてはあるのですが……
そもそも「古来」の「正月」って何月でしたっけ?というか何というか。

いわゆる旧暦は、太陰太陽暦ですから、現在の太陽暦とは月単位でズレてくる一方で……
二十四節気のほうは、もともと太陽の運行から算出されているので、現行の太陽暦とはズレるもへったくれもないのですよね。

なので、現在は1月が小寒・大寒ですが、
Wikipedia:二十四節気 > 暦の指標
などを見るに、かつては小寒・大寒は12月に配置されていたようで……

つまるところ「年の初め」の若菜摘みというのも、上の御製が詠まれたような時代には、「小寒」ではなく「立春」の頃に行われていたということになるのでは?と思うのですが……違うのですかね?
新年の春の野の若い女性に求婚というイメージも、それならまだしもわかる気がするのですが。

そういえば、同じ万葉集には、
明日よりは 春菜採まむと 標し野に 昨日も今日も は降りつつ (山部赤人)
があったり、百人一首にも、
君がため の野に出でて 若菜つむ わが衣手に は降りつつ (光孝天皇)
などがあったりもして。若菜摘みというのもくりかえし詠まれてきた定番の情景ですが……
「春」で「雪」で「若菜」な「新年」という、それもこれも、旧暦と新暦のズレを踏まえてみれば、わかりやすくなる。でしょうか?

裏を返せば、「小寒」の頃に七草粥を食する現代人の風習は、王朝人から見れば、実は奇行に見えるのかもしれませんね。。
何やら風情のない話になってしまいますが💧

それはそれこれはこれ。
あくまで「新年」の風習として、明日は七草粥ですね。
暮らしの中の伝統。四の五の言わずに大事にしたいものではあります。

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posted by 蘇芳 at 21:00|  L 「京都二十四節気」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする