2018年12月13日

【動画】教科書で最初に出てくる日本人は「卑弥呼」!?【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第9回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2018/11/26 に公開
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今回は邪馬台国、卑弥呼のお話です。

「古事記」や「日本書紀」にも登場しない、日本との繋がりも分かっていない、「卑弥呼」とは一体何者だったのか?
三国時代の中国と卑弥呼の関係性もお話ししていただきました。

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『三国志』の中の『魏志倭人伝』の位置は、いわば「雑誌の巻末綴じ込み付録」のようなものである。しかも東方の夷人の話、どうせまともな文明などありはしないという色眼鏡がかかっている。
というのは、こちらでも別の箇所を引用した「よみがえる神武天皇https://amzn.to/2zOLp3m」の一節ですが。
ギシワジンデンについてもう少し補足しておくと、魏呉蜀の『三国志』全65巻のうちの『魏志』全30巻のうちの最後の第30巻が「烏丸鮮卑東夷伝」。その一番最後が「倭人条」です。
『三国志』の中の『魏志』の中の「最終巻」の中の最後の一章……。
つまるところ、『魏志倭人伝』などという「本」は存在しない。ありもしない「本」があたかも存在するかのような「嘘」(とまではいわないにしても誤解を招く表現)を書いているのが、日本の教科書だと、言って言えないことはないかもしれません。

同書には岡田英弘氏の「日本とは何か https://amzn.to/2QtqY66」を紹介しつつ、魏志の成立事情、その政治的ご都合主義について解説した箇所もあります。
 司馬懿は238年の正月に遠征軍を率いて出発した。これが卑弥呼が帯方郡に使いを送る前年のことなのである。
司馬懿は1年の短期決戦を計画した。途中に大雨もあり苦戦するが、投石器や矢による猛攻で勝利を得、公孫淵を惨殺する。
238年の8月のことであり、これによって、司馬懿は逃げてばかりいた将軍の汚名も返上し、凱旋将軍として帰還する。
 しかし帰ってみると明帝は病の床にあり、翌289年1月には亡くなってしまった。前帝の死に際と同様、司馬懿は明帝から、後継者で当時、斉王であった「曹芳(8歳)をよろしく頼む」と遺言を受け、曹真の息子の曹爽と並んで摂政に地位についた。
 こうした状況の中で、この年(239年)の6月に卑弥呼の使いが旧公孫淵領の帯方郡に入り、12月には洛陽に入るのである。
 魏の国は卑弥呼の使者の難升米一行を最高の待遇でもてなした。当然であろう。プロデューサーは新しく摂政となった司馬懿である。公孫淵の討伐は自らの生涯で初めてあげた大戦果だ。しかもそれによって公孫淵がふさいでいた遼東の向こう側にある国々との外交ルートが開けた。そしてそのはるか遠方の国から、「皇帝の徳を慕って」倭国の卑弥呼が使いを送ってきたのだ、司馬懿の功績を天下に誇示する絶好の機会である。
『魏志倭人伝』だけを読んでいると卑弥呼が魏に使いを送ったことはわかるが、魏から見てそれがどういう意味があるか、どれくらいの重要度かがよくわからない。
 ところが実は魏にとっても「親魏倭王」という卑弥呼に与えた称号は、周辺国への称号として最高のものなのである。「親魏○○王」とは魏の友好国たる○○国の王、という意味だが、魏の50年弱の歴史でこの称号を与えたのはこのときを含めて2度しかない。
それだけ魏は邪馬台国を重視した、というより、司馬懿が大きなイベントにした、というほうが正しいであろう。
チャイナの「史書」というものが、ある王朝を亡ぼした新王朝が、自己の正当性を捏造するために創作する政治文書であることは、常識でしょう。
当然、「魏志」もまた、魏の滅亡後に書かれています。
そして、魏を滅ぼして成立した晋の開祖とされる人物こそ、上述の司馬懿に他なりません。
Wikipedia:司馬懿
つまるところ、『魏志』もまた「司馬懿の功績を天下に誇示する」ためにする捏造・歪曲・潤色・誇張のオンパレードだということは、容易に想像がつきます。
その目的のための「道具」として、どれだけ嘘を重ねても決してバレる気づかいのないはるか東方の「野蛮国」が、好都合にも、使えるとすれば、チャイナの「歴史家」が、その利用に際して、記述の正確性など、顧慮するはずがあるでしょうか?
前掲書https://amzn.to/2zOLp3mはさらにこう続けます。
 卑弥呼の朝貢をプロデュースした司馬懿は、その後、若い曹爽に実権を奪われ、一度は引退同然にさせられた。しかし、亡くなる2年前の249年に最後の力を振り絞り、病にかかり、かつ耄碌したという芝居を打って油断させ、クーデターを起こし曹爽を葬った。そして帝を手中にして魏の独裁権を握り、それを2人の息子に相続させた。息子の司馬昭の子の司馬炎の時代になって、正式に司馬氏は魏に取って代わり晋王朝を開く。
 すなわち、陳寿が仕えている晋王朝の実質上の開祖は司馬懿である。そして司馬懿の生涯でも、公孫淵の討伐と邪馬台国の朝貢は、クーデターに次ぐ輝かしい業績なのである。その司馬懿を顕彰するために、陳寿はわざわざ『魏志』の30巻を書いた。『三国志』全65巻のうち夷狄に関する巻はただこの1巻だけである、と岡田先生は指摘しておられる。
 陳寿が『三国志』を書いた時点では陳寿の晋での立場は微妙で、彼の著書が正史になるともなんとも決まっていなかった。当然、晋王朝から評価されるには実質上の開祖である司馬懿の功績をたたえなければならない。またそれ以前に、司馬懿自身が卑弥呼の朝貢をプロモートしているであろうことを考えれば、魏への邪馬台国の紹介情報自体が厚化粧で粉飾されている、と考えるべきである。
 司馬懿にとって邪馬台国が実際どんな国であるかは、この際かまわない。しかし公孫淵を倒してすぐに、その勢力圏の向こうからやってきた国である。これを一大イベントにするには邪馬台国は大月氏国に匹敵するほど遙か遠くから来た国で、しかも大月氏国に匹敵するほど大きな国であることが望ましい。加えて、昔から『史書』にある倭国を代表するものでなければならない、という司馬懿の「政治的な都合」があるわけである。
 陳寿はその期待に応える話を、しかもすぐに馬脚が露れない範囲で書いた。ただすべてが陳寿先生の作文ではない。繰り返すが卑弥呼の使いが来るときに司馬懿が書かせた紹介文(公式文書となる)にすでに厚化粧は施してあった、ということだろう。
 こういう『魏志倭人伝』成立の背景を知ると、今まで日本で繰り返されてきた、「邪馬台国論争」が空しいものに思えてこないだろうか?
 すなわちこれまでの日本人の『魏志倭人伝』の読み方は極めてナイーブで、書き手の陳寿は正直で、事実を伝えようとしている、ただ事実が正確にわかっていなかったからどこかに間違いがある――ということを前提にしていた。だから「ここを直せば正しく説明できる」という解釈が続出している。
 しかし実際の陳寿はそんなに純情でもお人よしでもない。シナの正史とは、もともとが政治的な主張のための文章であり、事実が何かは二の次である。
 何はともあれ、『魏志倭人伝』は極めて優秀な歴史家(陳寿)が政治的な意図をもって事実を捏造して書いた、日本人から見れば、きわめて不誠実な史書なのである。やはり戦前のように参考資料程度にとどめておくべきであって、現在のような古代日本の姿を伝える真実の書といった宝典扱いは即刻やめるべきであろう。

動画でも斎藤氏は「ツッコミどころ満載」と言っていますし、神谷氏も「邪馬台国」が日本を代表する政権であった保証は何もないと指摘しており、共にごく当然のまっとうな認識と思われますが……
そのまっとうな認識をかたくなに認めようとしない、祖国の歴史に対して「きわめて不誠実」な自称歴史家や汚役人が、あまりにも多すぎるのではないでしょうか。

こちらこちらなどで書いてきたとおり、日本書紀には景行天皇の九州遠征の伝承が記されてあり、それこそ卑弥呼を思わせるような宗教的シンボルを携えた女性首長が複数登場し、進んで朝廷に服属します。しかもそのシンボルというのが、鏡・剣・勾玉という、その後、皇室にとってこそ重要になるアイテムと同じものです。
また、考古学的には、まさにその景行天皇や垂仁天皇、崇神天皇が都をお置きになったと日本書紀が伝える奈良県桜井市は纏向の地から大規模都市遺稿が出土しています。
これらを合わせ考えれば、九州の「豪族」と、奈良の「豪族」との交渉のあり方こそが、もっと真剣に問われてよさそうなものですが……
考古学的な発見があるたびに、メディアはもちろん、自称専門の研究者まで、日本書紀そっちのけで邪馬台国だ卑弥呼だと妄想をたくましくしている現状では、言うだけ無駄というべきでしょうか。

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posted by 蘇芳 at 20:42|  L 「CGS 斎藤武夫 歴史の授業」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする