2018年11月16日

【動画】特別番組「三種の神器と院政」海上知明 江崎道朗 倉山満


チャンネルくらら から。


動画概要:
2018/08/12 に公開
★お陰様で発売一週間で重版御礼!国民が知らない 上皇の日本史 (祥伝社新書) 倉山 満 : https://amzn.to/2PwxFUD
序 章 新帝践祚を前に
第一章 光格上皇の先例から学ぶ
第二章 古代の上皇と先例
第三章 名君の死と摂関政治
第四章 院政──「治天の君」の権力と陰謀
第五章 武家政権と両統迭立
第六章 上皇不在は、乱世の証
第七章 皇統を守るということ

ちなみに記紀を読めばわかりますが、そもそも「三種の神器」という概念がいつ成立したのかも、謎だったりもします。
というのも……
天孫降臨に際して、「宝奉斎の神勅」は下されますが、「宝剣奉斎の神勅」や「宝璽奉斎の神勅」は存在しないのですよね。
Wikipedia:神勅
むろん、剣も勾玉も存在自体はそれ以前に語られてはいるのですが、それが皇位と不可分の「三点セット」として意識されていたのかどうか? この時点では疑問にも感じられます。

実際、wikiによれば、「日本書紀」で皇位継承に神器がかかわってくる描写が見られるのは、ようやく第19代允恭天皇の御代になってからのことだとかで、
Wikipedia:三種の神器 - 古事記・日本書紀
それ以前はどうだったのか?というと……

神武天皇の東征の頃には、祭祀の描写が何度かありますが、そこに「平瓮」や「嚴瓮」など土器の類は登場しても(それ自体は神棚のしつらえのルーツとして重要かもしれませんが、それはそれとして)、鏡や剣や勾玉が登場したことは無かったようにも思います。

崇神天皇の御代にも、何しろ伊勢神宮の創建にもつながる時代ですから、鏡については語られていますが、剣や勾玉については、はたして記述があったやらなかったやら……

草薙剣が再び脚光を浴びるのは景行天皇の御代ですが、そこでは、(天皇ではなく)皇子であるヤマトタケル命が、草薙剣を(天皇ではない)叔母の倭姫命から(皇位継承とは無関係に)授かるわけですし……あげくにそれをミヤズヒメのもとに「置きっぱなし」にしてきたりもするのですから、後世からは考えにくい「雑」な扱い方とも思えます。
一方で、同じ景行天皇の御代には、天皇ご自身が九州へ征西されますが、そこにおいて、「鏡」「剣」「勾玉」の三点セットが、皇室ではなく土着豪族の側のアイテムとして再登場してきます。九州の地方豪族の(女性首長)が、榊の枝に鏡と剣と勾玉を結び付けたものを捧げて服属してくる、という描写ですが……
日本神話・神社まとめ:神夏磯媛と鼻垂・耳垂・麻剥・土折猪折
爰有女人、曰神夏磯媛、其徒衆甚多、一国之魁帥也。聆天皇之使者至、則拔磯津山之賢木、以上枝挂八握劒、中枝挂八咫鏡、下枝挂八尺瓊、亦素幡樹于船舳、參向而啓之曰「願無下兵。我之屬類、必不有違者、今將歸德矣。

これらをつらつらおもんみるに、つまるところ、この鏡と剣と勾玉という祭具一式は、朝廷の伝統ではなく、朝廷に服属した土着豪族の側の伝統であり、それが朝廷に採用された(ついでに起源神話も事後的に付会された)可能性も検討される必要があるのではないでしょうか。(というか、検討されているとは思います、結論は出しようがないかもしれませんが)

皇位と不可分のものとしての三種の神器がいつどのように成立し、その意味付けがいかに深化・洗練されてきたのか。
そのすべてはもちろん私ごときのよく知るところではありませんが。。
自称国士サマの居丈高な私説・持論を真に受ける前に、不明なものは不明である、と、「謎」の存在自体は、知っておいてもよいようには思います。

もちろん、そのうえでなら、一定の根拠の下で、あれこれと「推測」してみることは悪いことではないでしょう。

当ブログ的にも、そうですね……儒教や仏教など外来思想に対抗するために神道が自身を理論化しようとする試み自体は、動画で言及されている水戸学以前からあり、その代表的な試みには、まさに南北朝の動乱がかかわっていることは、何度か触れてきたと思います。

渡会神道というのもこちらをはじめ何度も指摘してきたようにルサンチマンのかたまりのような厄介な神道ですが……
その渡会神道の不倶戴天の敵となった吉田神道は、室町幕府以降、歴代の武家政権と良好な関係を保ち、江戸時代を通じて主流派の地位を維持します。
幕府と癒着した既存の神道に、討幕派の精神的支柱になった思想が「対抗」していこうとするのならば、いきおい、渡会神道と類似のルサンチマンにとらわれやすい危険は、あったかもしれません?

さらに言うと、水戸学はもちろん、垂加神道(宝暦事件・明和事件)や山鹿流(吉田家の家学)など、後の討幕運動に大きな影響を与える思想は、こちらでも書いた通り、江戸時代の「初期」にほぼ出揃っていますが……
それは別の言い方をするなら、本居宣長が古事記を「解読」するはるか以前ということでもあります。
要するに、実際に幕末の尊皇討幕のテロリズム・クーデターに政治的な影響力を発揮したのは、古事記と国学ではなく、むしろ、日本書紀と儒学ではないか、ということです。

Net de 真実な愛国者の皆さんは、宣長と古事記のほうがお好きなのか、二言目にはコジキコジキとかまびすしい気がしないでもありませんが……愛国者の皆さんに大人気の「志士」の原動力としては、日本書紀と儒教のほうが影響が大だった、だからこそ過激化もしやすかった、という可能性は、考慮しておく必要がありそうに思います。
当然、明治以降も、その過激性の後遺症が残った可能性を考えておかなければならないのではないでしょうか。

三島由紀夫については当ブログでも何度も批判的に取り上げてきましたが……
江崎さんのいう「時代の制約」と同じものかどうかはさておき、彼らが共通して捕われなければならなかった天皇主権論的誤謬(天皇傀儡化)もまた、そうした思想史の流れのなかに位置づけることが……できるでしょうか?
とりあえず、今になって戦前の国体思想を語るなら、こちらの動画で語られていたような「立憲君主」「専制君主」の区別は最低限、つけておく必要があるように思います。

Amazon:国民が知らない 上皇の日本史 (祥伝社新書)
楽天ブックス:国民が知らない 上皇の日本史 (祥伝社新書) [ 倉山 満 ]
posted by 蘇芳 at 20:49| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする