2018年11月14日

【動画】「重版御礼!国民が知らない上皇の日本史」椿 倉山満


チャンネルくらら から。


動画概要:
2018/09/02 に公開
★お陰様で重版出来!国民が知らない 上皇の日本史 (祥伝社新書)
倉山 満
固定リンク:
序 章 新帝践祚を前に
第一章 光格上皇の先例から学ぶ
第二章 古代の上皇と先例
第三章 名君の死と摂関政治
第四章 院政──「治天の君」の権力と陰謀
第五章 武家政権と両統迭立
第六章 上皇不在は、乱世の証
第七章 皇統を守るということ

まあ、雑談ですね。
こちらなども参照しつつ、話半分に拝聴というところでしょうか。

現行の十七条憲法が仏教勢力に都合よく切り取られたものだというのが本当なら、頼山陽あたりに諸悪の根源扱いされた聖徳太子の印象もずいぶん変わりますが。
Wikipedia:十七条憲法 - 「聖徳太子五憲法」
江戸時代の偽書『先代旧事本紀大成経』巻70「憲法本紀」では、推古天皇12年5月に「通蒙憲法」、6月に「政家憲法」、10月に「儒士憲法」「神職憲法」「釈氏憲法」各17条(計85条)が発布されたとされており、これらを合わせて「五憲法」という。このうちの「通蒙憲法」が、『日本書紀』所載の「憲法十七条」とほぼ同文である。ただし、『日本書紀』では第2条となっている「篤敬三宝。三宝者仏法僧也。」(篤く三宝を敬え、三宝とは仏・法・僧なり)が最後の第17条に移され、内容も「篤敬三法、其三法者、儒、仏、神也」[2](篤く三法を敬え、その三法とは儒・仏・神なり)となっている[3]。『先代旧事本紀大成経』が偽書として発禁処分になったのち、天明年間(1781年 - 1788年)に『五憲法』のみが独立して板行され流布した[4]。
さてどうなのでしょうね?
本書よりむしろ「聖徳太子憲法は生きているhttps://amzn.to/2QHg4G3」のほうを一読してみたい気もしないでもありません?
ちなみに三波春夫さんはシベリア抑留経験者でもあり、後に洗脳から覚めて日本を守る会(日本会議の前身の一)に参加されたりもしたとか。
Wikipedia:三波春夫 - 浪曲師「南篠文若」時代・シベリア抑留
1944年(昭和19年)、第二次世界大戦後期の1月、徴兵適齢のため20歳で帝国陸軍に入営し満州国に渡る。軍隊でもその腕を生かし入営半年も経たない内に各中隊別に口演を行い、のちに「浪曲上等兵」と渾名された。

1945年(昭和20年)8月9日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲国に侵攻してきたソビエト連邦(ソ連)軍と部隊は交戦。敗戦を同地で迎え9月11日に武装解除を受けソ連軍の捕虜となる。10月にハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後22歳から26歳までの約4年間、シベリア抑留生活を過ごす。収容所内でも浪曲を披露していたが、ソ連側による徹底した思想教育の中で、演目にも検閲が入るようになり、自らも強い影響を受け、オリジナルの「思想浪曲」や芝居を創作しソ連各地の収容所で披露するなど、捕虜教育係のような役割を負っていた。そうした事実を受け、帰国直後は「共産主義に洗脳されていた」と述べている[2]。また、当時のソ連の捕虜の扱いについては「国際法を無視し、捕虜の人権を蹂躙した国家的犯罪。更にソ連は謝罪も賠償も全くしていない」と非難している。こうした自身の戦争体験・抑留体験もあり、後に1986年11月10日「天皇陛下御在位60年大奉祝祭」に奉祝委員としてテープカットに参加[3]したり、日本を守る国民会議(現・日本会議)の代表委員となるなど、右翼系政治活動に参加するようになった。
「人に歴史あり」ですな。

Amazon:国民が知らない 上皇の日本史
楽天:国民が知らない 上皇の日本史 (祥伝社新書) [ 倉山 満 ]
Amazon:
旧皇族が語る天皇の日本史 (PHP新書)
語られなかった 皇族たちの真実 (小学館文庫)
歴代天皇で読む 日本の正史
皇位の継承―今上天皇のご譲位と御代替わりの意義
聖徳太子憲法は生きている (小学館文庫)
posted by 蘇芳 at 19:18| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする